「非理性的な反日精神病を捨てられなければ大韓民国の未来はない」という話

結論を先に述べて、それに関することが書かれているならいいんですが、どうも韓国の知識層の文章は「結論」をはっきり書かずにダラダラと説教めいた文章が続くことが多い印象です。(一応、最後に結論めいたことは書いてありますが、そこに行くまでに疲れますし、そんな話だっけ?な気分になることもママあります)

今日紹介するコラムは、説教とはちょっと違うのですけれど結論とは直接関係ない「事例」部分がやたら詳細で長いので、読んでると何が言いたいのかよく分からなくなってくる所は「説教文」と同じです。

著者は「反日精神病」の副作用を問題視しています。過度な民族主義の結果が反日精神病として発露し、「日本憎し」で理性を失い、感情的に偏った判断をすることが韓国を近代から退化させている、というものです。その「事例」としてアレコレ上げているのですが、何故か韓国ではなく日本の事例を上げてから、それと比較する形で韓国の主張を取り上げるので、私には回りくどく感じてしまいます。

 



ペンアンドマイクの記事からです。

[チュ・ドンジクコラム]反日精神病と大韓民国近代化の危機


イ・バンヌン(李判能)という人がいた。日帝時代の1920年に日本の東京に渡り電車運転手として働いていた下層労働者だった。結婚もしており、子供もいたという。しかし日本には独りで渡った。日本人の家で下宿をしたことからそのように推測される。

27歳だった1921年6月、彼は大事にしていたタオル3枚を盗まれた。今の時代、タオルはありふれた消耗品だが、当時は貴重なものだった。当時、日本も近代化したというが、服一着仕立てるのが今にしてみれば自家用乗用車1台を購入するのと同じくらい重要な行事だった時代だ。

(中略)

そのように物資が貴重だった時代に貴重品だったタオルを盗まれたので、イ・バンヌンは怒るしかなかった。彼は下宿の女主人を疑った。下宿の女主人と声を高めて争ったが問題が解決されないと彼は交番を訪れた。しかし交番の巡査も彼の言うことをまともに聞いてくれなかった。はっきりしないが、彼の日本語が下手だったことも影響したようだ。

下宿に戻った彼は再び下宿の主人夫婦と喧嘩して殴られた。怒りが爆発した彼は台所に入って包丁を取り日本人主人夫婦を〇害し、路上に飛び出して通りかかった通行人たちを無差別に〇害する。1時間の間に彼の手により〇んだのは日本人がほとんどだったが、朝鮮人もいたという。

この事件は日本社会に大きな衝撃を与えた。なんと17人の人命が犠牲になったからだ。この事件は韓日併合後、日本社会に朝鮮人という異邦人が本格的に登場する予告のようなものだった。以後、「朝鮮人」という呼称に日本人の軽蔑と恐れ、忌避の感情が込められることにはこの事件も相当な影響を与えたものと推定される。

正確な因果関係を見出すことは難しいが、この事件は2年後の1923年に発生した関東大震災当時、日本人の残忍な朝鮮人虐〇にも少なからぬ影響を与えた可能性がある。

(中略)

しかし日本民間人の暴力的な行動と日本の公権力の対応は次元が違った。イ・バンヌン事件の被害規模が大きく、犯行方式が残忍だったにも関わらず、この事件の裁判では冷静な近代的常識が作用した。イ・バンヌンの家族と親せきは日本人弁護士を選任して対応した。弁護士は「事件当時、被告は極度の興奮状態であり、一種の精神錯乱状態だった」という点をあげ無罪を主張した。

(中略)

裁判所は当時、帝国大学医学部教授だった三宅恭一博士らにイ・バンヌンの精神鑑定を依頼し、この鑑定を理由に裁判は4ヵ月間延ばされた。

三宅教授はイ・バンヌンの精神鑑定結果について「家主を〇害するまでは意識があったが、路上に出て無差別〇人を犯す時には意識を失って朦朧とした状態だった」と評価した。裁判所はこの鑑定結果に基づき、1審で無期懲役を言い渡した。イ・バンヌンは控訴し、事件発生2年6ヶ月が過ぎた1923年12月17日控訴審で懲役7年6ヶ月を宣告された。イ・バンヌンは1955年61歳で死亡した。天寿を全うしたのだ。

21世紀、大韓民国の首都ソウルで似たような事件が発生したと仮定してみよう。例えば、中国やベトナムなどから来た外国人労働者が韓国人雇用主と戦って主人夫婦を〇害し、路上に飛び出して十数人の韓国人を無差別に刺〇したとしたら?大韓民国の司法府がちょうど1世紀前、日本の司法府がイ・バンヌンに下した判決より寛大な判決を下すことができるだろうか?容易ではないと思う。

