文化の日の話

文化の日」を「明治の日」に名称変更しよう、という運動があります。
2007年(平成19年)に「みどりの日」は「昭和の日」に変更になった後にその流れを受けて運動が始まったそうです。


明治時代というと、日本国内もアジア全体も大きく情勢が動いた時代です。
富国強兵、軍国主義…現代ではネガティブな印象のある言葉と結び付きやすいかもしれません。

もちろんそれだけじゃありません。
散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする、なんて都々逸(どどいつ)にもありますように、流入してくる西洋の文物を取り入れて、庶民生活が大きく変化した時代でもあります。
この頃の広告ポスターなど見ていますと、和洋折衷とは上手い言葉だなと感じます。


とは言いましても、お隣さんは「明治の日」にも文句があるようです。当然と言うか、悪い面に敏感に反応しています。


ソウル新聞の記事からです。

日右翼勢力、また軍国主義の本性..「明治の日」復活キャンペーン


日本の国会議事堂と議員会館がある東京の永田町では、先月30日に保守勢力「明治の日推進協議会」の集会が開かれた。彼らは「文化の日」である11月3日・祝日の名前を太平洋戦争敗戦前の名称である「明治の日」に戻そうと促した。これらの主張が安倍晋三政権の右傾化の流れに乗ってますます大きくなり、実現する可能性についての懸念が日本社会で出ている。

朝日新聞は3日、「明治の日の復活を図る国会議員連盟祝日法(祝日を規定した法律)の改正を急いでいる」とし「このような動きに太平洋戦争以前に回帰しようとする政治的意図があると警戒する声が高まっている」と伝えた。

明治の日推進協議会は先月30日の集会で明治の日の復活を支持する100万人の署名を自民党議員で構成された「明治の日を実現するための議員連盟」に伝達した。この議員連盟は、昨年明治維新150年を迎え結成された。

実際、11月3日は「明治維新」を通じて日本近代化の基礎を築いた明治(1867〜1912年在位)天皇の誕生日であり、1947年まで「明治節」と呼ばれた。しかし、日本が太平洋戦争で破れた後、連合国軍総司令部GHQ)は、この日を廃止することを日本に要求し、その結果、1948年から「文化の日」に名前が変更された。

国家公安委員長を務めた古屋圭司・明治の日を実現するための議員連盟会長は、産経新聞に「明治は先人のたゆまない努力によって近代化の礎を築いた時代だ」とし「これからも未来に向かって同じ姿勢を持ち続けるために国民が等しく思いをいたす日にしたい」と語った。このような動きに対して島薗進東京大学名誉教授(宗教学)は「戦争前のような社会に戻したいという流れの一つである」という懸念を朝日新聞に表明した。


ソウル新聞「日우익세력, 또 군국주의 본색..'메이지의 날' 부활 캠페인(日右翼勢力」)より


既に「昭和の日」という名称変更の前例があるんですけど、そこには触れてませんね。


まあ、それはともかく、韓国さんの大好きな朝日さんの言い分を引っ張って来て、また「右傾化」「軍国主義化」を主張する内容です。
ご自分のところも「光復節」だの「三・一節」だのと、散々「愛国」を祝っているはずなんですけどね、日本がやると全部「軍国主義化の兆候」に見えてしまうようです。
日本では二重基準(ダブルスタンダード)二重規範)、韓国では내로남불(ネロナムブル)と言われる状態ですね。

「民意」についての見方にも同じバイアスが見られます。
100万人の署名が集まっていても、日本であれば「一部の右極市民」となり、韓国であれば100万人のロウソクデモは「民意の現れ」と評価する、といった具合に。


バランスを取るために、逆の視点からの記事も紹介しておきます。

産経新聞さんの産経抄から一部引用です。

(前略)
▼「文化の日」から「明治の日」へと、改称を求める署名が100万人に達した。祝日をわが手に取り戻そうという、国民の意思の表れとみたい。昨年の「明治150年」に間に合わなかったのは惜しまれるが、着実な歩みが続いているのは悪くないニュースである。▼つきまとう「戦前回帰」の声は的外れというほかない。明治維新を境にして、人々は世界の文化や技術に目を見開かされた。新たな時代を迎えた高揚感と、誰もが前へ突き進んだ一体感は、東京五輪を目の前にした日本が取り戻したい感覚でもある。

産経新聞「産経抄(2019.11.3)」より


明治の日推進協議会の公式サイトで上記の産経抄の全文が読めるようになっています。


韓国さんからしてみたら、その「誰もが前へ突き進んだ一体感」の結果が日帝による(不当な)朝鮮併合であり戦争だろう、という見方なのでしょう。(…皮肉を言わせて貰えば、韓国さんも一緒になって「前へ突き進んだ」一味なんですけどね)

日本側としては、過去を「無かった」ことにするつもりは更々なく、むしろ同じ過ちを犯さない賢明さを国民全体が備えていると信じたいわけです。


両者のギャップはやはり「信頼」なんだろうと思います。
やっぱり根っこのところで韓国は日本を信用できないと言っているわけです。