慰安婦強制連行説がなぜ信用できないのか、という話

イ・ウヨンさんの慰安婦関連のコラムを紹介します。
慰安婦強制連行説」がなぜ信用できないのか、という内容です。

メチャクチャ長いんですけれど、順序立ててよく整理されていますので、慰安婦問題の基礎知識編、あるいは副教材として分かりやすいと思います。内容を鵜呑みにしろ、と言っているのではなく反証したければすれば良い、という意味での「教材」です。


メディアウォッチの記事からです。

[イ・ウヨンコラム]慰安婦は性奴隷ではなく性労働者だったというラムザイヤー教授が正しい


ラムザイヤー教授は彼の論文で慰安婦慰安所の関係を契約と捉えた。未だに加熱している韓国と米国の研究者に対する批判の核心は、彼がこのような関係を立証する契約書、契約内容が書かれた「紙(!)」を提示できなかったということだ。このような批判の背景には合意の内容を必ず文書で残す欧米の文化と口頭契約依存度が高かった韓国との違いに対する理解がある。

契約書がない、という批判は契約自体がなかった、という信頼に基づく。「契約がないのに契約書があり得るか」と追及しているのだ。これにはそれだけの理由がある。ラムザイヤーに対する批判者たちは共通して朝鮮女性が慰安婦になるきっかけは彼女たちが慰安所と結んだ契約ではなく、日本の軍人、警察、官吏などによる「強制連行」と確信している。 「強制連行」だったのになぜ契約書や契約を語るのか、ということだ。

河野談話、国連報告書、アムネスティ報告書が証拠になるのか?


彼らは自分たちの「確信」を裏付ける根拠が山積しているという。△「被害者」である元慰安婦たちの「証言」、△1992年に吉見義明教授が発見した「強制連行」を支持したという日本軍関与文書、△1993年に日本政府が「謝罪」を盛り込んで発表した河野談話、そして△1996年にUN人権委員会のクマラスワミ報告書などアムネスティ国際法律家連盟(ICJ)のような国際機構の各種調査結果がそれだ。しかし、彼らの信頼と異なり、これらすべての「証拠」の中で現在まで最終的に残っているのは、昔の慰安婦たちの「証言」だけだ。その他すべては虚構であったり、立場文であったり、もっぱらこれらの「証言」に基づくものであるからである。

国際機関の報告書は、そのすべてが昔の慰安婦たちと吉田清治の証言、日本軍関与文書、河野談話に基づいている。まず河野談話はほとんどすべての人が「被害者と加害者の証言があり、これを客観的に立証する日本軍の文書がある」と確信する状況に押されて日本政府が作成したに過ぎない。そして1993年以降、関連する日本軍関連の文書は結局「強制連行」と無関係であることが立証され、他の文書は発見されなかった。 また吉田氏の「告白」が「創作」であることが明らかになり、日本でこれまで集中的に報じてきた朝日新聞は発行部数最大を誇るその名声に相応しくなく、吉田氏に関するこれまでの報道をすべて取り消さなければならなかった。パッと見、証拠が山のように積まれて見えるが、反論され、実際は昔の慰安婦の証言だけが残っているのが客観的な現実だ。

それでは慰安婦たちの言う「強制連行」は信頼できるか?彼女たちがカミングアウトをした1990年代初めの証言では「強制連行」は無関係だった。慰安婦になった切欠を朝鮮人による「就職詐欺」や親による「人身売買」と証言した。ところがそれ以来、慰安婦問題が韓国の社会、政治的問題になって韓日間の外交問題に飛び火すると言葉が変わった。「強制連行」を言い出した。「証言」が政治的に汚染されているのだ。一例を挙げてみよう。

強制連行?信じられない昔の慰安婦証言


現在、韓国の国家元老の待遇を受けて自分を独立運動家とでもいうような元慰安婦のイ・ヨンスさんは1992年8月15日、KBS TVに出演した。司会者がどのように慰安婦になったのかを聞いた所、彼女は継ぎのように答えた。

「私はあのとき16歳だったが、貧しく着る物も食べる物もなかったが、ある人がワンピースと靴を持ってきてくれました。それを渡しながら、行こうと言われて、それを受け取ったのでその時は何も知らずに良いと付いて行きました」