司法府が温情的な判決を下すのが司法正義だと主張しているわけではない。むしろ筆者は最近、大韓民国司法府の判決が過度に恣意的で温情主義的な傾向があると感じる。司法府が行使しなければならない最小限の正義具現機能さえ無力化したと考える時もある。しかし、この機能に対する当時の日本司法府の判決は、少なくとも民族主義的な怒りなど原初的な感情に包まれた結果ではないということ、近代的な司法理性が作動した結果と見るのが正しいだろう。

イ・バンヌン事件が起きる2年前の1919年、3・1運動が起きた。当時の人命被害については主張ごとにばらつきが大きい。朝鮮総督府は集会参加者が106万人に死亡者が553人だと記録した。しかし歴史学者のハン・ヨンウ氏は、「参加人数200万人に死者7509人(再び訪れる韓国歴史、経世院、2002年)」と記録した。

(中略)

1923年の関東大震災当時の朝鮮人虐〇による人命被害についても同じだ。事態がある程度収拾された後、日本司法省が公式発表した朝鮮人死亡者は300人未満だった。この数字は縮小されている可能性が高い。以後、各種裁判で日本政府も認めて確認された朝鮮人犠牲者数だけでも約900人に達するためだ。日本の学者吉野作造は2711人余りが犠牲になったと推定した。

衝撃的なのは2013年8月、カン・ヒョスク円光大学史学科教授が発表した関東大震災朝鮮人〇害者数だ。カン教授は当時、北東アジア歴史財団で「関東大震災朝鮮人虐〇事件」をテーマに開かれた韓日学術会議に先立って配布した発表文で「関東大震災当時、虐〇された朝鮮人の数はこれまで知られていたものの3.4倍に当たる計2万3058人だった」と主張した。

姜教授はこのような主張の根拠について「国家報勲処功勲電子史料館が提供する『海外の韓国独立運動史料(Ⅲ):ドイツ外務省編(2)』に含まれている『MASSACRE OF KOREANS IN JAPAN』というタイトルの史料を分析した結果、このように確認された」と述べた。しかし、この史料の末尾には抗日独立運動に参加した韓国人が情報を提供したと書かれているという。感情的に偏った可能性が高い資料だという話だ。

何よりも1920年当時の在日朝鮮人の数は1915年の3917人から1920年にはそれより8倍ほど増加した3万189人で、国家記録院の「在外韓国人の歴史」日本の在日韓国人>ク・ハンマル~日帝強占期」の項目に明示されている。これを根拠に推算してみると、カン・ヒョスク教授が主張した関東大震災当時、朝鮮人殺害者は在日朝鮮人の76.4%に達する。朝鮮人が皆関東一帯に居住したはずもないのに、あんな〇害規模が可能なのか?基本的な交差検証もない、学者として最小限の理性さえ失った主張に違いない。

関東大震災当時、一部の朝鮮人は虐〇を避けて警察署留置場に避難した。もちろん警察署内にまで暴徒が攻め込んで朝鮮人を虐〇したりもしたが、横浜鶴見警察署の大川常吉署長のように原理原則に従って朝鮮人を保護した事例もあった。

(中略)

日露戦争の名将・秋山好古も「朝鮮人がそんなことをするはずがない。デマに振り回されるのは精神力が弱いからだ」と人々に訓示した。極右派であり、日本の国家社会主義の巨頭だった北一輝は、朝鮮人無政府主義者であり、後に天皇爆死企図事件の主役だったパク・ヨルに避難先を斡旋した。災難に遭い理性を失った日本人も多かったが、相当数の日本人が低劣な民族感情の捕虜になることを拒否したという点が確認できる。

上で取り上げた事例を見ると、日本社会が1世紀前にすでに達成した近代的理性が韓国社会ではまだほとんど作動していないという事実が分かる。

(中略)

代表的なのが慰安婦問題に対する理解だ。韓国では日本の憲兵などがいきなり民家に侵入し、銃刀で幼い少女を強制的に引きずり込んで慰安婦を作ったという認識が強固だ。実際、慰安婦たちがほとんど20代前半と半ばだったのとは違って、10代前半の幼い少女をモデルにした少女像がそのような被害意識を刺激している。近代がどんなものであり、近代国民国家がどのように構成されて作動するのかを理解すれば出てこない幻想だ。

近代は市場、企業、私有財産、法治、人権、個人、契約、科学的合理主義、三権分立などの原理と価値が緊密にかみ合って回るシステムだ。このうちどれか一つだけ抜けても近代はまともに作動しない。 もちろん、こうしたシステムは100%完璧ではなく、共同体の成熟度によって問題はいつでも生じ得る。しかし、少なくとも社会全体の価値体系とプロセスは簡単に崩壊しない。それが崩れれば、それはもはや近代ではなく、近代国民国家ではない。

