三菱社宅、保存に向けた動きの話

仁川市の富平区というところに、韓国内で唯一、三菱重工業の社宅が6棟ほど残っています。
インチョン日報という地方紙の報道によると、間もなく撤去予定となっていたこれらを文化財として保存するよう、文化庁が正式に仁川市と富平区に通知したそうです。

まだ本決まりではありませんけれども、旧・総督府の建物を爆破破壊してから残骸を展示しているような韓国さんですから、丸っと残すという選択は珍しいかもしれません。


仁川日報の記事からです。

日本、強制徴用の歴史...「仁川三菱長屋社宅の保存を」


(前略)

24日、仁川市と富平区は文化財庁から富平三菱長屋社宅保存協力公文書を受け取ったと述べた。
文化財庁は保存を要求し、「三菱長屋社宅は日本植民地時代に強制徴用された労働者の実像を示す歴史的な場所であり、時代の痛みを忘れないための場所として保存・活用方策の検討が必要な近代文化遺産」との趣旨を伝えたことが分かった。

(中略)

三菱長屋社宅は長年かけて撤去が進められている。過去2017年には脆弱地域の生活環境を改善する「セトゥル村」事業が本格化し、住民の共同利用施設、富平2洞行政福祉センターなどが長屋社宅敷地に建てられた。現在、長屋社宅の建物は6棟ほどが残っているが、これも公営駐車場の建設にほとんど撤去される危機に追い込まれている。

歴史的現場を保存しなければならない、という声が上がると富平区は2017年、長屋社宅の一部を買い取って「生活史村博物館」を建設しようとしたが、住民の反対にあうこともあった。

(後略)

仁川日報「일본 강제징용 역사…"인천 미쓰비시 줄사택 보존을"(日本、強制徴用の歴史...「仁川三菱長屋社宅の保存を」)」より一部抜粋


原文では「미쓰비시 줄사택」と表記してあります。
「미쓰비시」が三菱で、「사택」が社宅です。「줄」は「紐」や「列」などの細長いものの意味があります。恐らくここでは一列に並んだ長屋風の建物ということを意味しています。


富平区は社宅の一部を買い取りはしても、結局壊して博物館を作ろうとしていたみたいですね。保全しなければ意味がない、ということで反対されたみたいですけれど。


「時代の痛みを忘れないための場所」として保全するのは結構なのですが、ちょっと気になるのはここが最近まで貧困街だったようだということです。


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上が問題の社宅の写真です。80年近く経った建物の割に壁など、かなりしっかりした印象を受けます。

残念ながらこの写真では分からないのですが、2014年頃には周辺にバラックのような建物が密集して建っていたようです。
全国各地で行われている「セトゥル村」事業も、韓国戦争当時、避難民が暮らした場所や住環境脆弱地域に対して行われている事業だそうです。その事業による「福祉センター」が近くに作られたということからも、この近辺に貧困層が多く生活していたと思われます。


最近まで暮らしていた貧困層の生活の様子まで「日本のせい」の小道具にされないかが気になります。