なぜ日本でラグビーが普及したのか、の話

ラグビーW杯2019日本大会が20日に開幕しました。
ラグビーにはあまり詳しくない上に、にわかファンにも成れずに試合は見ていないのですが、日本は開幕戦でロシアに見事勝利したそうですね。
次戦は28日にアイルランド(世界ランキング1位)との対戦だそうで、世界1位のチームを相手にどう戦うのか、これはぜひ観戦してみようと思います。


さて、なぜ日本でラグビーが普及したのかについて、2つの見方をご紹介したいと思います。
1つは朝鮮日報の記事「日本はなぜラグビーW杯に熱狂するのか」、もう1つは9月20日付の産経新聞のコラム「産経抄」です。


まずは朝鮮日報の記事です。日本語版に載っているので抜粋して引用します。

脱亜論を明治時代から推進した日本では富国強兵を追求するイメージと合致

ラグビー・ワールドカップは1868年の明治維新以来、脱亜論を打ち出して「アジアのヨーロッパ」を目指してきた日本にとって特別な意味がある。明治政府はラグビーの母校とされる英国と1902年に同盟を結んだが、実はそれ以前から日本ではラグビーが盛んに行われていた。ラグビーで強く求められるチームワーク、犠牲精神、根気などは富国強兵を目指した当時の雰囲気とも合致していた。

朝鮮日報(日本語版)「日本はなぜラグビーW杯に熱狂するのか」より一部抜粋


次に、産経抄です。

刊行されたばかりの『ラグビーの世界史』(白泉社)をひもといた。19世紀の初め頃、イングランドパブリックスクールラグビー校」で誕生した。やがて、世界に広がる大英帝国の植民地に伝播していく
日本では幕末の横浜で、英国人の商人や船員が最初のチームを結成する。明治に入ると、英国から帰国した留学生がラグビーの魅力を伝えるようになった。(中略)英国の植民地でもない遠く離れた日本で、なぜ普及したのか。著者の歴史家、トニー・コリンズさんの説明は明快である。ラグビーの根底にあるキリスト教の価値観が、日本の武士道と相性がよかったからだ。 確かにラグビーは何より、名誉、義務、自己犠牲を重んじる

産経新聞「産経抄(2019.9.20)」より一部抜粋


この2つの記事は共に、ラグビーの精神…よく言われる「One for all, All for one」を別の角度から見て書かれたものです。

ちなみに、「One for all, All for one」を「一人はみんなのために、みんなは一人のために」とする場合がありますが、それは誤訳です。

正しくは 「一人はみんなのために、みんなは一つの目的(勝利)のために」 となります。
勝利という目的のために自身を犠牲にすることから「自己犠牲精神」と結びつけて解釈されます。


朝鮮日報の視点は、富国強兵という時代の雰囲気に主眼を置いて見たもの産経抄(トニー・コリンズ氏)の視点は、日本人の気質や文化の根底にある価値観とキリスト教の価値観の類似性に主眼を置いて見たものです。


両者は主眼にしているものが違うので、一つの事物でも多角的な物の見方が出来るお手本としては花丸です。

それだけで終われば良かったのですけれど、朝鮮日報が今になってラグビーと富国強兵を結びつけた持論を展開しているのには、根底で 「日本の軍国主義復活」という考えに結びつけているように感じます。

個人的には日本に昔からあった「滅私奉公」「無私」的な考え方がラグビーの精神と相性が良かったのだろうと考えているのですが、「軍国主義復活」という色眼鏡を掛けてみると、なるほど「富国強兵」という穿った見方が出てくることは頷けます。
ただしそうすると90年代前半のラグビー人気の説明がつきませんが。