「韓国の近代化は未完成」という主張の話

私の韓国観の基礎は古田博司さんの著作の影響が大きいです。中でも「近代化」に関しての日本と韓国の比較は興味深く読んだ覚えがあります。

近代化のハードルは非常に高く、世界でもごく一部の国家しか超えられていないため、進歩史観で言うところの「古代→中世→近代」はほとんどの国で成立しません。
日本は高い代償を払いながらもハードルを超えた「ポスト近代」にいます。しかしハードルを超えられなかった韓国は今も前近代にいる、というものです。
近代化の過程で国家はアイデンティティを獲得するものですが、前近代にいる韓国はまだアイデンティティが確立されておらず、反日によってそれを得ようとしている、的な話もあったかと思います。そのため、反日については韓国が自力で近代化をなすまでは放置するしか無いってことです。
そして近代化出来なかった国は「古代回帰する」とも。

古代回帰云々はともかくとして、韓国メディアに「私たちは未完成の近代化を生きている」と、一見似た趣旨のコラムが掲載されていたので長いですがご紹介します。
ただ、「韓国の近代化は未完成」という部分だけを見れば似ているのですが、決定的に違います。
以下で紹介するコラムはなんというか...美化しすぎというか、自己評価が高いというか...南北の分断を「自ら選んだ理念選択」の結果との認識です。そして韓国主導での南北統一によって韓国の近代化は完成する、との結論になります。
私はちょっとこの辺り首をかしげてしまいました。「◯◯すれば上手く行く」の派生系に思えてしまったんです。

 



ペンアンドマイクの記事からです。

[チュ・ドンジクのコラム]私たちは依然として「未完成」の近代化を生きている


中国の宋は人類史上初めて産業革命に近接する経済的、社会的、科学技術的成果を出したと評価される。紙幣と手形が使われ始め、株式会社の初期形態も現れた。移秧法*1の普及で米の生産量が急増し、これは人口の急増に繋がった。当時、中国の人口は初めて1億人を突破したと推定される。

鉄を鍛える溶鉱炉や水力紡織機、火薬、水時計などが発明され石炭を燃料として使用した。建築にアーチ型の橋と台が使われ、コンパスと水力タービンが登場するなど造船業や航海術も非常に高い水準だった。当時、宋の経済規模は全世界の40%台に達したという評価もある。

このような高度な発展を遂げた宋が、何故いざ産業革命に進むことができず、甚だしくは軍事的側面では遼や金など人口が数十分の一しかない、いわゆる蛮族に振り回され、ついにはモンゴル族の元に滅ぼされてしまったのかということは、歴史学者の長年の疑問の一つだった。

宋が達成できなかった産業革命は、それより800年後、欧州の隅に位置していた島国の英国によって本格化した。

(中略)

それでは、10世紀の中国と18世紀の英国に決定的な違いを生んだ要因は果たして何だろうか?この問題は歴史学者だけの話題ではなく、大韓民国の国民と政府、そして北のキム氏朝鮮政権にとって今現在、重要性を持つイシューだ。産業革命の政治、経済、社会、文化的相対的変化が近代化であり、韓半島は依然として近代化の課題を全て解決できていない状態であるためだ。

蒸気機関の発明は産業革命に火を付けた。人間の労働力やそれを補う家畜の能力とは完全に次元の違う機会的生産が可能になったのだ。

(中略)

大規模工場生産が拡大し、ここで働く労働者階級が登場することになった。労働者階級は大部分が荘園で働いていた農民たちだった。農民たちは本来、労働時間というものが区別されにくい。農民は根本的に土地に縛られた存在であり、したがって自由な移動が可能ではなかった。このような限界が極端に表れたのがいわゆる身分制だ。

しかし工場労働では身分制がむしろ生産性向上の妨げになる。奴隷や農奴は主人や領主に自由を任せる代わりに生存は保障される。そして彼らが働かない時間にも奴隷の主人はその人生の責任を負う。衣食住を提供する。だが、工場労働では仕事をしない時間と、そうではない時間をきちんと区別して、仕事をする時間にだけ給与を支給する。工場労働では労働するその時間だけに労働者と資本家が互いに規律するだけだ。

