「歴史的に韓国は日本に背を向けた時、損害がはるかに多かった」という話

ちょっと長いですけど「韓国は日本を無視したり背を向けたりしてきたけれど、歴史的にはそういう時に酷い目に合っている(合わされている)」という趣旨のコラムがありました。

結論としては、だから日本を直視して客観的に評価して上手に活用しないと、みたいな用日的な話に落ち着くんですが、「日本」を「現実」に読み替えると、ちょっと納得できる部分があります。


ペン・アンド・マイクの記事からです。

[コラム]日本に戦略的に対応しよう


現在、韓国と日本の関係はかなり良くない。2018年10月、韓国の大法院が徴用工の個人請求権を認めて以降、韓国政府や国会は解決策を出せずにいる。これを受け、日本では徴用工の大法院判決を「1965年基本条約の根底前提を変える最大の出来事」と受け止め、失望感を示しながら、2019年7月に日本政府は対韓国輸出規制措置を取った。韓国と日本の対立が深まり、両国は民族主義ポピュリズムの悪循環に陥っている。

現在両国の関係が悪化したのには複合的な理由がある。これには歴史を心から反省しない日本に重大な責任がある。 しかし、韓国が日本との関係に背を向け、放置していることも一つの理由と見られる。私たちが日本に背を向け放置することが、結局私たちの国家利益の訳に立つのだろうか?そうではないと思う。その理由を歴史的に、そして現在の観点から見ていくことにしよう。

日本は古くからの韓国の隣国として、長年私たちは日本に愛憎を抱いており、その中でも憎悪と否定的な見方が多いのが事実だ。概して韓国は日本を卑下し、憎悪し、優越感を持っている。そして壬辰倭乱*1日韓併合によって多大な被害意識を持ち、日本を憎んでいる。また三国時代以降、中国の文物である漢学、仏教、儒教などを日本に伝えたという優越感がある。そして私たちの祖先が過去に日本に渡来し、天皇系や貴族になったというのである。日本が近代になって先進国になったが、これは日本の文化水準が低く「蛮夷」である西洋の文物を批判意識なく持ち込んだということである。一方、朝鮮は優秀な儒教文化の継承者として西洋の文物を拒否したというのである。

それでは、日本は韓国をどのように考えるだろうか?私たちとは正反対のようだ。壬辰倭乱当時、日本は朝鮮を侵略する際、朝鮮は眼中になく明を討ちに行くのに「道を貸してくれ(征明假道)」した。壬辰倭乱以降、朝鮮と日本は国交を再開し、朝鮮通信使が計12回日本を訪問した。私たちは朝鮮通信使を通じて日本に礼を教え、優秀な文物を教えたと自負した。しかし、これに対する日本の見方は違う。当時、日本に来ていたオランダ人に対し日本人は朝鮮通信使が日本に「朝貢」しに来たと説明した。そして徳川幕府時代には自ら「小中華」を北東アジア地域に設定し、日本が頂点に立ち朝鮮、沖縄などの国々を下に置く試みをした。近代に入って日本の福沢諭吉は「朝鮮は文明の観点から四肢麻痺で自ら動かす能力のない病人として『悪友』と付き合う者はともに汚名を避ける術がない。私たちは心の中でアジア東方の悪友を断るべきだ」と主張した。

このように、両国は互いを見る認識の差が大きく、互いに交わることがない平行線そのものだった。しかし、このような認識の違いは互いを現実的に別途に放置しなかった。両国の地理的近接性は互いにぶつかり合いながら相互作用を生んだ。特に両国が海に隔たれている中で、韓国は日本に背を向ける傾向を見せたが、日本は必要に応じて力と武力で韓国を攻めてきた。百済新羅と唐の連合軍によって660年に敗北した直後の663年、日本は百済復興軍を助けるため軍隊を派遣し、白村江で新羅および唐と戦争を繰り広げた。日本の倭寇三国時代、高麗時代、朝鮮時代に朝鮮半島国家を絶えず苦しめた。1592年の壬辰倭乱の際には7年間、朝鮮半島を軍事的に蹂躙した。そして近代には日本が1910年に韓国を併合した。

