過去の発言をきっかけにハーバード大学の合格を取り消された青年の話

昨年2月、フロリダ州の高校で発生した銃乱射事件の生存者のカイル・カシャヴ氏は、被害者の立場でありながら事件後、「銃を所有する権利」を訴え注目を浴びました。
そんな彼がこの度、目出度く名門・ハーバード大学に合格したのですが、16歳当時の人種差別的な発言が切欠で、大学側から合格取り消しを通告されたそうです。


発言の内容ははっきりしていませんが、どうやらアフリカ系アメリが人に対する放送禁止用語を用いた中傷表現や、ユダヤ系に対する脅迫のようなものがあったようです。

他にも銃乱射事件のあった高校のマップを使った射撃ゲームを作りたい、といったような書き込みもあったようで、反感を買ったようです。


それらの発言はメールやSkypeメッセージ、Googleドキュメントといった、限定されたコミュニティ内での発言でした。
それを同級生たちがインターネット上に公開したことで公になり、メディアが取り上げたため一気に広がり、騒ぎを受けてハーバード大学の入試委員会が「合格取り消し」を通知する事態にまで発展しました。


「自業自得」と言ってしまえばそれまでなのですけれども、これはとても怖いことだと思います。

誰しも嫌いな人間というのは居るわけで、仲間内やプライベートな場で陰口を叩いた経験はあるはずです。
それは閉じられたコミュニティの中での発言であり、本人の趣味趣向あるいは好みの話です。

公の場で侮辱発言を行ったり、社会的に不利な状況に追い込むようなことがあれば「差別」となりますが、プライベートな発言であれば「思想・言論の自由」の範囲だと考えられます。(公人は別として)

でも今回のケースは、もともとは閉じられたコミュニティ内(内輪での悪ふざけ会話)レベルのものが、公の場に出たことで将来を左右する大きな問題になってしまいました。

こうなると、もう内と外の境界が無いに等しい状態です。
自分の発言は「常にオープン」と覚悟しておかないといけません。

ここから得られる教訓は、文章として証拠が残るような場では「本音と建前」の「建前」だけでずっと過ごさなくてはいけない、ということです。
どんな些細な発言であれ、常に「社会的正しさ」を意識した模範解答(お利口さん)でないと、過去のSNSの発言、メールの文面、ありとあらゆるものが将来、自分を刺しに来るかもしれません。


差別発言を擁護するつもりは毛頭ありませんが、行き過ぎたセルフ検閲を強要する世の中ってのは、それはそれでどうかと思います。