車椅子利用者が日本旅行から感じた韓国との違いの話

韓国の女子高生の日本旅行のコラムがあったので紹介します。
コロナによる入国制限が解除された先月、母親と2人で大阪を訪れたという著者ですが、彼女は車椅子ユーザーです。
母国とは勝手が違うし言葉も通じない中で、彼女が感じた日本社会と韓国社会の「障がい者」の受け入れ方の違いについてです。
まあ、記事タイトルが答えになっているのですが日本では「どこにでも行けた」として、韓国ほど移動の制限を受けなかったとしています。その理由や状況を細かく伝えているのですけれど、「招かれざる客にならない」というのが、一番大きかったのではないかと思います。

 



ハンギョレの記事からです。

大阪では車椅子でどこにでも行くことが出来た


先月、母と日本の大阪に4泊5日の旅行に行ってきた。コロナウィルスの流行以来、初めての外国旅行であるだけに楽しい時間を過ごした。今回の旅行ではとても意味深い経験が出来たが、まさに「3つの信頼」を知ったのだ。

一つ目は「どこへでも行けるという信頼」である。大阪の有名な「道頓堀」通りで昼食にうどん屋を訪れた。私たちを案内した店員は「1階に席がなく2階で食べなければならない」と言った。建物があまり大きくないので当然エレベーターは無いと思った。しかし店にはエレベーターはもちろん広い障がい者トイレまであった。この他にも大阪市内の多くの建物にスロープ、リフト、エレベーターのような障がい者便宜施設が充実していた。日本は2006年に「バリアフリー(barrier-free)法案」を導入し、障がい者便宜施設の設置を法律で義務付けている。旅行中ずっと市内を移動しながら私が行けないところより行けるところが多いという事実に刺激を受けた。

韓国では手動車椅子に乗って一人で外出すると、デコボコした道の上で車輪を押すのにすぐ疲れてしまう。非障がい者には分かりにくい微細な傾斜や亀裂が車椅子使用者には大きな難関になる。韓国では普段は無条件に電動車椅子に乗って外出するが、大阪では毎日5kmを超える距離を手動車椅子に乗って移動した。

(中略)

二つ目は「いつでも助けてもらえるという信頼」だ。初めて大阪の地下鉄に乗った時、列車とホームの間の間隔がとても広くて驚いた。ソウルでこの隙間に車椅子の車輪が挟まれる危険な状況を何度も経験したので似たような事故が起こるのではないかと心配した。しかし、そのような心配は無意味なほど列車に安全に乗ることができた。駅員たちが搭乗を手伝ってくれたからだ。大半のソウル地下鉄の駅舎は駅員の数が足りず通りすがりの人に助けを求めなければならなかった。一方、大阪の地下鉄では行く先々で専門的な支援人材が配置されており、安心して地下鉄を利用することが出来た。

旅行中ずっと過ごしたホテルのレストランでも同じようだった。初めて朝食を食べに行った時、食堂のドアの前に階段が3つあることに気づいた。母と私はデスクにいるスタッフに助けを求めた。すると職員が倉庫から移動式スロープを持ってきて、簡単に階段を上がることができた。

(中略)

人生で歓迎されない気持ちを感じたことはあるだろうか?韓国で車椅子と共に過ごした17年、私は数えきれないほど「招かれざる客」にならねばならなかった。人と同じに日常を過ごしても誰かは同情し、誰かは慌てた様子を見せ、誰かは冷淡な視線で眺める。このような現実に懐疑心を持っていた。

日本で悟った最後の信頼は「招かれざる客にならない信頼」だ。一言も通じない見知らぬ環境を心配しながら旅立った。しかし、そのような心配が色あせるほど私を歓迎してくれる街と人々に大きな慰めと勇気をもらった。
旅行を終えて家に戻って考えてみた。誰もが歓迎される世の中をどうすれば作ることが出来るだろうか?韓国ではとても長く、もしかしたら一生答えを探す質問だと思う。



ハンギョレ「오사카에선 휠체어 타고 어디든 갈 수 있었다 [숨&결](大阪では車椅子でどこにでも行くことが出来た)」より一部抜粋

私は身体に障害を負ったことも、一時的にしろ怪我で歩行が困難になるという経験もありません。せいぜいが子供の頃の捻挫くらいです。
そのため、こういう不便を感じやすい視点からの日本の見え方というのはなかなか新鮮でした。