日清戦争によって日本は「国民国家」を完成させたという話

日清戦争をテーマに、近代史における「韓中日、初の文明衝突」の視点から書かれたコラムを紹介します。
文明というか、日清戦争の際の日本と清国、それぞれの「国民」の戦争に対する認知度や関心度、態度などについてです。

清国では戦争について知らない国民がほとんどであった一方、日本ではメディアが総動員され非常に高い関心が示されていた、と。これにより日本は「国民国家」を完成させることに成功し、「国民国家」が未完成だった「清国」と完成した「日本」との衝突が日清戦争との見方を示しています。

そして日本の勝利後、東アジアのパワーバランスに変化が生じ、日清戦争を境に東アジアは「近代」に突入したとの見方です。

 



ペンアンドマイクの記事からです。

[キム・ムンハクコラム]近代韓中日、初の文明衝突


近代東アジア3国の直接の近接的交渉は、あいにく戦争から始まる。文明と文明の衝突、または文化史間の衝突は常に戦争がその役割を果たすことになるのが歴史だ。

文明史的な観点から見ても、戦争は正義か不義かという道徳価値基準の判断よりも先に、異文化間の交渉、交流の大きなファクターとして歴史の大きなテーマでもある。厳格な意味で近代中国(清国)と日本の大規模な至近距離の接触がまさに1894年の日清戦争だ。

戦争の理由は何か? 不幸にも、それは我々の朝鮮半島をめぐる日本と清国の争奪戦がその内幕の本質だ。このように大陸と海洋勢力の隙間に挟まれた民族は歴史上、常に双方から襲ってくる紛争と文明の風に吹かれなければならない運命は、やむを得ない事情かもしれない。そして日本と清国の背後ではまたロシアが虎視眈々としていた。

(中略)

日本側の文献資料を点検しながら驚くべきことは、清国は日本と戦ったことも知らない民衆が多いほど無関心だったが、当時日本は挙国一致で戦争に賛成し、応援の波が破竹の勢いで広まったという点だ。 当時の有名知識人である徳富宗保(イ・グァンスの師匠)、三宅雪嶺はもちろん、コスモポリタン思想家として著名な内村鑑三のような知識人までも「代表的な日本人」などの著述を通じて日清戦争が名誉な儀典だと礼賛した。有名な明治啓蒙家で一万円札の肖像になった福沢諭吉は直ちに1万円を寄付する。現在の時価に換算すると1億円分の巨額だ。

しかも日本は当時のすべての新聞、雑誌、放送などマスコミを総動員した。現場の従軍記者、画家、作家を派遣し、慰労戦争を報道した。当時、日本の記録によるとアジア最大の大国である清国を恐れ、北洋軍閥李鴻章と、それ以上に南方の勢力の最大権力者である張志東を警戒したが、張志東は対岸の火事を見るように見物だけで手をこまねいていた。清国の国家観念とともに愛国意識は薄弱だったに違いない。

これとは対照的に、日本は戦争において誰もが「当事者」の姿勢で臨んだ。全国民が戦争に熱狂し、直接あるいは間接的に戦争の体験者だった。多くの大衆は先を争って義援金を寄付し、金のない若者たちは従軍支援に乗り出した。日本の新聞には戦争の英雄美談とともに義援金の寄付、戦争をきっかけに国に奉仕する国民の美談も紙面を埋めた。

(中略)

前例のない近代戦争で、中国は当時の国民の不在と国民国家の未完成、国家意識の欠如を露にし、日本は全社会の極変をもたらし、前例のない「国民」という意識とともに国民を誕生させ、真の変貌を遂げたものだ。

そしてこの戦争は東アジアの国際秩序に前例のない動揺を起こし、東アジアに君臨していた清国の帝国的なリード体系が一夜にして失墜したのだ。その理由は一言で言えば、日本のような「国民国家」の一体性を形成できなかったからだ。

私たちが「近代」と称できる近代は、実は日清戦争を境界線として構成されている。それは前近代と近代の分水嶺だ。

(中略)

清国との戦いで形成された国民国家的共同体意識を清国はまたそこで学び、1911年の辛亥革命を通じて清国は滅亡、孫文によって新しい国民国家的共和国が成立することになる。

朝鮮は日本の勝利によって数百年にわたる中国の「属国」から解放され、初めて「独立」を成し遂げることになる。



ペンアンドマイク「[김문학 칼럼] 근대 한중일의 첫 문명충돌([キム・ムンハクコラム]近代韓中日、初の文明衝突)」より一部抜粋

「我々の朝鮮半島をめぐる日本と清国の争奪戦」...うん、日清戦争の「概要」だけを見ると確かにそういう説明も成り立つんですけど...。なんかこの言い方だと朝鮮が「やめて!私のために争わないで!」の立場だという誤解を生みそうですごく嫌です。

原因の本命は「ロシアが虎視眈々としていた」です。
日本も清も、ロシアの動きを警戒して朝鮮への影響力を強めたいと考えていたからこその衝突で、朝鮮を本命として狙っていたわけではない、ということをハッキリ言っておきたいようなモヤモヤ感が私の中にあります。


そして日本が勝ったわけですが、その後の日本の思惑としては清国から独立した朝鮮が自立しロシアと向き合うことで、ロシアの南下政策への圧力となることを期待してたはずなんです。その結果がアレ です、高宗のロシア公館駆け込み事件。日本は朝鮮を買いかぶり過ぎたのでしょうか?