「敵産」の話

一般的に韓国で「敵産家屋」というと、日本統治時代に建てられた日本風の家屋を指す言葉です。
あるニュース記事の定義だと「領土や占領地の中にある敵国の財産、または敵国人の財産のこと。敵性家屋は解放後に日本人が一方的に残していった家や建物をさす」とのことです。

「敵産」という言葉は日本語にはありません。
戦犯国、戦犯旗、戦犯企業などと同様に韓国内でのみ通じる概念語です。

韓国のKBSが「まだ残る敵産」として、日本風家屋ではなく、登記上の土地の所有者に言及した記事を掲載しています。
曰く、「明洞(ミョンドン)のど真ん中の建物のオーナーは朝鮮総督府」だそうです。


記事のソースはこちらです。

(前略)
明洞の建物は、所有者が「朝鮮総督府逓信局」です。以前の記事はそうだというのがありません。2019年現在、有効な政府の公文書にそう残っています。
(中略)
目をソウルから離すと「東洋拓殖株式会社」「朝鮮信託株式会社」など収奪の尖兵に立った日本企業人もまだ生きています。当時韓国人農民を苦しめた大地主の所有権の記録も削除されずにいます。
書類通りなら、2019年の大韓民国の国土のあちこちに昔の日本政府と日本国民が所有する建物が残っているわけです。このような建物がソウル中区だけで1,100件以上出ました。
(中略)
光復後、敵産は国有化が原則でした。(中略)実際、政府は「帰属財産処理法」、「帰属財産の処理に関する特別措置法」、「国有財産法」などを制定して敵産の返還をすることにしました。しかし、成果は期待に及びませんでした。
(中略)
光復後、多くの親日家が勢力を伸ばしました。日帝残滓の精算に消極的であるしかなかったのです。
(中略)
敵産の返還を担当する政府の主務機関も相次いで変わりました。2012年にプロジェクト参加者が担当するまでなんと7回主務機関が変わりました。
(中略)
このように敵産の返還は「ゴールデンタイム」を失いました。この隙に見せ掛けも登場しました。当然、国有地へ切り替えられるべきだった土地を自分名義とする秘匿事例が少なくありませんでした。
(後略)


都心部の多くの土地は実質無料で払い下げられており、その恩恵のいくつかは「親日家」にもたらされたそうです。

記事内では他に、登記から日本人名を削除する手順、などが紹介されています。
が、とりあえず一番気になった部分が
「当然、国有地へ切り替えられるべきだった土地を自分名義とする秘匿事例が少なくありませんでした」
です。

「勢力を伸ばした親日家が行政手続を阻害した」ということにしたいのでしょうが、本当の理由は十中八九 「ドサクサに紛れて自分の物にした」 だと思います。


日本統治が終わってからの74年間、登記上の所有者と実際の所有者が違うことによる実害は無かったはずですが、残っているのが気持ち悪いというのであれば、登記簿から日本人名を削除するのは勝手にやれば良いです。
請求権協定により、日本人の財産権は既に放棄されていますから、文句を言う立場にはありません。

ただし、この記事の視点が怖いと感じるのは 「敵産精算」が親日家(とレッテルを貼った人)の土地財産没収を合法的に行える手段となる可能性です。

韓国には既に「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」という親日派の財産を没収するための法律がありますが、これは1945年までの行為に関するもので、現在の親日家(とレッテルを貼った人)には適用できません。

記事中で触れられていますとおり、ここで扱われている「敵産」は一度「国有化」されるはずの土地です。
親日家認定された人(気に入らない人)が登記上日本人の土地を持っていた場合、取り上げる口実に使えるわけです。