韓国軍による北朝鮮人拉致被害者問題の話

日本で「北朝鮮拉致被害者」と言うと、「北朝鮮工作員によって拉致され北朝鮮に連れ去られた人」を指します。
韓国でも同じ意味の被害者が居ますが、逆のパターンもあるのが日本と違うところです。すなわち「韓国の工作員によって拉致された北朝鮮人」です。

先日、韓国の裁判所で19歳の時に韓国工作員に拉致され韓国に連れて来られた「被害者」が韓国政府を相手取って起こした損害賠償請求訴訟の判決で、国家賠償責任を認めた原告勝訴の判決が出ました。(まだ一審ですけど)

この件自体は直接日本と関係ないですが、「人道に対する罪」「人権侵害」に対してアレコレと日本に批判的な韓国政府および韓国社会がどのように対応するのか、個人的に興味のある事件です。

 



ハンギョレの記事からです。

19歳で韓国に拉致、捻じ曲げられた86年の人生...国家賠償認定されたが


19歳で拉致されてきた子供は86歳の老年になった。67年。ひどく長い歳月だった。家族と友人、夢と若さ、いや一度きりの人生を根こそぎ奪われた歳月だった。2023年2月14日、キム・ジュサムさん(86、京畿道コヤン市)は弁護士から裁判所の判決の知らせを聞き、万感の思いだった。

(中略)

同日、ソウル中央地裁民事合議37部(パク・ソクグン裁判長判事)は1956年、北韓で韓国の北派工作員に拉致され連行されたキム氏が国家を相手取って起こした損害賠償請求訴訟で「被告(国家)は原告(キム氏)に慰謝料10億ウォンを支払え」と原告勝訴判決を下した。裁判所は「(国家がキム氏の)身体の自由、住居・移転の自由、幸福追求権など人間として当然享受すべき基本権を侵害した不法行為を行い、原告がこれによって甚大な精神的苦痛を受けた」と認めた。「家族と生き別れ、強制労働で大切な青春を犠牲にした苦痛は一生癒せない」と話した。

雑用係として働いた、報酬は無かった

裁判で国はキム氏の損害賠償請求権消滅時効が過ぎたと主張した。しかし裁判所は「国家傘下の『真実・和解のための過去史整理委員会(真実和解委)』で犠牲者と規定した人を相手に国家が消滅時効の完成を主張することは信義誠実の原則に反する権利濫用に該当する」という趣旨の最高裁判決(2013D116602)を引用し、キム氏の手を上げた。大韓民国の裁判所が北韓派遣工作員北韓住民を拉致した事実と国家の賠償責任を認めたのは今回が初めて。

(中略)

キム氏の故郷は北韓の地である黄海道ヨンヨン郡ヨンヨン邑の海辺の村だ。

(中略)

韓国戦争の砲火が休戦協定によって止まって3年が過ぎた1956年10月10日深夜、当時遅くに中学生の5人兄弟の長男だったキム氏は弟たちと一緒に寝ていた。

「オンマは居ませんでした。病院の食堂で働いていて、そこで寝泊まりしていた。昼に家を行き来していた。私たちだけで寝ていると、突然軍人3人が部屋に入ってきて私を起こして『行こう』と言うのです。銃を突き付けて。驚きのあまり一言も言えませんでした。弟たちも目が覚めたはずだが怖くてじっとしていたんだろう」

(中略)

当時、国軍空軍諜報隊のペクリョン島派遣隊は黄海道出身の青年たちを募集し、北派遣工作員として訓練した後、特殊任務を指示した。「敵地に入って誰でもいいから拉致して来い」。工作員たちは夜陰に乗じて北韓の地に潜入した後、海辺の人里離れた民家3、4ヵ所のうち1ヵ所で一番年上の男性を連れてきた。キム・ジュサム氏の人生が変わった瞬間だった。キム氏はペクリョン島とインチョンを経てソウル九老区オリュ洞所在の軍部隊に抑留された。

(中略)