このような条件で自然に契約の重要性が高まる。契約は本質的に個人と個人の対等な地位が前提になってこそ可能な仕組みである自然権の概念はここで具体的な形態を見出すことになる。さらに契約の原則が全体社会の範囲に拡大する時に法治の概念が定着することになる。

このような法治の上に企業と市場、個人の自由が保障される。私有財産の権利は、このような自由の具体的な発現だ。

(中略)

このような世の中では実体のない権威や漠然とした虚像は威力を発揮できない。その場に代わるのが、徹底した実用と実証の精神だ。実用と実証の精神を裏付けるのが科学である。科学はさらに学問と社会全般の合理化を促すことになる。

このような変化は、最終的に政治体制の変化に繋がらる。そして近代の政治体制はナポレオン民法の原理を中心に、単一の憲政秩序を具現することになり、この憲政秩序が排他的に適用される領土と国境線を持つことになる。

(中略)

この憲政秩序は過去のように少数の支配階層が自分たちの意思に合わせて構成し、大多数の民衆に強要するものではない。文字通り、全体民衆が皆同じ資格で、対等な関係で自発的に同意して受け入れるというのが決定的な違いだ。

前近代の支配階層が民衆の管理を容易にするために法という道具を使うのが、法による支配(Rule by Law)なら、近代法治で誰もが方の前に平等で、法は個人の上に君臨することを、法の支配(Rule of Law)と言える。

このような近代精神の集約された実体がまさに国民と国民国家である。自発的に自由と平等、人権、契約、個人、企業、市場などの精神を具現した憲政秩序を受け入れ、忠誠を尽くす民衆を国民(Nation)と呼ぶ。Nationは国家や全国という意味を持つ。これも全て同じ文脈だ。このような憲政秩序を一つの政治体制として具現し、領土と主権、国民を持つ国家を建設することを、国民国家建設(Nation Building)と呼ぶ。

(中略)

例えば、法治に基づいた人権保護なしには一定水準以上の経済や科学技術の発展も不可能であり、三権分立なしには自由の外的表現である共和制が不可能だ。宋の経済発展は、このような政治的要素を欠いていたため産業革命や近代化に繋がらなかったと見なければならない。

このような要素が総合的に作用して近代的ガバナンス体制として具現され、この領域内にいる民衆の自発的な忠誠心とアイデンティティを結合する政治体制が国民国家だ。欧州諸国の大半は19世紀前後にこのような国民国家の建設に至った。国民国家は民衆の潜在的なエネルギーを極大化する体制であり、欧州諸国はこのように組織された力でアジア、アフリカなど第三世界の植民化に乗り出した。

近代化はそれぞれの地域で、それぞれ固有の発展要因によって独自に進められるものではない。地球上、どの地域でも近代化の先導的な動きが発生し、これが意味のある変化につながればこのモデルは残りの地域にも波及する。

(中略)

アジアとアフリカ諸国の近代化も同様だ。例え内部に近代化に向かう種が潜在していたとしても、それが適切な契機と時期に巡り会えなければ世の中は彼らの自生的な近代化を待ってはくれない。我が国でも自生的近代化論者が「日本の植民支配がなければ朝鮮が自ら近代化を達成しただろう」と主張するが、これは妄想に過ぎない。歴史に仮定などない。

(中略)

ただ、アジアとアフリカ諸国の近代化は欧州諸国によって強制されたという点で深刻な後遺症を生んだのは事実だ。

(中略)

アジア諸国の場合、特に欧州諸国による近代化以前から近代国民国家と類似したガバナンスシステムを備えていたため、さらに副作用が大きかった。すなわち、国民国家の必須要素である所属感とアイデンティティが既存国家機構に存在していたのだ。たとえそのアイデンティティが国民(Nation)ではなく、臣民のそれだったとしても外部の影響力に対する排他性という点では似たような機能を果たした。

韓国と中国、日本、ベトナムなどがこのようなケースだ。そしてこれらの国の近代化は、自分たちの主権を脅かす欧州国家など植民宗主国に対する抵抗と区分できないほど密接に結び付いて表れた。

(中略)

事実、国民国家の概念に最も近接した国は他でもない米国だ。意外に感じられるが、厳然たる事実だ。国民(Nation)の概念が伝統的な血統的、文化的な共同体ではなく、近代的憲政秩序に対する自発的な忠誠と所属感で再結合した民衆とした時、このような基準に最も適合するよう建設された国が米国だからだ。