慰安婦業者が行った典型的な誘拐事件を話している。そんなイ・ヨンスさんは2007年2月16日に米下院で慰安具被害者聴聞会に証人として出席した。彼女は次のように「証言」し、米下院が日本を非難する決議案を採択するのに大きく貢献した。

「兵士とその女の子が一緒に入ってきて、肩をこのように取り囲み、片手で口を塞ぎ、兵士は後ろから背中を何かで突っつきながら、そのまま連れ去られました。夜に。(私は)歴史の生き証人です」


慰安婦たちの「証言」の一番目の問題はこのように一貫性がないことだ。
更に問題なのは彼女たちの証言を裏付けるいかなる客観的証拠もないという事実である。日本の官憲による「強制連行」を示す公的文書は発見されず、民間人を含むそのような事件を目撃した第三者(家族、親戚、近所の人など)が残した記録もなく、そのような証言も出なかった。 強制連行論者たちは慰安婦が、なんと「20万人」がそのように連れて行かれたと主張し、過去30年間、これを証明する証拠を一つも提示していなかった。したがって私たちは彼女たちの「証言」をもはや信頼できない。

ラムザイヤーへの非難の先頭に立ち、TVを通じ韓国で有名になったコネチカット歴史学科のアレクシス・ダードン教授は「主張を裏付ける書類がないなら、証拠がないなら、その主張は真実ではない」と語った。 加えて 「無惨で」「典型的な」「詐欺」 と述べた。それなら慰安婦たちの「証言」はこのダードン教授の基準を通過できるのか問いたい。

当時の現実と慰安婦契約の実情を知ってこそ


日本官憲の「強制連行」がなければ朝鮮人女性が日本軍慰安婦になることはどんな切欠、経路だったのか?まず、朝鮮人斡旋業者が良い就職先を紹介するとして(就職詐欺)、慰安婦として働くことになるという事実を知らせずに女性やその親を誘って連れて行ったり、売ってしまうことがあった。この場合は慰安婦雇用契約が不要で、前借金が支給されていなかったり、慰安婦の場合より少額だった。しかし朝鮮で就職詐欺を含む誘拐は戦前から警察の取り締まり対象だった。当時、朝鮮で数千人の職業斡旋業者が大手を振っていたからだ。

また、女性を連れて朝鮮から出発し、海外の軍駐屯地の慰安所に至るには様々な公的書類が必要だった。まず、中国や東南アジアなどへの旅行者は旅行の目的などを記入し、警察署長が発給する「身元証明書」が必要となる。特に慰安婦の場合、手続きは更に厳しかった。女性と慰安所業者が一緒に作成する申請書とも言える 「臨時酌婦営業許可願」、写真2枚、戸主と女性の本人が捺印した就業承諾書、以上の関係者の印鑑証明書、女性の戸籍謄本(就業承諾書、印鑑証明書、戸籍謄本は本人でなければ作成、または発給してもらえなかった)、そして日本領事館職員が女性の慰安所就業の有無など、女性と業者を調査した後に作成する調査書が必要だった。

誘拐された女性が慰安所に到着した後も問題が発生した。慰安所を利用して管理を担当する部隊は、慰安婦本人たちが将来どのような事をやるようになるのかを事前に認知して慰安所に到着したかを確認した。以上のような書類を軍部隊で確認する手続きがあり、騙されて慰安所に来た女性を故郷に帰らせた例もあった。

以上から見ると、誘拐による慰安婦調達よりも、娘がどうなるか知っている親が娘を売る人身売買を通じての場合がずっと多かったはずである。当時の新聞を見ると、親が娘を売ることが沢山あり、社会問題になるほどだった。1920年代半ば、日本でも同様の状況になった。日本の有名な皇道軍人派による1926年の2・26クーデター事件でも、妹や姉が人身売買されるほど経済的に厳しい地方出身の軍人の境遇が事件を触発する重要な契機の一つとなった。

