【バンダーさん】「韓国人がノーベル科学賞を受賞できない理由」の話

4月28日投稿分です。
2021年10月17日の日付が入っているのですが何のことなのか分かりません。この時期、バンダーさんは投稿されていなかったので、書くだけ書いて溜めておいたということでしょうか?

 

 

趙甲濟ドットコムよりバンダービルドさんのコラムから「韓国人がノーベル科学賞を受賞できない理由」です。

韓国人がノーベル科学賞を受賞できない理由

技術者をぞんざいに扱う歴史の余波と非科学的な会談崇拝文化が韓国人のノーベル科学賞受賞を妨げている理由と見ることができる。

<2021.10.17>

韓国は10月初旬になると意気消沈した気持ちになる。この時期、ノーベル賞受賞者発表があるからだ。ノーベル賞は生理学、物理学、科学、文学、経済学、平和賞など6つの分野で受賞者が出る。白眉はやはり科学分野の賞である。韓国人たちは誇示欲が強い。宿願であるノーベル科学賞を受賞し、韓国人の優秀性を世界万国に知らしめたいという気持ちが平素から強い。しかし、2021年も例年と同様、ノーベル賞は韓国を離れ、それに伴い韓国人の失望感は大きかった。反面、日本はノーベル科学賞受賞者が25名(日系1名含む)にもなる。特に、2000年以後は20名のノーベル科学賞受賞者が出た。ほぼ毎年1名の割合で受賞した。したがって、「日本に追いついた」と錯誤に陥った多くの韓国人たちは10月初旬になると現実を自覚し、日本に対する劣等感に陥る。

GDP基準で世界10大国家は、米国、中国、日本、ドイツ、英国、インド、フランス、イタリア、カナダ、韓国である。この中でノーベル科学賞を受賞していない国家は韓国が唯一だ。1999年に国際通貨基金IMF)はG7(先進七カ国)と韓国など新興市場国からなる国際機構としてG20を出港させた。この中でノーベル賞を受賞できなかった国家はわずか四カ国だが、そこに韓国が含まれる。OECD経済協力開発機構)の場合、世界主要37ヵ国が会員国だ。この中でノーベル科学賞を受賞できなかった国家は10ヵ国ほどだが、やはり韓国が含まれる。のノーベル科学賞は受賞しにくい。しかし、逆説的に歴代統計を見ると、このように世界主要国の場合、受賞できないことがむしろ非正常と見える。極東アジアという同一の環境条件を有する4ヵ国を比較すると、韓国の非正常はさらに際立つ。

日本のノーベル科学賞の最初の受賞は1949年の物理学賞だった。ノーベル賞制度が始まったのが1901年なので、日本は48年振りに初受賞した。そしてこれまで25名の日本人(日系1名含む)がノーベル科学賞を受賞した。中国の場合、最初の授業は1957年の物理学賞だった。中国系米国時2名が共同受賞した。そしてこれまで8名の中国人(中国系7名含む)がノーベル科学賞を受賞した。台湾の場合、最初の受賞は1986年の化学賞だった。台湾系米国人が受賞し、その後、受賞者は台湾国籍を正式に取得した。現時点で台湾の唯一のノーベル科学賞である。

日本、中国、台湾は各々72年前、64年前、35年前からノーベル科学賞を受賞しているが、韓国は依然として沈黙を保っている。韓国がもし2022年にノーベル科学賞を受賞すると仮定すると、これはノーベル賞制度が始まって121年振りに初受賞となる。日本より73年遅れで、中国より65年、台湾より36年遅れとなる。ところで、韓国が2022年にノーベル科学賞を受賞することはできるだろうか?可能性が全く無いわけではない。しかし、受けられない確率が大きいという点は明らかである。なぜなら、韓国は技術者を軽視する文化が過去に非常に強く、その痕跡が今日も残っているからである。

技術者をぞんざいに扱う歴史を持つ国家とノーベル科学賞は相容れない。500年の歴史の朝鮮は性理学と朱子学を崇拝した。その一環として士農工商という徹底した身分社会が持続され、技術者は非常にぞんざいに扱われた。1592年から1598年まで韓半島で展開された壬辰倭乱(文禄慶長の役)と丁酉再乱(慶長の役)の余波で数多くの朝鮮人陶工が日本に連れて行かれた。陶工は朝鮮で下層民としてぞんざいに扱われていた。ところが、朝鮮人陶工は日本で技術者として正当な待遇を受けた。技量が秀でていれば富を蓄え、名誉まで得ることができた。朝鮮人陶工は努力しただけの待遇を受けられる日本で初めて技術が花開くことになった。

お陰で1600年代から日本で制作される陶磁器の品質と芸術性は朝鮮と中国の陶磁器を圧倒した。日本陶磁器はヨーロッパなどに輸出され、世界から賞賛を受けるようになり、日本の富国強制に大いに役に立った。李參平, 沈壽官, 百婆仙などは日本陶磁器産業発展に大きく寄与した代表的な朝鮮人陶工たちだ。朝鮮人陶工たちは後に朝鮮に帰る機会がいくらでもあった。しかし、朝鮮に帰った比率は10%に過ぎなかった。残りの90%は朝鮮への帰国を拒否し、技術者を優待する日本社会に定着した。

士農工商式思考は継続された。司法試験に合格して判事、検事、弁護士として出世することを最高の成功と見なす風土が韓国には近来半世紀以上続いた。今日では韓国の優秀な学生たちは医科大学入学を目標に熾烈に競争している。しかし、韓国での医師というのは、安定的な専門職として人気が高いだけで純粋科学を研究することとはややかけ離れている。

