映画「英雄」...虚偽事実で作られた「感動シーン」の話

「英雄(영웅)」という韓国映画があります。安重根を主人公にしたミュージカル映画です。
ボックスオフィスという観客動員数ランキングによると、昨日2月11日時点での累積観客動員数は318万6836人となっています。当初は100万人を超えないと言われていたのですけど、予想を裏切る大ヒットとなっています。
韓国で公開された歴代日本アニメ興行ランキング1位が「君の名は。」の379万人と聞けば、どれくらいの規模感かなんとなく察せられるでしょうか?ちなみにスラムダンクは273万1738人で16日連続で1日当たりの観客動員数1位です。

 



安重根が主人公と聞くと、「伊藤博文暗〇(처단하는;処断する)」をテーマに彼を英雄視する映画かと思われるかもしれませんが、どうも違うようで。中央日報によると、ハイライトシーンは二か所、安重根ウラジオストクからハルビンに向かうシーンと法廷のシーン。どちらもモブによるコーラスで盛り上げることで「安重根が民心に支えられている」ことを表現しているとか。

そして中央日報は次のように書いています。
安重根ハルビン義挙は1910年以降ではなく、その直前の1909年10月26日のことだった。鋭敏な旧韓末の知識層である安重根は、伊藤博文が生きている限り東アジアの平和は達成できず、朝鮮の強奪を防ぐことができないと予見したのだ」
この時点で「う、うぅ~ん...?」な気分は否めないのですが、映画本編においても明らかな歪曲シーンがあったようです。それが「安重根の母親が息子に宛てた手紙」です。

こちらは朝鮮日報の記事からです。

[単独」「安重根の母親の『手紙』は日本人僧侶の捏造だった」[ユ・ソクジェの突発史伝]


安重根(1879~1910)義士の義挙を扱った最近公開された映画「英雄」で観客を大きく感動させたのは、結末で安重根の母親チョ・マリア(1862~1927)女史が登場する場面でしょう。チョ女史は監獄にいる息子の安重根にハングルで書いた手紙を伝えながら「命を乞わず大義のためにね」と励まし経帷子*1を送ります。

(中略)

文章の順序と一部表現の違いはあるものの、その手紙の内容はこれまで様々な書籍やメディアを通じてよく知られたものです。すぐ下のaです。(以下の資料を「a」と「b」に分けて区別します)

a「もし、あなたが年老いた母親より先にぬことを親不孝だと思うなら、この母親は笑いものになるだろう。あなたのはあなた一人のものではなく、朝鮮人全体の公憤を背負っているのだ。あなたが控訴するならそれは日本に命を預けることだ。あなたは国のためにこれに至った、つまりほかの決心をしないでになさい。正しいことをして受けた刑なのだから、卑怯に人生を物乞いせず大義に死ぬのがこの母に対する親孝行だ。おそらくこの手紙が母があなたに書く最後の手紙になるだろう。ここに壽衣を仕立てて送るので、これを着ていきなさい。母は現世であなたと再会することを期待しないから、来世では必ず善良な天父の息子となってこの世に出て来るよう」

現在、大多数の韓国人は安重根の母親が死刑を控えた息子にこのような感動的な言葉を伝えたと信じて疑いません。

ところで...私が先日他の資料で見たチョ・マリアの伝言はかなり違う内容でした。

b「母は現世であなたと再び会うことを望まないので、あなたはこれから神妙に刑を受け、早く現世の罪悪を洗い流した後、次の世では必ず善良な天父の息子となって世に再び出てこい。あなたが刑を受ける時、ビレム神父があなたのために山を越えて遠い道を行って、あなたの代わりに懺悔を捧げるから、あなたはその時の神父の導きのもと、私たちの教会法道に従って静かにこの世を去りなさい」

aはbの最後の文章から始まりながらも、aに出てきたそれまでのすべての話が抜け落ちている反面、かなり読みづらい意外な内容が追加されています。aは「あなたは大義によって立派なことをしたのだから、命を乞わず堂々とね」という内容だが、bは「あなたは現世で殺人という罪を犯したのだから、神父があなたの代わりに懺悔するだろうし、あなたはそれによって適当な刑罰を受けてんだ後、罪を洗い流し生まれ変わりなさい」と叱る内容です。特に「罪悪」という単語を見て目を疑う人も多いでしょう。

(中略)

まず「手紙」として知られたaの実態と出所は非常にあいまいでした。2016年、この手紙について「伝えられる話に過ぎず、実際の記録して残されたものはない」という報道もありましたが、いつ、どの経路で伝えられたのかは言及されていません。

ところが2019年3月7日、インターネットメディア「ニューストップ」に意外な書き込みが掲載されます。イスラム専門家のキム・ドンムンさんが書いた記事です。手紙aが初めて登場した資料は、日本の大林寺の住職である齋藤泰彦*2が書き、1994年1月に出版された本「わが心の安重根」だったということです。この文は「オンラインと日常で回覧されるチョ・マリア女子の手紙は、日本人の齋藤泰彦住職を通じて唯一伝えられる口承に過ぎない」と結論付けました。

齋藤はどういう根拠でそんな「手紙」の内容を本に書いたのでしょうか?先日、キム・フン小説「ハルビン」が安重根を歪曲したとして論文で批判した学会の安重根専門家で韓国近現代史学者のト・ジンスン昌原大学教授に電話をしました。彼はちょうど映画「英雄」を見た後、問題が深刻だと考え「チョ・マリアの手紙」を主題に論文を書き「歴史批評」に投稿したと言いました。

論文のタイトルは「安重根の母チョ・マリアの<手紙>と<伝言>、操作と実体」です。

(中略)