(中略)

意外にも、このような米国の建国と似たような仮定を経てリモデリングされた国がアジアにもある。まさに大韓民国だ。

大韓民国は韓国戦争の結果だ。たとえ望まない戦争だったとしても、この戦争を通じて解放以前から韓半島内部で内縁してきた左右対立が前面化した。そしてその結果、韓半島の住民たちは自らの理念選択によって南北に分かれることになった。韓半島の居住民が自ら忠誠を尽くす憲政秩序とそれに従って自分の人生を設計する土地を選択したのだ。

その結果、単純な軍事境界線だった3.8度線の代わりに休戦ラインが位置し、その以南に大韓民国が建国された。休戦ラインから北韓に渡った人々も理念的アイデンティティによって自分たちが忠誠を尽くす憲政秩序を選択した。

(中略)

社会主義式の近代化は自由と人権、企業と市場、契約と個人、三権分立を基盤とした法治と政治構造など、近代化の核心要素を欠いている。事実上、近代化とは言えないということだ。

近代化が歴史の終焉ではない。世界の知性が脱近代化の代案を多様な方式で模索するのもこのような理由のためだ。しかし、近代化の成果を十分に蓄積できない状態では、いかなる未来志向的な脱近代化も不可能だ。それが歴史の法則だ。

大韓民国は依然として近代化の課題が未完成の状態だ。国民国家の建設という近代化の絶対課題が、分断という障壁に遮られているためだ。このような状態では決して大韓民国の憲政秩序の安定度、外交安保の正常化も期待できない。

大韓民国が絶えず内戦の様相を呈し、すべてのイシューが政治的な問題に収斂される政治過剰減少も、このような国民国家の建設という課題が未完成であるために現れる現象だ。大韓民国体制への統一は選択ではなく必須だ。大韓民国がやり遂げなければ、鍵が北韓金氏朝鮮の手に渡ることになる。

現在、大韓民国朝鮮民主主義人民共和国は同じ民族、同じ国民(Nation)ではない。今の分断は南北が一つの国民に生まれ変わる陣痛の過程だ。大韓民国体制への吸収統一が実現してこそ、近代国民国家の建設と韓半島の近代化という韓国近現代史の最大の宿題が果たされるだろう。



ペンアンドマイク「[주동식 칼럼] 우리는 여전히 '미완성'의 근대화를 살고 있다([チュ・ドンジクのコラム]私たちは依然として「未完成」の近代化を生きている)」より一部抜粋

韓国を含むアジア国家には、近代化以前から所属感やアイデンティティが存在していた、というのが著者の考えのようですが、私はそれには否定的です。臣民のソレは所属意識や優越意識にはなったかもしれませんが、アイデンティティとは似て非なるもののように思います。
アイデンティティが外部に対する排他性を持ったもの、というのもちょっと違う気がします。アイデンティティはあくまで連続性、統一性、不変性、独自性...などで他者と自身との差異を認識するものであって、それ自体に排他性や優越性があるとは思いません。そこに過度な意味付けを行うから排他性を帯びるのではないでしょうか?

また、朝鮮半島が南北に分かれたことを「自らの理念選択によって」としていますが、それは美化し過ぎかと思います。そもそも朝鮮半島では「内縁してきた左右対立が前面化」したのではなく、二つ以上の勢力が常に対立する、和合ができない構造です。
それは朝鮮時代の朝議のやり方を見れば納得いく気がします。例えば一つの議題に対して意見を「集約」するのではなく、自分の意見こそが絶対的に正しいとして相手を「封殺」するやり方を数百年間続けてきた結果培われたものです。良い/悪いの話ではなく、負けた方は失脚する一種の生存競争です。

南北の分断も同様でしょう。自ら選んだ理念によって分かれたのではなく、主導権(利権)争いです。当時の朝鮮に自ら選べるだけの自由はありません。国連が口出さなければ統一選挙すら出来なかったのですから。
それぞれの理念は単にパトロンが民主主義陣営だったか共産主義社会主義)陣営だったかの違いでしか無いと思います。

*1:田植えのこと。種から苗を育てて、それを田んぼに植えるので移植栽培という。朝鮮では水田に種を直接撒く直播栽培が行われており、田植えが行われるようになったのは李氏朝鮮末期。