2017年11月2日、ムン・ジェイン政府の船出以降、初めて開かれた経済関係長官会議に若干遅れて到着した後、企画財政部長官(キム・ドンヨン)はさらに遅れて到着した公正取引委員長(キム・サンジョ)に向かって「私より遅いですね」という言葉をかけた。すると公正取引委員長はこう返した。

「財閥たちを懲らしめてきたんです」

キム・サンジョ公正取引委員長は大学教授出身の官僚だ。言い換えれば、学者出身の官僚がビジネス活動で儲ける大企業を懲らしめた、という話になる。朝鮮時代当時の両班など支配階級が、陶工など技術者に向けて大声を上げるのと根本的に変わらない形になった。

韓国がノーベル科学賞を受ける確率が低いことを裏付ける根拠であり、迷信や怪談を信奉する韓国人たちの非科学的態度もまた欠かせない。英国出身の女流旅行家「イザベラ・バード・ビショップ」(1831〜1904)は19世紀末に朝鮮を訪問した。彼女の朝鮮訪問の所感文にはこんな部分がある。

「朝鮮は迷信崇拝のために毎年250万ドルを浪費する」

当時、朝鮮全体の貿易額(1896年の例:1127万ドル=輸出473万ドル+輸入654万ドル)の20%以上を迷信崇拝に費やしたという話になる。当時の朝鮮は一般百姓と国家リーダーたちが誰彼無く迷信崇拝に陥って迷夢を彷徨っていた。ところが今日の韓国人もまた根本的に変わらない。日本統治時代当時に建設された主要な建物を指し「日帝が朝鮮の民族精気を断つために建設したもの」という形で言うことが少なくない。山で古い鉄の杭が発見された場合「日帝が民族精気を断つために打ち込んだもの」と規定する場合も多い。このように実体が全く無い非科学的「民族精気」というものを、今日多くの韓国人たちが硬く信じている。

迷信は今日の韓国で怪談という形に姿を変えて生き続けている。2017年6月19日、ムン・ジェイン大統領は「古里1号原発永久停止宣言式」行事でこのように述べた。

福島原発事故で昨年3月基準で計1368人が死亡した」

1368人という数値は客観的根拠が全く無いものであった。日本政府は6月22日、韓国政府に対し「正しい理解に基づいておらず非常に遺憾」という抗議を行い、6月28日、韓国政府は「錯誤があった」と釈明した。一国の大統領が演説文で市中に漂う根拠のない数値や怪談水準の噂を込めるという事実に非常に驚く。福島原発事故と関連し、今日多くの韓国人は非科学的な態度を見せる。これにより「日本は放射の汚染の塊」、「日本は死の土地」、「放射能まみれの日本農水産物」などの怪談たちが韓国で量産されている。

福島原発処理水放流の方針に対しても韓国人たちは非科学的な態度を堅持する。無条件に「福島汚染水放流で太平洋が放射能で汚染される」という形である。科学的分析を通じて福島放流が韓国に及ぼす影響はほとんどないという結論を出した報告書が2020年8月に公開された。ところが報告書を作成した韓国原子力研究員所属の研究員は懲戒を受けた。科学より怪談を信じたがる韓国政府と韓国人たちの機嫌を損なったことが懲戒の理由だったと疑われるのに充分な状況だ。

韓国社会が怪談に捕らわれたせいか、オリンピックを準備する日本をターゲットに「日本=放射能汚染国家」というメッセージを国際社会に伝える目的でポスターを制作して発信することまで起こった。

今日、韓国人の非科学的態度と怪談崇拝性向を代表的に示すのは2008年4月から3ヶ月間、韓国で行われた「狂牛病騒動事件」である。米国産牛肉を食べると狂牛病に罹り脳に穴が開くという形の怪談が韓国社会を支配し、興奮した韓国人たちは米国産牛肉輸入反対を叫び、会社員、学生、主婦、子どもなど老若男女の区別なく3ヶ月の間、ほぼ暴動に近いデモを展開した。米国産牛肉が狂牛病を起こすという怪談が生じ、これにより国民的暴動まで発生した国家は21世紀において地上で韓国が唯一だ。韓国でこれまで米国産牛肉を食べて狂牛病になったという人は一人も居ない。

結論として、技術者をぞんざいに扱う歴史の余波と非科学的な会談崇拝文化が韓国人のノーベル科学賞受賞を妨げている理由と見ることができる。



趙甲濟ドットコム「韓國人이 노벨 科學賞을 受賞하지 못하는 理由(韓国人がノーベル科学賞を受賞できない理由)」より一部抜粋

ノーベル賞が全てとは思いませし、学者が莫大な利益を生み出す企業に物申してはならないとも思いません。
それに官僚制度の発達という意味では、中国も日本もそうですし、特に日本は理系より文系を優遇しがちなのは今も変わらないでしょう。

それよりもっと根本的な「好奇心」の部分じゃないのかなぁという気がします。
勉強するにしても研究開発するにしても好奇心って大事だと思います。テストに合格するだけで良いなら、そこまでしかやらないじゃないですか?でも好奇心が原動力ならその先まで進めます。
ノーベル賞も結局は同じで、「ノーベル賞を取ること」を目標にしている間は「好奇心」を原動力に研究している人たちには質で勝てるわけないと思うんですよねぇ...。