「防疫」「経済的打撃への支援」に対する日韓の意識の差の話その2

昨日の続きで、1部の後半部分になります。(前半はこちら
主にコロナによる「経済的打撃」を受けた人々に対する「支援」をどうするべきか、についての質問分析を行っています。


時事INの記事から、第1部の後半部分です。

「防疫政治」が露わにした韓国人の世界 - 疑問を抱く韓国人たち


(前略)

ここまでが私たちの物語の童話のような部分だ。もしかしたら戦時総動員は過度に成功したのかもしれない。不吉な変化を先に見よう。「マスクを付けていない人は政府が摘発し、処罰しなければならない」という文を与えて賛否を尋ねた。日本は43% が「そうだ」と答えた。韓国はおよそ89% だ。5月の調査時は47%だった。

(中略)

我々は社会の各部門の損失に対し、政府がどれだけ支援するべきかを尋ねた。<図5>は「全面的支援」と「相当部分支援」を合わせた回答の割合である。「積極支援」と表記した。

(中略)

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韓国は一貫して日本より支援の意思が薄い。 自営業者は45%(韓国) 対 72%(日本)、非正規職は44%(韓国) 対 69%(日本)、青年求職者は35%(韓国) 対 56%(日本)、中小企業は30%(韓国) 対 66%(日本)だ。韓国も日本も、支援意思が最も厳しくなるのは大企業だが、これすら韓国は9%で日本は33%だ。これは韓国社会に何か尋常ではないことが起きている兆候なのか、それとも単に韓国と日本の根深い文化的違いが現れたのだろうか?

我々はこの問題に答えるために5月の一次調査に戻る。当時も韓国社会の支援性向が薄かったなら、これは韓日固有の違いかもしれない。しかし、そうではなかった。韓国社会はこの半年間で支援性向が下がった。

(中略)

自営業者は5月の57%から11月は45%へ、非正規職労働者は58%から44%へ、中小企業は51%から30%へ積極的な支援の回答が低くなる。変化の方向が一貫しており、変化の大きさも大きい。

(中略)

我々は「コロナ19被害者を助けるために政府が税金を上げるなら、受け入れますか?と尋ねた。「誰かを助けてほしい」という評価を超えて、その費用を自分が支払う意思があるか、と直接尋ねたのだ。賛成は29%、反対が56%だった。驚くべきことに、賛成と反対の意見は所得水準とは関係がなかった。

(中略)

確かに防疫と経済は相容れない関係にある。経済のために防疫を緩和するのか、防疫を強化してこそ結局経済にも良いのか、両者の選択がコロナ19時代の韓国の公的論争を支配した。ここで「防疫優先」という強力な合意が最前面に孤立した自営業者まで納得させ、韓国社会を支えてきた。

(中略)

防疫という共同の課題に市民を没入させると同時に、防疫戦の犠牲者の面倒を見る資源分配に市民が同意できるように作らなければならない。これは相容れない関係だ。

(後略)

時事IN「‘방역 정치’가 드러낸 한국인의 세계- 의문 품는 한국인들 (「防疫政治」が露わにした韓国人の世界 - 疑問を抱く韓国人たち)」より一部抜粋


後半はちょっと読みにくい記事です。事態を「戦争」になぞらえているので、最前線がどうたら〜補給がこうした〜孤立がうんぬん〜とか。割とどうでもいいのです。なのでスッパリ切ってしまいました。
ざっくり言いますと、

  • 韓国は5月の調査時にはコロナによる経済打撃被害者への支援を意思を日本と同水準に持っていた。
  • しかし、11月の2度目の調査時には支援の意思は大きく減少していた。
  • 特に自営業者は社会的距離を取る対策による被害が大きいにも関わらず、十分なフォローを受けられていない。
  • これは韓国の防疫が「低強度戦時」特有の高揚感の中で行われ、「防疫優先」という強力な社会的合意の元、自営業者へ犠牲を強いた結果といえる。(戦時総動員は過度に成功したのかもしれない)
  • 防疫と経済は相容れないものだが、共通課題である「防疫」を徹底させるには犠牲者への資源分配が必要。


こんなことが書かれています。

続きの第2部では、5月には日本と同水準だった支援の意思がなぜ減ったのか、や「良い市民」とは何か?な話が書かれています。

明日は慰安婦絡みの訴訟の判決が出る予定なので、そちらの記事が出れば優先します。