17世紀の日本と韓国、朱子学への解釈の違いの話

韓国で17世紀の朝鮮儒学(主に朱子学)を扱った教養書が出版されたそうです。「書き下ろし17世紀の朝鮮儒学史(새로 쓰는 17세기 조선 유학사)」という題で、17世紀の朝鮮における性理学(朱子学)の発展についてのようです。

ぶっちゃけ本の内容はどうでも良いんですけど、中央日報が著者のカン・ジウンさんにメールインタビューを行い、日本と比較するような質問をしたようです。
同じ時代(江戸時代)の日本では朱子学を批判的に見る向きもあったので、なぜ朝鮮と日本とでここまで朱子学(性理学)に対する反応が違ったのか?という疑問からです。

カンさんの回答の中で日本では「(朱子学について)独創的な解釈も可能だった」といった趣旨の指摘がなされています。
逆説的に 朝鮮では「一方的な解釈しか認められなかった」 ということでもあります。
記事や書籍とは直接関係のない話ですけれど、こうした気風というか考え方、あるいは意見への向き合い方といった所にラムザイヤー論文への批判(慰安婦=性奴隷以外の解釈を許容しない)に通じるものを感じます。


中央日報の記事からです。
記事内で「性理学」となっているのは全て「朱子学」と同義と思って差し支えありません。

17世紀の朝鮮はなぜ日本と違って性理学「タリバン」の国になったのか


17世紀、日本の性理学者の山崎闇斎はある日、弟子に「もし中国が孔子を総大将に、孟子を副将にして日本を攻撃したら、孔孟の道を学んだ者はどうすべきか」と尋ねた。弟子たちが当惑すると彼は「武器を取って彼らと一戦交え、孔孟を捕らえ、国の恩に報いる。これが孔孟の道」と答えた。
当時、朝鮮では清により滅亡した父母の国・明の敵討ちをするという北伐論が議論されていた。同じ性理学を学んだが、両国の認識はこのように異なっていた。

17世紀は朝鮮において性理学的な秩序と世界観が更に強化された時期である。長子相続、奴婢制、男女差別など、私たちが朝鮮を思い浮かべるイメージがこの時に完成した。
一方、中国と日本では異なる動きが見られた。性理学の元祖だった中国では身分秩序を脱皮し実践を強調した陽明学が定着した。日本の変化は更に劇的だ。壬辰倭乱*1の後、朝鮮を通じて性理学を輸入した日本は、17世紀には朱子性理学を批判する一方、自国を中国と考える見方まであらわれた。朝鮮が自身を小中華と自負したのとは異なる。

(中略)

倭乱の頃の「朝鮮王朝実録」を見ると、敗戦の知らせに接し「戦争によって倫理網紀が崩れている」、「朝廷と君主に対する忠誠を発揮するよう鼓舞することが鍵だ」などの発言が多く残されているが、こうした考えが戦後の国政運営と各社会に自然に反映されたと思われる。一方、国防力の強化は重要視しなかった。

(中略)

朝鮮時代の両班は生まれながらに儒学を勉強しなければならない運命だ。儒学を勉強すれば官職に就き、富貴栄華も享受できた。それで朱子が残した本だけ徹底的に勉強すれば良い社会だった。一方、日本は科挙制が無かった。武士の道とは異なると排斥された。

(中略)

朝鮮と違い、江戸幕府の時代の日本では儒学だけを無条件に迎えるという必要もなく、現実に合わない部分については解釈に修正を加え「独創的」な解釈も可能だった。また、日本には性理学と同じ時期に陽明学など他の儒学思想も同時に入ってきた。それで比較しながら研究することが出来た。

(後略)

中央日報「17세기 조선은 왜 일본과 달리 성리학 '탈레반'의 나라가 됐나(17世紀の朝鮮はなぜ日本と違って性理学「タリバン」の国になったのか)」より一部抜粋


タリバン」というと、ご存知イスラム主義組織の名称となっていますが本来の意味は「(神学的に教育・訓練された)学生」です。
ここでは恐らく本来の意味ではなく「原理主義」の意味で使っていると思われます。「性理学原理主義国家・朝鮮」という感じです。

冒頭の山崎闇斎の逸話は「先哲叢談(せんてつそうだん)」の巻之三に収められています。(国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可)

日本が「自国を中国と考える」というのは、王朝としての「中国」を指しているのではなく、中華思想的に自国を「世界の中心・宇宙の中心」と考えたという意味です。
※「世界の中心」などと表現すると傲慢に聞こえます。ただ普通に考えるとこれは「自国中心主義」という意味であり、自立国家としてある意味で当然の考え方でしょう。

日本だけでなく、中国でも朝鮮とは異なる動きがありました。要するに東アジア三カ国で違ったのは「朝鮮だけ」です。
にも関わらずなぜか「日本とだけ」比べるのは何ででしょう?中国とも比べないと、なぜ朝鮮(だけ)が「性理学原理主義」に陥ったのか分からないと思いますが。

なんとなく中国を親分に、日本と韓国を同列の子分に見立てて比較する癖がここでも出ているんじゃないかな、という気がします。
これも一種の「小中華思想」でしょうか?

日本朱子学実用主義)と朝鮮朱子学(原則主義)として比較するのであれば、ここから得られる教訓は「何のために学ぶのか」という意識の大切さと考えることも出来ます。
研究職ならいざ知らず、そうでなければ「使うための学習」と「学ぶための学習」では必然的に発展性に違いが出ますからね。語学学習などはその典型でしょう。