紫陽花がキレイな季節になりました。
江戸の頃はあまり人気ではなかったようですが、現代においては梅雨の季節と言えば紫陽花ですね。
我が家の庭先にもいくつか鉢があります。
古語では「よひら(四葩)」と言うそうで、俳句では夏の季語として使われます。
「よひら」は花弁が四枚あること、の意味として使われます。
紫陽花の一見花のように見える部分は、実は「ガク」で花ではないのですが、この中心部分の最小構成が四枚になっているのがその由来だとされています。
紫陽花は「しおれる」
日本語には、花の終わりを表す表現が豊富です。
和歌に由来するものが多いと言われていますが、その中で紫陽花は「しおれる」と表現されます。
桜のように花びらがハラハラ散ったり、椿のように丸ごとボトリと落ちたりしませんからね。
他にも朝顔を「しぼむ」、牡丹や芍薬を「くずれる」と表現します。
この2つは大振りで派手な花があっという間に花弁を落として形が崩れていきます。
「立てば芍薬〜」と美人の表現に使われる花ですから、その様はまさに「美が崩れる」ようです。
こういう表現の細やかさに自然への繊細な感覚が現れていて、そういう所が日本語の大きな特徴であり魅力だと感じます。
※ちなみに、この手の話をネットで検索すると「梅はこぼれる」と出るのですが、万葉集では普通に「散る」と表現されています。 いつから梅を「こぼれる」と表現するようになったのか謎です。 というか、梅を「こぼれる」と表現したものを見たことがない気がします…。