2月6日の衆議院予算委員会の中で、維新の西田薫議員から公立学校の教員が自身の思想を生徒に押し付ける「思想教育」「偏向教育」が行われているとの指摘がありました。
具体例として大阪の公立小学校の給食の時間に「いただきます」を韓国語で言わせたり、給食中に生徒の席を回りながら韓国・朝鮮文化を教える、廊下ですれ違う時は「韓国語で挨拶」をさせるなどの指導がされていると。
これは大阪の教育委員会に実態調査を依頼し、正式に「そうした事実が確認された」と回答を貰っている事例だそうです。
本日は記事の引用では無く動画の紹介と、私の実体験を少しお話したいと思います。
以下の動画が国会の予算委員会での発言です。該当箇所(2時間15分頃)から再生されます。
私は大阪出身ではありませんが、関西地方です。感覚的に関西は「こういう」雰囲気の学校が多数派だと思います。
ここからは私の体験です。あくまで私個人の体験ですが、関西圏で育った人間の一つのサンプルとしてお読みください。
小・中・高と公立学校に通いましたけれども「君が代」を歌ったことは一度もありません。入学式・卒業式・音楽の授業いずれにおいてもです。さすがに日の丸は掲揚されていましたけどね。
今から思うと中学の音楽教師はバリバリのリベラルだったように感じます。
授業中に一度だけ「君が代」に対する考えを察せられる出来事がありました。
確か、生徒の誰かが「なんで授業でやらないのか?」と質問したときだったと思います。「なぜ授業でやらなければならないのか」と、生徒に聞き返していました。「国歌だから」という生徒の回答に「これは国歌ではない*1」とにべもありませんでした。
国歌ではないから授業でやらない、という理由こそ理由になっていない気もしますが、剣幕は相当なもので生徒はドン引きです。興奮すると顔が赤くなるタイプの人だったために、いかに血が昇っていたか、いかに必死で抑えていたかが分かりやすかったです。
正式に国歌となって以降、その先生がどのように対応されたのかは知りません。
まあ、教員が左巻きなのはさして珍しいことでもありませんし、中学において「親韓」教育はありませんでした。
動画内で指摘されているような「教師個人の思想」はどちらかというと高校でありましたね。
1年のときの担任(担当:世界史)の教師には、授業中にハングルで名前を書かされたことがあります。一度だけですけど。
その年の合唱コンクールでは韓国の歌を歌わされました。日本語に訳されたものですが、確か担任による訳詞じゃなかったかな…?
最悪だったのが、いくつか課題曲を選出して「多数決で選んでもいいけど、強い希望が無ければ先生に選ばせて欲しい」というように「生徒の自由意志で」教師に選択権を委ねたかのように演出した点です。
当時、クラスの女子からはさほど好かれていない先生でしたが(この年頃の女生徒は女性教師は大体嫌う)他人に興味の無い私は別になんとも思っていませんでした。授業は比較的分かりやすかったですし、生徒によって態度を変えることは(少なくとも表面上)一切無く、激することも無く、恐らく模範的な教師だったろうと思います。
ただ、今改めて思い返すとギリギリアウトにならないラインを見定めつつ個人の思想を刷り込もうとするような...結構ヤバイ先生だったかもしれません。
しかし、逆説的に言えば、緩いとはいえ「思想教育」を受けていた私でもオカシイと思えるほど今の韓国がオカシイということですかね。
*1:国旗及び国歌に関する法律制定前です。いつ制定されたかは調べないでください…年がバレる