「指導層の堕落と国民の無関心が国の未来を暗澹とさせている」という話

2日ほど前に文化日報に掲載されていたコラムに、韓国で祖国さんの事件など「通常の法治国家ではありえないことが続いている」のは、

「社会指導層、公職者の公人としての意識不足」
「韓国社会に蔓延している嘘文化」
「国民の無関心」

これらに起因しており、「未来を破壊する暗澹」とする記事がありました。
コラムを書いたのは、李明博政権時代に国防長官を務めたキム・テヨン(金泰栄)さんという人です。


偉大な「奇跡の歴史」ここに終わるか


(前略)

しかし、目を転じて私たちの内部を振り返ってみると、国の未来が見えない暗澹に悔しがるようになる。政府が主導した政策により、輸出・投資・消費の指標が次々悪化しており、堅固な韓米同盟の弱体化、韓日関係の悪化、屈従的な対(對)中国関係のための外交部隊での立場も不安になっている。米・北間の核交渉に進展がなく、北韓が韓国政府を嘲笑して無視する状況で、北韓の比較かとこれを通じた平和的な韓半島の追求も蜃気楼に過ぎないように見える。

法のの原則による捜査を継続したい検察総長と、これらの試みを失敗に終わらせようとする勢力の常軌を逸した措置と態度、長官指名者の国会人事聴聞会の過程で明らかになる過去の膨大な不正とこれを無視した長官任命があった。また、第一野党を完全に無視した中で行われた高位公職者の犯罪捜査処法の制定と選挙法改正など、通常の法治国家ではあり得ないことが続いている。

なぜこのようなことが改善されずに繰り返すのか?

第一は、社会指導層と公職社が公人としての姿勢が不足しているからである。特に、公職遂行者は公的自己と私的自己の衝突を経験する。自分の地位のために正道を外れた行為を試みて上級者を欺くことはできるが、全ての行為は下級者や周辺の人に露見するしかない。それにも関わらず、多くの公職遂行者は口では社会正義を立てるが、本人と家族のすべての行為は例外と見なす傾向がある。

第二に、私たちの社会に蔓延する嘘文化のためでもある。「反日種族主義」の著者イ・ヨンフン ソウル大学教授は多くの事例を提示しながら嘘に寛大な、堕落した精神文化の問題点を辛辣に指摘する。2002年の大統領選挙の際のイ・フェチャン候補の息子と関連したキム・デオプの主張や、2008年の狂牛病騒動などを考えてみよう。最終的にこのような言葉が偽りであることが明らかになっても過去のことという理由で明確な解明と法的措置もなしに曖昧にしてしまった。正論を守らなければならない多くの学者と裁判官さえ明確な根拠を見つける努力なしに嘘を恥じない風土が蔓延っている。

第三の問題は、国民の大多数がこのような事案について無関心だということだ。無力感に陥って国家と社会で起こるすべての事案は、政治家と政府と社会の機関によって解決されるものと考えてられており、これについて深く知ろうともしない。生業にしがみついて一時的な便宜と利益に満足するのである。人々は国家の運命が自分の運命と密接な関係にあることを忘却しているわけである。

このような私たちの現実を打破するためには様々な努力が必要である。先に、指導層から先公後私の精神で公的自我を磨き上げなくてはならず、これを行動に移さなければならない。また、真実は全ての源であり、すべての行動の第一であることを悟り、嘘を恥じる精神文化を確立し、偽りの行為は最後まで追跡し根絶しなければならない。そして、すべての国民は、国が直面している事案に対して積極的に乗り出さなければならず、国家指導層はこのためには事案に対する国民の理解を高めるために最善の努力を傾けなれけばならない。

(後略)

文化日報「‘위대한 ‘기적의 역사’ 여기서 끝나나(偉大な「奇跡の歴史」ここに終わるか)」より一部抜粋


捉え方は様々あると思いますが、私は最大の原因は「過度な理想主義」だと思っています。
儒教とは「かくあるべき」という理想を追い求める思想であり、日本以上に韓国は儒教朱子学)的な価値観が根強い社会です。
でも、理想主義は現実の政治活動とは相性が悪いと思うのです。(理想が必要なときが無いとは言いませんが)

このコラムも、ある意味ではかなり理想主義的な目線のように感じます。


理想と現実は乖離するものです。
そのため乖離した理想と現実のギャップを埋めるものが必要になります。それが「嘘」です。

もしかしたら自分が嘘をついている自覚すらないかもしれません。所謂、心理的不協和の状態と同じだと思います。