邪馬台国九州説の証拠?の話

三国志の中では魏が一番好きです。
登場人物の中で一番好きなのが荀令君なのが大きな理由ですけれど、曹操は他の2人(劉備孫権)と比較して間違いなく頭一つ飛び抜けたある種の天才であっただろうと思います。


で、そんな曹操の陵墓(お墓)は2009年に中国の河南省安陽市(北京から南西に約500km)で見つかったわけですが、そこから出土した鉄鏡が物議をかもしそうな予感がします。


曹操の陵墓から出土した鉄鏡をX線で検査したところ、日本の大分県日田市で発掘された「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)」と、ほぼ同型である可能性が学術交流団に参加した中国の研究員から示されたそうです。

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左)曹操陵墓から出土した鉄鏡 右)金銀錯嵌珠龍文鉄鏡

鋳造技法では粘土で元となる素体を作り、それを使って砂で型を取り、更にその砂型に鉄を流し込んで造られます。
砂型は使い捨てになりますが、素体は繰り返し使えるため、同じ素体を雛形に造られた鉄鏡は形が酷似します。

魏の曹操が金錯鉄鏡を持っていた、ということは魏書に記述があったので知られていましたが、もっと大きなサイズだと言われていました。
どうやら違ったようです。


九州説の証拠となるかも?

邪馬台国の存在は日本の歴史書では確認できません。
唯一の史料として、三国時代の魏の歴史書である魏書の中の「魏志倭人伝」に邪馬台国の女王卑弥呼が使者を送ったことが記述されているのみです。


魏志倭人伝」には邪馬台国への道程が記述されているのですが、それが意味不明のため、邪馬台国の所在について九州説、畿内(近畿)説、徳島説(つい最近の新説)などなど…さまざまな説が提示されています。

※不自然な位置関係の記述など、そもそも史料としての信憑性を疑問視する歴史家もいます。


もし曹操の鉄鏡が九州で出土した「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」と同型であることが正式に調査結果として発表されれば、邪馬台国=九州の有力な証拠となるかもしれません。