韓国と米国の軍情報当局は中学生のキム・ジュサムから軍事情報を引き出そうと1年近く交互に尋問したが、これといった情報が出るはずが無かった。だからといって再び送り返すことも出来なかった諜報隊はキム氏を雑用係と呼んだ。最初の数ヶ月間は米軍諜報隊で「ショーティ(shorty、チビ)」と呼ばれ靴磨きのような雑用をした。以後、米軍部隊と韓国軍部隊が統合運営する輸送部であらゆる雑用を引き受けた。報酬など無かった。

(中略)

当時、同部隊の兵士として服務したイム某氏が2021年、真実・和解委のキム・ジュサム拉致事件の真実究明調査の際、参考人として供述した部分はこうだ。

「1956年秋ごろ、部隊食堂で初めて会った人が一人で食事を食べているが軍人のようでは無かったので調べてみたら諜報隊が北韓から拉致してきたキム・ジュサムだった。当時、昼間は取り調べを受けて夕方に入って内務班で一緒に寝ていた。夜になるとこっそり出て金網を掴んで無く姿をあまりにもたくさん見たので気の毒で可哀そうで(私が)除隊した後も面倒を見た」

そのようにして5年ほど部隊に抑留されていたキム氏は1961年、突然部隊から追い出された。自身の経験を決して口外するな、との脅しとともに。頼る宛もなく、韓国社会に対する知識と情報は全くない一文無しだった。居住地の住所は黄海道ヨンヨン郡からソウル九老区オリュ洞の諜報部隊近くに住んでいた輸送隊の文官が自宅の住所にキム氏の臨時戸籍を作ってくれた。

(※その後、かつての部隊員の紹介で知り合った同じ黄海道出身の女性と結婚。まともな職には付けず、数十年間ビニールハウスで生活しながら職を転々とする貧困生活)

キム氏は裁判所判決の頼りに「かなり遅くなったがよかった」と話した。「私債(借金)が少しあるのだが、賠償金が出たらまず借金を返す。子供たちも借金が少しあるので手伝って。私がお世話になた人がいる。食事を奢ってもらったり、煙草を買ってもらったりした人がいるんだけど、その人たちにもお返しをしないと。そうやって生きていかないと、はは」。

(中略)

2023年2月24日、真実・和解委は立場文を出し「今回の判決は国家によって究明されなかった事件の真実を世に初めて明らかにしたことで過去の国家暴力の被害者が権利救済を受けることに寄与したという点で過去史整理と真実究明の重要性が確認された」と強調した。真実・和解委はまた「被害者が高齢であることを勘案し、名誉回復と家族再会の機会など残った勧告措置も早く履行されることを」と促した。

キムさんの息子(56)は「父は国家が裁判所の判決を不服として控訴したり損害賠償金を再び奪うのではないかと心配している」と漏らした。1審判決が出てから1週間、真実・和解委員会の決定と勧告が出てから6ヵ月が経っても国はキム氏に謝罪どころかいかなる連絡もしていない。

(後略)



ハンギョレ「19살에 남한으로 납치, 굴곡진 86년 삶…국가배상 인정 받았지만(19歳で韓国に拉致、捻じ曲げられた86年の人生...国家賠償認定されたが)」より一部抜粋

北朝鮮の教育制度を知らないので、19歳で中学生というのがどういう状況なのかはちょっと分かりません。


言い方は悪いんですけど、この判決のウケるところは「真実・和解のための過去史整理委員会」が「国家が消滅時効を主張してはならない(意訳)」との見解を示した「2013D116602」が根拠になっているところです。
「真実・和解のための過去史整理委員会」は2005年12月に施行された「真実・和解のための過去史整理基本法」のための独立調査機関です。
この法律の第一条(目的)には次のことが書かれています。

この法律は、抗日独立運動、反民主的または反人道的行為による人権蹂躙と暴力・虐待・疑問死事件などを調査し、歪曲または隠蔽された真実を明らかにすることによって民族の正当性を確立し、過去との和解を通じて未来へ進むための国民統合に寄与することを目的とする。
韓国法令情報センターより

このように日帝時代のことを現代法で裁くために作られたと言っても過言ではありません。今回の判決は実に見事なブーメランですね。

ところで、キムさんの話(賠償金で借金を返したい、お世話になった人にお返ししたい...など)は「謝罪を求める」とか「お金の問題じゃない」とか言われるより好感が持てる、というかシックリ来る気がします。変な言い方ですけど。