今の韓国に残る「創始改名」を理解するためのヒントの話

10日ほど前のこと、韓国のある法廷で和解が成立しました。
理由が「同じ姓だったから」というものですが、血縁を重視する韓国らしい出来事です。

ちょっと現代の日本人には分かりにくい感覚かと思います。
でも「創始改名」とは何だったのか、知るヒントになります。


東亜日報の記事からです。

「失礼ですが、どちらの朴氏ですか」法廷争いの最中「劇的な和解」


4日、ソウル中央地方検察庁で開かれた刑事調整期日に双方、暴行容疑で立件された朴某氏(45・男)と、別の朴某氏(70・女)が出席した。

二人は8月、ソウル光化門近くで行われた反日集会で日本製品不買運動の賛否に対して口論を繰り広げ、お互いをスマートフォンで撮影した。その過程で、お互いの撮影を阻もうと押しのけた際に高齢女性の朴さんが倒れた。朴おばあさんはメガネのフレームが壊れた以外に大きな怪我はなかった。

彼らは警察に立件され、起訴意見で検察に送検された。検察は暴行の程度が酷くないため和解の余地があると判断し、この事件を刑事調整委員会に送った。

しかし、二人はこの日も口論した。事件当日、各自が撮影した映像を提出し、相手に責任があると主張した。

朴おばあさんは「息子ほどの歳で礼儀もなく歯向かう*1」と言い放ち、男性の朴さんは「過ちはあなたにある」と対立した。

調停員が二人の合意を誘導したが失敗した。これにより「合意に失敗」としてまとめようとした瞬間、ある調停委員が男性を指して「朴氏」と呼んだ。すると、朴おばあさんが「どこの朴氏か」と尋ねた。

男性が「水原朴(スウォンパク)氏だ」と答えると朴お婆さんは「私も水原朴氏だ」と言いながら身内の序列を問い詰めた。

朴おばあさんは「家筋の中で息子程度だが、朴氏の家にはこのような男がいないのに、なぜそうなのか」と男性の朴氏を咎めた。続いて「私たちは握手をしよう」と、まず和解を提案した。

これに対し男性の朴氏も「私も申し訳ない」と謝罪した。朴おばあさんが「朴氏は他の本貫(ほんかん)がありますが、実際はすべて一家」と言うと、男性は「その通り」と言った。
(後略)


東亜日報「“실례지만 어데 백 씹니꺼” 법정다툼 도중 ‘극적인 화해’(「失礼ですが、どちらの朴氏ですか」法廷争いの最中「劇的な和解」)より


めでたしめでたし……?


事件の経緯はともかくとして、裁判の結果は 「若輩者が年長者に逆らうな」 です。

本貫というのは、その一族発祥の地のことです。
2人の朴さんは共に「水原」の地出身の朴一族の末裔なので、同族となります。

同族内において、年少者が年長者に逆らうことなどあってはならないのが韓国社会です。よって、年長者からの「握手=和解」の申し出を受け入れたわけです。


韓国社会における血縁・地縁の強さ、年齢重視のあり方が垣間見えます。

この発想は、そのまま日韓問題に反映されていると思います。
中華思想においては、中華により近い韓国の方が序列が上になります。
韓国(序列上位)が日本(序列下位)に対して「謝罪しなさい」「こうしなさい」「ああしなさい」と言っているのに従わないのは礼儀がなっていない、というわけです。

韓国では常識レベルの発想でしょうから、おかしいと思うことすらないでしょうね。


「創始改名」を知るために、日本における「氏(うじ)」と「姓(名字)」の違い

本貫は日本だと「姓(名字)」に近いです。

日本人は他に「(うじ)」も持っています。「氏素性」の氏です。自分の姓名のことを「氏名」とも言うので、氏=姓と思われているかもしれませんが、それは現代においてのことで、本来は全く別のものでした。

韓国の本貫が発祥の地に由来するものなのに対し、日本の氏は父系の血統を知ることができるものです。
現代の日本人はこれを忘れてしまったがために「創始改名」を誤解している場合が多々あります。


日本人の名字には地名が多く用いられます。これは、住んでいる土地に由来するものだからです。

例えば、大きな杉の下に住んでいる権兵衛さんが居たとします。
村の人たちは、彼のことを杉の下の権兵衛さんと呼んでいました。そこから、杉下の権兵衛さん杉下権兵衛という流れで杉下が名字になります。

でも、それだと杉下権兵衛さんの血族を知ることは出来ません。
杉下権兵衛さんは川の上の助六さん(川上助六)の息子でしたが、そのことは姓名ではわからないのです。
そこでもう一つ、その人の血統を表す「氏」というものを持っています。
川上助六さんは「鈴木氏」という氏を持っていました。杉下権兵衛さんも「鈴木氏」です。名字が変わっても氏は変わりません。


恐らく、日本の歴史上最も有名な「氏」が「源氏(げんじ)」でしょう、源氏は皇族に連なる氏の一つです。
清和源氏(せいわげんじ)」(清和天皇の子・源経基を祖に持つ)や「宇多源氏(うたげんじ)」(宇多天皇の孫・源雅信を祖に持つ)など複数の家系があります。

例えば、甲斐源氏清和源氏から更に分かれた河内源氏源義光)の一族で、甲斐武田氏はここの嫡流です。つまり、武田信玄は祖先を辿ると清和天皇に行き着くということが分かります。


「創始改名」とは何だったのか

さて、本貫と氏と姓(名字)の違いを踏まえて「創氏改名」を見れば「名を奪われた」というのが嘘だと分かります。

「創氏」と「改名」は同時に行われましたが、全く別の制度です。


まず、「創氏」はそのまんま (うじ)を創った」 のです。

当時の日本の戸籍には氏が載っていたので、朝鮮の人たちの戸籍にも載せようとしましたが、朝鮮の人たちは本貫は知っていても氏は知りません。(ありません)

そこで、記事に出てきた「水原朴氏」のように、本貫を氏にする、あるいは本貫すら知らない人は自身を初代として新たに氏を創ることとしたのです。

これは強制性がありました。期日までに申告しなければ、自動的に戸主を初代として氏が作成されました。(その場合、姓=氏)


「改名」は 「日本風の姓名に改名できる」制度 です。
こちらは完全に自由意思です。
当時の公的資料を見てみれば、朝鮮名を名乗っている官僚が沢山いることが分かります。
強制的に改名が行われ、名を奪われたのであればあり得ないことです。


朝鮮は夫婦別姓

一つ問題があったとすれば、朝鮮(今の韓国も)は夫婦別姓であるという点です。
つまり、女性には姓変更の強制性があったということです。

例えば、朴某さんが新たに「朴氏」と氏を創氏した場合、奥さん(仮に李さんとする)もその後は「朴」と名乗ることが義務付けられました。
日本人と同じ扱い、という意味では平等なのですが、見方を変えれば「名を奪われた」と言えなくもない、という側面はあります。


*1:原文「아들 뻘이 버릇없이 대든다」