安重根ハルビン義挙の日は1909年10月26日でした。弟の安定根と安恭根が安重根に初めて面会した日付は12月23日で、ここで母親チョ・マリアの「伝言」を伝えました。この面会の光景は12月24日付けの大阪毎日新報が初めて報じ、29日の大韓毎日新報が同じ内容を報じました。その内容はこうです。

「(前略)
2人の弟が母親が送った十字架を取り出し、兄の安重根の目の上に奉じて祀り、母親の<伝言>だと...」

2人の弟は確かに母親が書いた「手紙」を持って行きませんでした。伝言、つまり母親のチョ・マリアの言葉を兄の安重根に伝えただけです。その次に出て来るチョ・マリアの伝言は...。

上記のbの内容でした。現世で再び会うことを望まないから、お前は刑を受けて早く現世の罪悪を洗い流し、次の世では必ず善良な天父の息子となって世に再び出てこい、という。そして神父様が代わりに懺悔を捧げるという。

(中略)

チョ・マリアの2番目の「伝言」は年が変わった1910年2月1日付けの報道です。ト・ジンスン教授が最近見つけたものです。韓国人弁護士のアン・ビョンチャンは旅順地方裁判所から公判の弁護を拒否された後、安重根と面会してチョ・マリアの言葉を伝えたということです。「あなたが国家のためにここまでしたのならんでも光栄だし、母と子がこの世では二度と会えないから定離*3としてはどうだろう」、最初の伝言でも述べたように、息子が罪を犯したと考えながらも、そのことが国のためだったことは理解しているし、二度と会えないと思っているということです。

3回目の伝言は安重根が死刑宣告を受ける前日の2月13日に再び面会に来た2人の弟が伝えた母の言葉で、同日満州の日刊新聞に掲載されました。「結局、死刑の言い渡しを受けたのなら、きれいにんで早く天国の神様のもとに行くようにしなさい」という記事は「しっかりした良心の心に検察官も胸が詰まった」と書いています。

(中略)

やはり最初の伝言と同じように「んで償え」という意味になるのです。

チョ・マリアの「伝言」はこの3つが全てです。他にはありません。
私たちがよく知っている「手紙」aの大部分を占める内容、「朝鮮人全体の公憤を背負った」「大義ぬのが親孝行」「正しいこと」「笑いもの」「親不孝」などの内容はどこにも見当たりません。「孝」や「義」への言及自体が無いのです。

では、チョ・マリアが送ったという「手紙」は?

はい、どこからも全然見られません。「伝言」があっただけで「手紙」はありませんでした。

(中略 ※手紙が登場し始めるのは2010年前後で、その出所が...)

1994年に出版した「わが心の安重根」だったということです。齋藤は東北大仏門科を卒業し、朝日新聞記者として活動したといいます。

彼が書いた「わが心の安重根」は安重根が旅順監獄に収容されていた時、日本人看守だったという千葉十七(1885~1934)と安重根の縁を中心に書いた本です。しかし、斎藤住職は1935年生まれなので千葉と会って証言を聞くことが出来なかったので、本の信ぴょう性には当然疑問があります。

(中略 ※本では「伝言」が死刑宣告「後」になされたという誤った記述があること、「手紙」の存在が本出版以前、どの資料にも見られなかったことに触れ)

「早く刑を受けなさい」ということの理由が、最初の伝言のように「現世の罪を洗い流すため」ではなく「義挙を行ったため」と意味が完全に変わったのです。

(後略)



朝鮮日報「[단독] “안중근 모친의 ‘편지’는 일본인 승려의 조작이었다” [유석재의 돌발史전]([単独」「安重根の母親の『手紙』は日本人僧侶の捏造だった」[ユ・ソクジェの突発史伝])」より一部抜粋

キリスト教徒(マリアは洗礼名?)が「生まれ変わり」を信じているような発言が妙ですね。

それはともかく、またしても「日本人」によるやらかしです。第二の吉田清治。そして「朝日」...またお前か。


なぜ齋藤氏がありもしない「安重根の母の手紙」について本に書いたのか。これについて記事に出て来るト・ジンスン教授は、大林寺に安重根の慰霊碑が建てられたことに触れ、訪日韓国人客を誘導するためだったのではないか、と見ています。


さらに「手紙」で送ると書かれている「壽衣(経帷子)」ですけど、映画では母親お手製のものを着て刑場に向かう演出があるそうですが、これも実際には「あり得ない」そうです。
1910年3月8~11日に神父が面会した際にようやく「服に血がついて汚れているので朝鮮風の白服に着替えたい」と本人からの要望だった、と。
3月24日付の満州の新聞が「安重根が注文した白い韓服は2~3日前に旅順の旅館に泊まっている2人の弟宛てに送られてきた、価格56ウォンのとても立派なもの」と報じているそうで、値段まで分かっている既製品です。


記事は最後に「なぜチョ・マリアは息子にそんなひどい言葉を送ったのだろう?」という疑問(?)を、敬虔なカトリック信者としての立場と解釈しています。カトリックの教義上、他者を害することは十戒に違反することで聖書原理に従って死をもって贖罪しなければならない、という宗教的立場だったとの解釈です。
彼女の伝言は「決して日帝の判決や植民地政策に同調するもの」ではなく、その後も「独立運動の後援者として代母の役割を果たした」功績に変わりはないということでしょう。

個人的には例えそうだったとして、観客の愛国心掲揚や同情心を煽るために本人の意思を捻じ曲げた映画を作っていることに対してはどうなの?って思うんですけど。



*1:原文「수의(壽衣)」。死に装束のこと。

*2:たいけん

*3:別れる定め