朝鮮人戦犯のドキュメンタリー番組を制作した人の話

韓国のラジオ番組で、第二次大戦後、東京裁判で「戦犯」となった朝鮮人たちのドキュメンタリー番組が制作されたそうで、制作プロデューサーが放送大賞のドキュメンタリー部門を受賞したそうです。
番組のタイトルは「조선인 전범 – 75년 동안의 고독(朝鮮人戦犯- 75年の孤独)」です。


「日本は加害者、韓国は被害者」が既定路線である現代において、韓国の「加害性」の象徴となるような「戦犯」をテーマに取り上げるのは、かなり勇気がいったのではないでしょうか?

朝鮮人戦犯の大半は「捕虜監視員」です。

ここでは、番組の内容そのものではなく制作プロデューサーのチョン・ヘユンさんのインタビュー記事から、彼女がなぜ「朝鮮戦犯」を取り上げようと思ったのか、戦犯らを「親日」と定義することに意味はあるのか、話している部分を紹介します。


ー 捕虜監視員をどのようにして知りましたか?

リチャード・フラガナンの「奥の細道*1」という小説があります。ブッカー賞受賞作であり、信じられないほど力のある良い小説です。その小説は「クワイの橋」を作るために強制労働するオーストラリア捕虜の話を含んでいます。ところで、その捕虜たちを一番虐待する存在がまさに朝鮮人です。
世界で最も悲劇的な出来事で、最も悪役を務めるのが朝鮮人である、という事実が胸に痛かった。この朝鮮人は捕虜を虐待しましたが、しかしまた日本人から虐待される存在でした。
(中略)
この朝鮮人捕虜監視員たちはどのような人たちであったのか、どのようにしてタイまで行き白人捕虜を監視することになったのか、そしてどのように死んだのか気になりました。


ー 複雑な問題ですが、捕虜監視員たちは親日派と見ることができるでしょうか?

そんな単純に規定できる人生はありません。太平洋戦争が終わってから戦争裁判が開かれました。ジュネーブ条約によって捕虜を虐待した人が裁判を受けることになったのです。多くの人が死んだ大きな戦争責任は、天皇でもなく日本軍部でもなく、731部隊の責任者でもなく、植民地朝鮮人捕虜監視員たちにあると思います。
(中略)
しかし、当時は仕方なかった、という言葉は言い訳です。その頃は、独立運動をした誰かを引っ張っていって信じられないほどの拷問もしたじゃないですか。だから戦犯たちは、自分が被害者なのか加害者なのか難しい境界線上にいるのです。だから、後日再び日本での正義を必要とする裁判*2のとき、このようなことを言うんです。「日本も憎い、日本に忠実だった自分の無知が恨めしい」と。私たちの仕事の多くも、その中で果たして何が正しいことなのでしょうか?今、確信に満ちている言葉が、後で間違っている可能性があるのではないですか?私が情熱を燃やす事が、実際には正しいことではない可能性があることを、この言葉を介して学ぶでしょう。

オーマイニュース「"포로감시원은 친일파? 규정짓기 할 수 있는 삶이 아니죠"(「捕虜監視員は親日派?規定できる人生はありません」)」より一部抜粋


「彼らは虐待をした、しかし同時に虐待される存在でもあった」と、被害者性を強調するような言い方が少し気になりました。が、内容的に多少の日本下げは必要でしょう。

「何が悪いかは後から判断される」という見方には概ね賛成できます。「正義」なんてものは、時代や場所が変われば変化するものです。
普遍的な正義(価値観)が存在する、と考えられている韓国では少し異質な物の見方をする人なのかもしれません。


ちなみに、文中に出てくる「天皇」ですが、原文はちゃんと「천황(「天皇」のハングル表記)」となっています。
これはちょっと驚きました。最近の韓国メディアでは「日王(일왕)」の表記しか見ていなかったので。


*1:原題「The Narrow Road to the Deep North(2013年)」。訳は日本語訳本(2018年)のタイトルに合わせておく。

*2:東京裁判のこと