以前の寄稿文で述べたように、このような取引は人身売買という不法、そして戸主制度下の正当な権利行使と合法的職業斡旋の間の境界に位置していた。その結果、一方では「人肉市場」といい人身売買が横行し社会的問題とされたが、そうした疑いで警察の調査や裁判を受けた人たちですら、ほとんどが無罪として処分された。

以上のような状況から考えると、募集業者と取引をする親は、娘がどこへ行って何をするか知っていたと見るべきである。文書に基づく明示的な契約がないとしても、両親がそのような事実に気付いていれば、これは我々が一般的に言う契約に違いない。韓国と米国のラムザイヤー教授に対する批判家たちは当時の実情を全く知らない。

慰安婦は性奴隷ではなく性労働者(sex worker)


慰安婦と業者の間で契約が行われるもっとも代表的な場合は、朝鮮や外地で戦争以前から既に売春婦として働いている女性を慰安婦として募集する場合であったという推測を以前、寄稿文でも述べた。このような状況をよく描写した証言がある。資料は1945年初め、米国捕虜になった3人の朝鮮人日本海軍属に対する尋問記録だ(「3人の朝鮮人『日本帝国海軍』軍属に対する合同報告書のリスト第78号(Composite Report on Three Korean Navy 'Imperial Japanese Navy'Civilians List No.78)」、1945年3月25日、朝鮮人たちに対する特別質問に対する回答(Re Special Questions on Koreans)」。
ここの質問は「日本軍のために売春婦として働く朝鮮人女性を募集していることについて朝鮮人は普通に知っているのか?このようなことに対する一般朝鮮人の態度はどうか?あなたたちはこのような騒ぎや摩擦について知っているのか?」であった。回答は次の通り。

私たちが太平洋で見たすべての売春婦は志願者(volunteers)か、彼らの親によって売春婦として売られた人々だ。これは朝鮮的な考え方だが、日本人がもし女性を直接的に「徴発(direct conscription)」したら、朝鮮の年寄りや若者は激怒して立ち上がっただろう。 男性たちは怒り、何が起こっても日本人を殺害したはずだ」


この答弁は第一に「強制連行」はなかったし、あり得ないという点と併せて、第二に、親の人身売買や売春婦への転職が、または一般的な就職が軍慰安婦になる通常の経路だったことを述べている。慰安婦になる過程の実情を、このように総合的に語った証言を筆者は今まで見たことがなかった。

慰安婦補修の方法で両親の人身売買や売春婦の転職が中心なら、やはり慰安婦自身や、彼女の代わりに両親と事業者が経済的契約を結んだと考えなければならない。慰安婦は性奴隷ではなく、性労働者(sex worker)だった。性労働のために斡旋業者や事業主と契約を結ぶことは、我々が日常的に目にする労働者と経営者との間の労働契約にほかならない。

好意者が居て彼らが一定のパターンに従って行動を起こしたとすれば、それは契約当事者が契約に従って行動したものであり、これは契約の存在をいう。これを否定するには前借金の収受、契約期間の存在、慰安婦慰安所間の売上金の分割などと共にラムザイヤーが契約の実態として述べるものが存在していないことを証明しなければならない。しかし、これまでラムザイヤー論文に対して提起されたいかなる批判も、例え部分的にではあったとしても成功することはなかった。

このような点から見て、筆者はラムザイヤー教授の論文が韓国をはじめ世界の学会が慰安婦問題に対して改めて本格的に討論できる切欠になると確信する。

メディアウォッチ「[이우연 칼럼] 위안부는 성노예가 아닌 성노동자였다는 램자이어 교수가 옳다([イ・ウヨンコラム]慰安婦は性奴隷ではなく生労働者だったというラムザイヤー教授が正しい)」より一部抜粋


日本軍による慰安婦強制連行って「完全犯罪」なんですよねぇ...誰一人目撃者もなく20万人の誘拐をやってのけたんですから。しかも捜索願は出されていません。

人身売買の被害者であれば、本人の立場からすれば自身は「性奴隷」と主張することに矛盾はない、と思うかもしれません。
それは一理あります。
パク・ユハ教授などの主張はここを核に「日本政府責任論」へと展開されるわけです。けれど、加害主体(奴隷主)や責任が「日本政府にある」というのはよく考えなくても筋が通りません。