「防疫」「経済的打撃への支援」に対する日韓の意識の差の話その3

2日ほど空きましたが以前の続きで、2部の前半部分になります。

5月にはコロナによる「経済的打撃」を受けた人々に対する支援を「積極的に行うべき」と考えている人の割合は50%台と、日本より低いものの、およそ半数は支援に積極的でした。
ところが、11月の2度目の調査時には支援性向が大きく落ちました。業種により異なりますが、12〜21%ポイント下落しています。
これが意味することはなんなのか、の分析が主な内容です。



時事INの記事です。

「防疫政治」が露わにした韓国人の世界 - 各自が生き残る道の警告


(前略)

コロナ19の災難に被害を受けた集団を提示して、これらを政府が「積極的に支援するべき」と答えた比率を比較した。日本に比べて韓国は一貫して支援性向が低い。自営業者を「積極的に支援するべき」という回答(「全面的に支援」と「相当部分支援」の合計値)は45%だ。非正規職労働者、青年求職者、中小企業など、他の脆弱集団はそれよりも低い。

(中略)

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11月の調査結果は5月の結果よりも悪い。

(中略)

私たちは隣国より災害の被害者に各自が生き残る道を要求する傾向がもともと厳しい上、災難が長くなるほどより強くなった。
これはどうして注目しなければならないシグナルか。災難は性質上、共同体の連帯意識を引き上げ始まる傾向がある。危機に直面した共同体を守ることに参加しながら、市民たちは公的に重要な仕事をする、という高揚感を感じる。1997年の通貨危機のときに韓国人たちは「金集め運動」から始めた。災難時の高揚感は、人々を互いに助けるように誘導する力、連帯を作り出す。

しかし、災難が長引いて連帯が連帯として報われない時、事は間違った方向へ転がっていく。1997年の通貨危機は、結局大規模な失業事態と雇用市場の萎縮により「失われた世代」を作り出した。これは一時的な後退に終わったのではなく、生涯ずっと不安定な労働市場に留まる確率がもっとも高かった。これを直接・間接に経験した韓国人たちは、一度脱落すれば共同体が救済してくれない、という教訓を得た。 世論調査の専門家であるチョン・ハンウル韓国リサーチ専門委員は「通貨危機以降、一世代の間、『各自が生き残る道』が韓国の時代精神になりました」と話した。

(中略)

コロナ19災難も高揚した連帯意識で出発した。5月の調査で市民らは強い国家自負心と高揚した市民意識を体感していた。それが韓国の防疫成功を率いる力だった。しかし、半年が経つ間、連帯は連帯として報われなかった。11月の調査は各自が生き残る道が再び時代精神として浮上しているという事実を示している。チャン・ドクジン教授(ソウル大学社会科)はKBSとのインタビューでこのように話した。「今回の調査で韓国人たちは支援性向も低く、コロナ19に対する恐怖も日本より強いです。しかし、韓国人たちの危機に敏感な性向はコロナ19以外にも一貫されています。他の危機、例えば狂牛病のような危機も、韓国人たちは他国より敏感です。韓国は危険に『当選』すると誰も助けてくれない各自で生き残る道の社会のため、こうした危険にはより敏感になり支援性向はもっとケチになります

これはコインの裏表だ。危険に敏感な韓国人は日本人より防疫にさらに没頭する。 〜(中略)〜 しかし、その危機敏感生は各自が生き残る道の社会という土壌からきた。この土壌は、災害に「当選」した人たちを助けなければ、という気持ちをケチにする。その結果、災難の過程で連帯が作用する空間が狭くなる。災難が各自が生き残る道の教訓を残す可能性が再び上がる。この悪循環はまるで通貨危機が残した教訓のように、災害後の韓国社会をより悪くするだろう。

(後略)

時事IN「‘방역 정치’가 드러낸 한국인의 세계- 각자도생의 경고(「防疫政治」が露わにした韓国人の世界 - 各自が生き残るための警告)」より一部抜粋


「各自が生き残る道」は「각자도생(各自図生)」と言います。「図」には「考えを巡らす((はか)る)」という意味があります。「生き残る道を各自で模索する」こんなサバイバルな意味です。

記事では通貨危機に触れ、これが切欠で「各自図生」のような意識が韓国社会に芽生えたかのように受け取れますが、もっと以前からではないかと思います。
日本人に社会福祉の概念が芽生えたのは生類憐れみの令まで遡ると考えられます。韓国でもここ数十年で培われたものではなく朝鮮時代まで遡るのではないでしょうか。

危機が長引くにつれて、現代に獲得した「皮」が剥がれて、近世に大きな内乱や対外戦争なく数百年規模で統治が行われた頃に培われた「身」が表に出てきたのかもしれません。
そう考えると、現代の人間はテクノロジーは発展しましたが、社会性などは近世までで進歩が止まってしまっていると言えるのかもしれませんね。