「防疫」「経済的打撃への支援」に対する日韓の意識の差の話その1

韓国KBSと時事INが共同で行った調査でコロナ禍における日韓の意識の違いを調べたものがあります。18歳以上の男女1000名を対象にオンライン上で行った結果を集計したものです。
昨年と5月と11月の2度行われ、5月は228問、11月は261問(日本の調査は楽天インサイトが実施。設問は239問)の質問となっています。
これらを集計したところ、日韓で面白い傾向の違いが出ました。
防疫に対する態度の違いとして、韓国では市民的義務意識が高いほど積極的に防疫に参加し、日本では市民的権利意識が低いほど積極的に防疫に参加する傾向があったそうです。(記事内でもきちんと説明されていますが、これは国民性の話ではありませんし、防疫成功のファクターを意味するものでもありません)

また、記事の後半では「コロナで経済的打撃を受けた人」への支援意欲にも大きな差があったことが分かりました。

2部構成の記事でどちらも長いので、何度かに分けて紹介しようと思います。


時事INの記事から、第1部の前半部分です。

「防疫政治」が露わにした韓国人の世界 - 疑問を抱く韓国人たち


(前略)

日本との比較から初めてみよう。10万人当たりの確定者は12月9日現在、日本が129人、韓国は76人だ。日本が韓国より1.7倍ほど多い。状況の悪い国は、米国は10万人当たりの確定者が4427人、スペインは3669人、フランスは3444人、ブラジルは3109人だ。日本も国際基準で見れば「善戦中の東アジアグループ」になる国だ。

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ひと目で分かる違いは防疫線の司令塔である政府に対する評価である。韓国がはるかに高い。政府の対応を「よくやっている」という回答(「とてもよくやっている」と「大体よくやっている」の合算)は、韓国では67%、日本では28%であった。政権の支持率格差のためではない。

(中略)

防疫評価の違いは次の項目でも確認できる。防疫と経済は相容れない。したがって、防疫と経済のバランスを取る問題が重要だ。私たちはこう尋ねた。「政府は防疫と経済のバランスをどのように保っていると思いますか?」。韓国市民の66%は「2つのバランスを保っている」と答えた。日本は29%だ。韓国市民は政府のバランス感覚を信頼する。日本市民は政府が経済に神経を使って防疫を逃したと考える。(「過度に経済に傾いた」57%)

(中略)

戦時に人々が所属感と共同体意識を感じる力は広く知られている。防疫は国家資源を総動員する「低強度紛争」だ。

(中略)

5月の調査で我々は「民主的市民性」の測定項目として以下の7項目を与え、これがどれほど重要だと思うかを聞いた。その結果、以下の項目を重要視する性向が強いほど防疫に参加する性向が高いとの結論が得られた。
1. 選挙のときはいつも投票する。
2. 法と規則をいつもよく守る。
3. 政府の仕事をいつも見守っている。
4. 社会団体や政治団体で積極的に活動する。
5. 異なる意見を持つ人の考えを理解するよう努力する。
6. 少し高くても政治、倫理、環境に良い製品を選ぶ。
7. 自分より貧しい人々を助ける。
(8. 地域または町の発展や問題解決のための努力に参加する。 - 11月の調査で追加)

これらの質問は民主的市民性の中でも特に「市民的義務」を測定する。戦時高揚感は特に市民的義務を刺激するようだ。そのため、市民的義務感の高い人々が共同の課題である防疫に、より積極的に参加する。

(中略)

5月に続き11月にも2つの関係は統計的に有意なので韓国の防疫性向を説明する非常に有力な経路だ。

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日本にはこのような経路はなかった。市民的義務感は防疫参加の程度と有意ではなかった。これは、日本が韓国より市民的義務感が低いという直接比較ではない。より適切と思われる説明はこうだ。日本社会に比べ、韓国社会が市民的義務感を発揮する共同の挑戦課題として防疫を受け入れる傾向が強い。つまり、今を「低強度戦時」と認識する傾向が韓国の方がより大きく、日本はより小さい。

「一方、日本はここで非常に興味深い違いを見せています」。イム・ドンギュ教授は「Right 1(権利1)」と仮に名付けたデータ群を指しこのように述べた。市民的権利意識の問題だ。

5月の調査で「民主的市民性が韓国の防疫を理解する鍵」という答えを得た。5月には「市民的義務」の項目だけを入れた。11月にはこれに加え、市民的権利意識9項目と市民的参加経験6項目を加えた。市民性の要素として、市民的「義務」「権利」「参加」をすべて測定し、より立体的な絵を得た。日本では権利問題の2組の1つである「権利1」が高いほど、市民は防疫に参加しなかった。
「権利意識が弱いほど政府の言うことをよく聞き、防疫もうまくいったということです。だから日本の防疫は一部、西洋知識人たちが言う『東アジア的モデル』で説明する余地があります」と述べた。「韓国は?」「韓国は違います。『権利1』と防疫参加は無関係です。極めて明確に作用するものは市民的義務感、その中でも『Duty 1(義務1)」です。これが高いほど市民は防疫により参加します」

今回の調査で「義務1」が良い社会を作る非常に強力で効果が幅広い要素という事実が発見された。「義務2」は効果が弱いか、時には逆でもあった。市民的義務感、市民的権利意識、市民的参加が織りなす話は私たちが発見した核心発見であり、次に取り上げる2部の中心テーマだ。「義務1」と「義務2」、「権利1」と「権利2」の違いもそこで扱う。

(中略)

ここでは韓国は市民的義務感が高いほど防疫に積極的な傾向があり、日本は権利意識が低いほど防疫に積極的な傾向があるという点だけを確認している。これはいわゆる「国民性」の描写ではない。韓国は市民的義務感が高いために防疫に成功し、日本は権利意識が低いために防疫に成功したという結論ではない。 これはただ、韓国社会では市民的義務感の水準が防疫参加を決める変数として意味があり、日本社会では市民的権利意識が変数として意味がある、という意味だ。

日本との比較は、比較的明確な結論を一つ示している。防疫という挑戦を受け入れると、これを共同体の課題として社会全体が没入することを韓国がよりうまくこなした。戦争の比喩を使い続けるなら、戦時動員の力量は韓国の方が高かった。 韓国社会はより防疫に入り込み、マスクを一種の共同体儀礼として受け入れ、市民的義務感を武器によりうまく動員した。

(後略)

時事IN「‘방역 정치’가 드러낸 한국인의 세계- 의문 품는 한국인들 (「防疫政治」が露わにした韓国人の世界 - 疑問を抱く韓国人たち)」より一部抜粋


「政府の言うことをよくきく社会」が果たして「良い社会」なのか、については議論の余地があると思いますが…。

これだけで防疫の成否を論じることは出来ません。
けれどよく言われる「日本では『韓国式』の防疫は出来ない(憲法違反だから)」という意見と、記事の分析にある「日本では市民的権利意識が高いと防疫に積極的には参加しない」という指摘は合致するように思います。
まあ、この場合「防疫」がどういった行為を指すかにもよるのでしょうが。韓国のメディアの記事なので、市民生活における移動や行動を厳しく「制限」することを指していると思われます。

行動を選択する上で日韓の社会それぞれが「何を重要視しているか(優先順位は何か)」を知るのに役立つかもしれません。