日本の「身売り」と朝鮮の「自売奴婢」の違いの話

慰安婦の「契約」を韓国人が理解できないのには「身売り」という概念が無いから(違うから)かもしれません。

朝鮮には奴婢文化がありましたが、日本の「身売り」とは違い自身、もしくは家族の「一生」を売り渡す制度だったようです。さらにその債務(?)は世襲制です。

「年季明け」という概念がある日本の「身売り」とは根本的に違っており、そこが「慰安婦契約」を理解する上で障害となっているのかもしれません。

メディアウォッチの記事からです。

【イ・ウヨンのコラム】身売りという契約と慰安婦

植民地期の売春産業の背景だった「身売り」慣行、...慰安婦契約説の別の証拠

慰安婦の研究をする韓国や日本の研究者たちがこれまで植民地期の朝鮮の「身売り」という契約形態について言及しなかったという事実は驚くべきことだ。

 

朝鮮女性が慰安婦になる経路でこれまで話してきた「強制連行」、「就職詐欺」、そして「人身売買」だ。ただし、職業詐欺と人身売買はともに植民地期においても不法であり、両者は結び付いて一つの犯罪を成した。つまり法的に「誘拐」と規定される就職詐欺を行い、女性を確保し、彼女を本人や両親の意思とは関係なく遊郭や売春宿、また慰安所に売り渡す行為だ。

 

もし貧しい親が自分の娘が売春婦や慰安婦になるということを知っていながら当時の契約慣行だった身売りによって販売したらどうなるだろうか?これは合法だった。統計がないため断言できないが、身売りは当時、売春産業で女性を調達する基本的な方法だったはずだ。

 

この契約で大半の親は娘が何をするかよく知っていながら売春宿や斡旋業者や主人に娘を譲渡した。両親は代わりに転借金という金を受け取り、娘は契約期間中、性労働しながら給料の一部でその金を返済した。

 

(中略)

 

人間に対する取り引きに関して身売りを奴隷や朝鮮の奴隷取り引きと同一視しては困る。奴隷や奴婢のような契約は、人間を完全かつ永久的に譲渡することだ。ただ、身売りは徳川時代から存在し、第二次大戦終戦まで存続した日本特有の慣行であった。朝鮮にはそのような取引慣行も相応の用語も見当たらない。

 

(中略)

 

朝鮮では一般庶民の家長が娘、息子、家族さらには直接自身を奴婢として売ってしまうケースが多くあった。特に朝鮮経済が危機に直面する18〜19世紀には多く、1910年の事例まで確認した。こうした人身売買慣行を「自売」という。他の奴隷な奴婢のように「自売奴婢」は社会的地位が法的に世襲された。第二に、自売とともに作成する自売文記には、一般の奴隷売買文書と同様「死ぬまで主人に奉仕する」、「自分を永遠に売る」という文句が判で押したように出てくる。このように自分(や家族)を完全かつ永久に売るという点も自売取り引きが一般奴婢取り引きと同じ点だ。これとは違って身売りは数年の期間と性労働に限定される取り引きだった。奴隷な奴婢とは決定的に異なる点だ。

 

(中略)

 

両親の観点では、売春宿や慰安所から受け取った金、すなわち前借り金は自分が売った娘の身代金だった。しかし業者の立場からは、それは返済されるべき債務だった。若い女性に対する取り引きは不法な人身売買と合法な身売りとの境界にあった。ともかく、この取り引きはあまりにも頻繁で、警察と検察の捜査と裁判所の裁判が頻繁だった。しかし警察が立件した大半の容疑者は結局、無罪となった。

 

イ・ヨンフンの「反日種族主義との闘い」(未来社)によると「誘拐」や「略取」で警察に検挙された容疑者の約90%が検察に送致された。しかしその中でも少数だけが検察に起訴されるか裁判に付された。1924〜41年の間にこれらの犯罪で検察に装置された容疑者は、なんと40,553人だったが、起訴されたのは2,506人に過ぎなかった。1924〜43年の間に警察に検挙された者のうち、87.5%が起訴されなかった。ただ、裁判にかけられた人のうち85%が有罪となり、懲役刑が言い渡された。

 

(中略)

 

「身売り」という契約を通じて娘を取引する親たちは、娘が結局何をすることになるのかよく知っていたはずだ。たとえ契約書が無くても、両親がその事実を知っていたとすれば彼らの合意は明白な契約だ。

 

(後略)


メディアウォッチ「[이우연 칼럼] 미우리(身賣り)라는 계약과 위안부(【イ・ウヨンのコラム】身売りという契約と慰安婦)」より一部抜粋

 

余談ですが「自売」のハングル表記は「姉妹」と同じ「자매」です。「自売奴婢」と「姉妹奴婢」...全然意味が変わってしまいますが、漢字を知らない韓国人に理解出来るのでしょうか?