「反知性主義」と「自由」を35回叫んだ就任辞の話

ユンさんの就任演説が行われましたが、日韓関係には一言の言及も無かったとのことですので特に詳細はご紹介しません。
ただ、「自由」という言葉を35回(私が数えたんじゃないですよ)使ったり、「反知性主義」という言葉を盛り込んだり...自由民主主義国家の大統領演説としては少し時代錯誤感がありました。
反知性主義」とは、知的思考や論理的考察、科学的思考より感性と思いつきによる行動、直感の優位性を主張することです。リチャード・ホフスタッターという政治学者が1963年に出版した著作の中で使った用語「Anti-intellectualism」の訳語です。

演説の基本草稿は引き継ぎ委員が用意したのですが、少なくとも「反知性主義」の部分はユンさんが自分で加えたとのことです。

 



ハンギョレの記事からです。

反知性主義で民主主義の危機」の部分、ユン大統領が直接書いた


(前略)

大統領室のある関係者は10日、<ハンギョレ>との電話取材で「今日発表された就任演説の草案はユン大統領が直接書いた」とし「大統領が就任演説の草案を受け取り『私が書く』として書いたもの」と述べた。彼は「もちろん、色々な草案の影響を受け、それが積み重なったのは事実だが、それをそのまま論点にしたわけでは絶対に無い」と付け加えた。

この日の就任演説で言及された「多数の力で相手の意見を抑圧する反知性主義が民主主義を危機に陥れた」という部分はユン次期大統領の強力な意思が反映されたという。大統領室関係者は「他人の意見に反論するときは、真実や証拠に基づいてこそ討論になる。しかし、陣営が変わったからといって、一つの事案についての意見や視点が変わったり、説明もなくそうしたことが正しいとは思えない(次期大統領が)考えているようだ」と述べた。

(後略)



「"반지성주의에 민주주의 위기" 대목, 윤 대통령이 직접 썼다(「反知性主義で民主主義の危機」の部分、ユン大統領が直接書いた)」より一部抜粋

ナムウィキ(韓国版wiki)の説明によると、反知性主義の目的は、集団のアイデンティティと体制の維持を優先することで、そのために学問に基づく批判を抑えるために愚民化を行うとあります。これらは知識層とエリートを抑圧、マスコミを統制することで情報を遮断、また歴史歪曲などを通じて行われる、と。
これの対象を「日本」に限定すると「反日種族主義」になりますね。

大統領室関係者が言う「陣営が変わったからといって〜」については、「何をアタリマエのことを」としか言いようがありません。
またユンさんの言う「多数の力で相手の意見を抑圧する〜」のところは、私はラムザイヤーさんへの執拗な攻撃を想起しました。もしかしたらユンさんは自分自身への攻撃のことを言っているのかもしれませんけれど。

もう一つのキーワード「自由」についても軽く紹介しておきます。なにしろ35回も口にしたそうなので、並々ならぬ思いがあることでしょう。

 

 



ペンアンドマイクの記事からです。タイトルに「就任演説全文」とありますが、全文は訳していません。

[就任演説全文]ユン・ソクヨル大統領、就任演説で「自由」を35回叫んだ


(前略)

10日午前、ソウルの汝矣島国会議事堂で開催された第20代大統領就任辞でユン大統領は「自由」に、なんと35回言及した。自由民主主義と市場経済という大韓民国の国体を崩壊させようとしたという評価を受ける前ムン・ジェイン大統領との差別化を明確にしたのだ。

(中略)

ユン大統領は「今、全世界はパンデミック危機、交易秩序の変化と供給網の再編、気候変化、食料とエネルギー危機、紛争の平和的解決の後退など、ある一国が独自に、あるいはいくつかの国だけが参加して解決しにくい難題に直面している」とし「また韓国を始めとする多くの国が国内的に超低成長と大規模失業、両極化の深刻化と、多様な社会的葛藤によって共同体の結束力が揺れて瓦解している」と述べた。

(中略※これらの主な原因として「反知性主義」を上げている)

ユン大統領は「私はこの困難を解決していくために、私たちが普遍的価値を共有することが非情に重要だと考える。それはまさに『自由』」とし、「私たちは自由の価値をきちんと、そして正確に認識しなければならない。自由の価値を再発見しなければならない」と強調した。

彼は「自由は普遍的価値」として「自由市民になるためには一定水準の経済的基礎、そして公正な教育と文化との接近機会が保障されなければならない。このようなことなくして自由市民とは言えない」と述べた。

(後略)



ペンアンドマイク「[취임사 전문] 윤석열 대통령, 취임사에서 ‘자유’ 35번 외쳤다([就任演説全文]ユン・ソクヨル大統領、就任演説で「自由」を35回叫んだ)」より一部抜粋

「いくつかの国だけが〜」はクアッドを指しているのかな、という気がします。困難な課題だからこそ協力すべきだ、だから(ワーキンググループにだけ)入れてくれ、と。

彼が言う「自由」とは「Liberty」でしょうか?それとも「Freedom」でしょうか?
日本語はどちらも「自由」に訳されますし、韓国語も恐らくどちらも「자유」に訳すでしょう。

教育云々言っているので、恐らく機会の自由というか、人が生まれながらに持っている自由(Freedom)の意味合いが強いのかな、という気がします。(某巨人化する青年が希求している自由)
ただそれだと「学ばない自由」が保証されないことになります。国家が個人の人生を「管理」する側面が強くなります。束縛や義務からの解放である自由(Liberty、尾◯豊の「卒業」的な)と真っ向対立するように思うのですけれど、ユンさんの言う「自由の普遍的価値」とは?本当にそんなものがあるんでしょうか?

自由民主主義陣営が今の体制なのは、その方が都合が良かっただけであって、普遍的にそれが正しいからでは無いのではないでしょうか?
個人的に「普遍的価値を共有」という文言は「私たち、共通の趣味を持ってます(今は)」くらいの意味で捉えるのが良いのでは、と感じていて、本気で「普遍的価値」を追求すると排他主義まっしぐらな気がします。

物事全てに「普遍的価値がある」とするのが儒教的思想と言ってしまえばそれまでかもしれませんが。