上記のように、日本は自身が選択した瞬間に自由に朝鮮半島に関与していった。しかし、朝鮮半島国家は歴史的に一貫して日本の存在を無視したり、わざと背を向けようとしているようだ。

(中略)

そして朝鮮のエリートたちは日本を無視したり背を向けた。中国が主張する虚構中華思想をそのまま受け入れ、自国の安保を中国に依存することを決め、中国以外の世界を見ることを拒否したためだ。1592年の壬辰倭乱以前は日本は戦争の準備の真っ最中だった。日本は朝鮮に使者を送り、それとなく朝鮮を圧迫していたが、朝廷はこのような事態をまともに把握していなかった。結局、危機感を感じた朝鮮の朝廷は日本の状況を確認するため1590年に使節団を日本に派遣した。よく知られているように、使節団が朝鮮に戻って報告した内容は、日本が朝鮮を侵略する、という意見と、そうではない、という正反対の意見である。結局、朝鮮のちょう体は日本の侵略に備えられず、壬辰倭乱が起き、朝鮮は日本に対して軍事的に徹底して蹂躙された。

(中略)

そして1800年代半ばに東アジアに押し寄せる西洋勢力に対抗して、日本は新しい対外的志向を持った政治権力が1868年明治維新を通じて日本に登場した。しかし、朝鮮はこのような日本の情勢変化には無情で、これは朝鮮に災いとなった。当時、朝鮮の多くの儒者は衛正斥邪を主張する上訴を王に送ったが、要旨は次の通りである。「西洋人は人ではなく禽獣であり、これらが朝鮮に入ってくれば朝鮮が禽獣の国に変わって国が滅びるだろう。そして倭は西洋でなくともかつての敵であり、西洋の手先であるため和親することは出来ない」

(中略)

私たちが日本に背を向けた結果は何か?私たちが日本を客観的に直視し、警戒できず、日本からの脅威に備えられず、多くの被害を受けたのだ。更に日本を活用できないようにした。韓国は解放後、今も依然として日本に背を向けており、歴史問題が他の懸案を圧倒する。日本の客観的な実力を評価し、日本を活用しようともしない。日本が軍事力を強化すれば、日本が過去の軍国主義に戻っていると非難する。

(中略)

歴史的に韓国は日本に背を向けた時、損害がはるかに多かった。  〜(中略)〜 私たちが日本に背を向けて放置することは、韓国の国家利益を放棄することだ。特に、現在急変する東アジアの状況は、私たちが日本を客観的に知り、うまく対応するように求めている。

(後略)

ペン・アンド・マイク「[연상모 칼럼] 일본에 전략적 대응을 하자([コラム]日本に戦略的に対応しよう)」より一部抜粋


めっちゃ長いし、細かいところを見始めるとツッコミどころ満載なんですけれども、結論部には部分的に同意できるところがあります。

それは 「現実を見ろ」 ということです。
著者は「韓国は日本に背を向けた(向けている)」と言いますが、これは実際は「日本」ではないと思います。
コラム中の「日本=現実」、「中国=幻想」と読みかえれば一貫性があります。韓国が被害を被るときは、常に現実を見ずに自身に都合の良い幻想を見ているときです。
幸か不幸か、韓国の歴史の中では韓国にとっての「現実」が「日本」の姿をして顕在化しているんでしょう。

ところで、こういう書き方はこの手のコラムの常でもあるんですけれど...やっぱり気になりますね。
「両国は民族主義ポピュリズムの悪循環に陥っている」とすることで韓国だけでなく日本も、と「お互い様」感を出しておいて、でもそもそもは「歴史を心から反省しない日本に重大な責任がある」と。
「歴史を反省」というのであれば韓国の被害は「現実」から目を背けた自業自得感もあるので、韓国だって歴史を反省すべきでしょうに。
保守系ネットメディアに寄せられるコラムでさえ、「日本のせい」が大前提なので韓国の「反日」には右派も左派もない、と言われるんですね。

まあ、十万歩くらい譲って本題を書く前に「日本が悪い」を枕詞にしないと本音を書けないと同情的に見ることもできますが、それこそコラム内で著者自身が指摘しているように「日本を卑下し、憎悪し、優越感を持っている」ことの現れでしょう。
この前提がある限り、現実なんて目を凝らしても見えないように思えます。