昨日、韓国人の「奴隷根性」に関するコラムを紹介しました。
その冒頭で、かつてパク・チョンヒ氏が「奴隷根性(=植民地根性)を直す」ことと「反日」とを結びつけたという話を少ししました。
少し古いのですが、2014年にプレシアンに掲載された記事でその辺りのことが詳しく触れられているので紹介します。
プレシアンの記事からです。
パク・チョンヒはなぜ韓国人の「奴隷根性」に注目したのか
(前略)
プレシアン:5.16クーデター主体勢力は政権を握った後、「革命理念」ということを強調した。しかし彼らが明確な理念を持ってクーデターを起こしたとは考えにくいという指摘もある。
ソ・ジュンソク:5.16クーデターを起こした、いわゆる「主体勢力」という人々の政治的理念が何かについて書かれた本は事実上ほとんどない。クーデターを始めたのが1960年9月(忠武装*1からのクーデター決議)だとすれば、1961年5月に至るまで、自分たちだけでセミナーを開き「このように政権が間違って、社会が間違って回っているので、このような国、こういう社会を作ってみよう」という具体的な議論をしたはずだが、そういうことはあまり出てこない。
(中略)
クーデターを企画した陸士8期生であれ、行動隊、つまり軍を率いてきた陸士5期生であれ、この人々には極右反共主義、「反共態勢を再整備・強化」するという「革命公約」1番で、それを除けば共通する理念は本当に何があるだろうかという気がする。もちろん権力欲、これも彼らに共通している。こういうものを除けば重要な動機というか、どう国を建てようとするとかいうのが不明だ。反共を除けば無イデオロギーに近いのではないかと思う。
(中略)
プレシアン:クーデター指導者のパク・チョンヒ少将はどうだったのか。
ソ・ジュンソク:一番重要な人物がパク・チョンヒという方だが、それではこの方は何か持っていたのか。これはとても重要だ。クーデターを起こしたとき、パク・チョンヒ少将に政治理念と言うものがあったのか。この点については特に話すのがちょっとアレだ。クーデター直前に書かれた文章は、今まで誰も見つけていないようだ。クーデター直後には文章がいくつか残っている。例えば、1961年6月27日と28日、「朝鮮日報」に特別寄稿をした。これが後に「指導者道」というとても短い冊子に入っている。
最初に書かれた文章を見ると、こうなっている。「韓国人が他律*2に支配されていた習性が第2の天性になった」と規定し、それをかなり強く批判している。いわゆる植民史観の中で他律性論と低劣な民族性論を持ち出した。他律性論は植民史観で「私たちは昔から他国支配を受けて屈従的だ」と、そのような話をすることだ。低劣な民族性論は、植民地根性とか奴隷根性、党派性*3、おべっかと屈従だけで、自立性の弱い根性を持っていると主張するのではないか。
パク・チョンヒという人は、そのような考えをとても強く持っていた。だからクーデターを起こしたとき、日帝植民史観に基づいた低劣な民族性論、植民地根性を直さなければならないと主張、そして極端な反共路線のようなものを除けば、パク・チョンヒ少将に何があっただろうかと思う。
プレシアン:そのような考えを示したのは<朝鮮日報>への寄稿だけではない。
ソ・ジュンソク:この方がクーデター直後の考えを表したのは国家再建最高会議で発行した<最高会議報>を通じてだった。これを見ても反共を除いては特に内容がない。
(中略)
その次の<最高会議報>には「8.15開放とわが民族」という題名の文が載っている。「国土の両端と民族の分裂という悲劇と不幸を招いた現実の原因は、第一に言うまでもなくわが民族そのものにある」、これも若干驚くべき主張だ。
(中略)
ソ・ジュンソク:パク・チョンヒは1962年に<わが民族の進む道>を書き、1963年に<国家と革命と私>という本を書いた。どちらも複数の人が執筆に参加した。それでもパク・チョンヒの考えが二つの本にかなり入っていて、パク・チョンヒがどんな人なのかを知らせるのに、その後出た本よりはこの二冊の本がかなり有用だ。
<国家と革命と私>は一九六三年に出たためか、潤色が多くなっている。ところが、口調さえ非常に粗雑になっているのがまさに<わが民族の進む道>だ。タイトルも面白いが、パク・チョンヒの考えが最もよく表れているのがこの本だと思う。パク・チョンヒは「革命理念」という言葉を1960年代を通じて非常に多く使う。そのために5.16を起こしたということだ。
(中略)
ソ・ジュンソク:序文に「第一に、過去のわが民族思想の悪の遺産を反省して」と、このような部分が出て来る。悪い遺産が韓国民族史に多かったということだ。この民族性の話は維新体制ではあまり出てこないが、日帝時代に親日派と日本の官学者たちが多く主張したものだ。「李朝党争史、日本の植民地奴〇根性などをきれいに清算して健全な国民道を確立することだ。」、この人にとって革命はこれだった。人間革命がなければ社会再建は不可能だということだ。
それで本文に韓国民族がどれほど党争だとか悪い民族性を持っているのかという話が詳しく出てくる。「あれこれが日帝の植民史観だ」と私たちが多く教えられたような事項が非常に多く含まれている。もちろん、この時期に他の人々も植民地史観に浸っていたかもしれない。植民地史観を払拭できる環境はまだ整っていないからだ。
(後略 ※西欧的民主主義は韓国に合わないので、「韓国化された」韓国的民主主義を確立しなければならない、という主張についての話)
「박정희는 왜 한국인의 '노예근성'을 주목했나(パク・チョンヒはなぜ韓国人の「奴隷根性」に注目したのか)」より一部抜粋
ソ・ジュンソクさんは最初、パク・チョンヒ氏の理念を「反共以外なにもない」としています。少なくとも、クーデター前あるいは直後にはそうだったのかもしれません。
しかし、1962年に「わが民族の進む道」を書いた時点ではどうでしょう?後出しジャンケン的ではあるかもしれませんが、「日本の植民地奴〇根性などをきれいに清算して健全な国民道を確立すること」...「日帝残滓清算(反日)」と「奴〇根性(植民地根性)」がしっかりリンクされてしまっているコレはある種の理念ではありませんか?
「国民道」の説明はありませんが、多分「国民精神」のような意味かと思います。大韓民国国民としてのアイデンティティの確立やプライド、独立の精神、またはそれらを追い求める行為をひっくるめたもの、と捉えることが出来るかと。
その「国民道」と、日本の植民地奴〇根性などをきれいに清算すること...つまり「日帝残滓清算(反日)」とが結びついているのです。「大韓民国」が「大韓民国」としてあるためには、その国の国民が「大韓民国国民」であるためには「反日」行為をもってそれを確立するしかない、というわけです。
韓国が右も左も「反日」と言われる所以です。