ミネアポリス警察が解体されるかもしれない話

ミネソタ州ミネアポリス市の市議会議員13人中9人が、市警察への予算拠出を打ち切る意向を表明しました。

先月25日、偽ドル札使用容疑で拘束された黒人男性のジョージ・フロイドさんが警察官による執拗な押さえつけにより窒息死した件に端を発して、米国内外を問わず大きな抗議デモの動きが起きています。
改めて差別とは何か、人権とは何か、と言った部分を考えさせられる事件です。


それとは別に、警察という公権力に対する不信というものも根強く、ミネアポリス市議会は現在の制度が機能していないとして、ミネアポリス警察を解体する意向のようです。


もちろん、この表明は「警察」(またはそれに準ずる公衆安全機構)の存在を否定するものではありません。

現状の警察組織が白人偏重であり、非白人社会の声に耳を傾ける必要性を訴えたもので、「現在のミネアポリス警察を解体し、革新的な新しい公衆安全モデルに切り替える」方向で市議会で検討されるそうです。


ジョージ・フロイドさんのような黒人が米国の一般社会で受ける差別(日本で言う「差別」とは根本的に違うもののように思えることがある)と、警察による公衆安全制度とそれに対する不信、更に一部便乗して暴徒化する人たち、これらは全く別に論じられるべきだと思います。

事象としては絡み合って顕在化していますが、原因は警察だけではありません。
ですから、いくら公衆安全制度が変わっても、一般社会が、一般人の意識が変わらなければ同じことの繰り返しでしょう。

これは何も対岸の火事ではなく、日本人も当事者として考えなくてはいけないことで、そのためにはまず日本人が「差別/区別」と考えているものと、彼らが置かれている現実とのギャップを認識するところから始めなくてはいけないような気がします。

この記事の主題は、公衆安全制度の改革なので、この件について今は以上触れることはしません。

とは言え、長らく「当たり前」のように思われていた警察組織の有り様に一石投じる可能性があります。

米国ほど日本人は警察不信ではないと思いますけれども、それでも旧態依然とした体制や、時として行われる自白強要のような取り調べに疑問を感じている人も多いのではないでしょうか。少なくとも、私はそうした人間の一人です。


実際に検討に入れば、「警察」に変わる、第二の公衆安全のモデルケースとして期待したいと思います。