近代国民国家は近代を構成する価値が一つの政治体制(governance system)として総合具現されたシステムだ。このシステムでは近代の原理と価値がより緊密に相互結合して作動する。政治権力は基本的に排他性と完結性を追求するからだ。国家を構成する原理に穴が空いた場合、国民に対する国家の強制力は作動不可能だ。

日帝時代に日本の憲兵や官憲が朝鮮人の家庭に不法侵入し、幼い少女を連れて行ったとしてみよう。朝鮮人慰安婦規模は20万人説が韓国では常識同様に通用している。一人や二人でもなく、そんなに膨大な数の少女が不法に連れて行かれたのに社会が静かでいられるだろうか?当時も朝鮮や東亜などのマスコミが存在し、批判的な記事も多く掲載した。大規模不法が静かに覆われるということは不可能だ。

当時は朝鮮時代とは異なる近代的司法体系と一線治安機構が存在した。ところで、自分の娘を奪われた朝鮮人たちがただ涙だけ飲み込んで我慢したということか?不可能だ。治安機構や行政機構などに行って大騒ぎするしかない。そして朝鮮総督府はそのような状況を決して黙殺することはできない。近代国民国家の秩序でこれは必然的な現象だ。

日本は20世紀半ばに自主的に飛行機を製作し、世界で初めて空母も作った。このような技術力は法治と人権、契約などの近代的価値が生きて動いてこそ実現可能になる。偶然ではないのだ。日帝強占期に「少女狩り」のような悲劇が発生し、朝鮮総督府がこれを放置する社会だったとすれば日本は決してそのような技術力や産業基盤を備えることはできない。当時、朝鮮は日本本土と一つのシステムでつながって作動していた。

日本に対する怒りを抱くことはできる。歴史的背景があるからだ。しかし今起こっている状況を見れば韓国社会はいくら大目に見ても日本問題に関する限り、一種の集団精神病にかかった状態だと評価せざるを得ない。現在まで日本をこのように敵対視し、憎悪を燃やす現実的な理由が全くないためだ。まるで日本憎悪の歴史的使命を帯びて生まれたというふうだ。

今、日本に対する憎悪は結局、北韓と中国に有利な結果につながるしかない。前近代と近代にかけて中国が韓半島に及ぼした被害は、日本が及ぼした被害と比較できないほど深刻だ。日本は韓半島に莫大な投資をし、それが近代化の成果につながった。今も韓日両国は安保と経済の両側面で緊密な協力関係だ。しかし中国はただ被害だけを与え、今も与えている。

日本に対する怒りと憎悪は日本が主導して韓半島に導入した近代的価値に対する敵対感につながっている。特に左派が主導して建設した1987年体制以後そのような傾向が目立つ。朝鮮の復位が推進され、前近代的価値に対する美化が広がっている。2世紀にわたって血と汗を流して達成した近代化が危険になりつつあるのだ。このような動きの背後に北韓と朝鮮という、前近代的価値によって設計および構築された勢力があるという心証が深まる。

非理性的な反日精神病を捨てられなければ大韓民国の未来はない。日本が問題ではない。近代化が問題だ。今、大韓民国反日精神病は日本を全く傷つけることができない。今、この国の反日精神病者たちは一種の自衛行為で日本を憎悪しているが、その結果は致命的な自傷に過ぎない。



ペンアンドマイク「[주동식 칼럼] 반일 정신병과 대한민국 근대화의 위기([チュ・ドンジクコラム]反日精神病と大韓民国近代化の危機)」より一部抜粋

本題とは関係ありませんが、1921年に服を仕立てるのに現代の感覚で「乗用車1台」は若干大げさかと。1920年代に銀座で撮影された写真がファッション資料として残っているような状態ですよ?パリで流行したミニスカートが日本に入ってきたのも1920年代です。
著者の「イメージ」は明治、大正、昭和の「大正」に当たる部分がスッポリ抜けてる感じではないでしょうか。

ところで、全く無関係な17人の人命が犠牲になっているのに、これを「精神錯乱状態だった」と無罪を主張するのが「冷静な近代的常識」というのに私は違和感を感じます。「韓国で同じようなことが起こったら?」と問いかけるための引き合いに出されたのでしょうが...。責任能力の有無を争点にしたという意味では近代的裁判だったと言えるのかもしれませんけれども。

韓国が「日本憎悪の歴史的使命を帯びて生まれた」というのはあるでしょう。大韓民国という国家の成立アイデンティティ(根っこ)に「日本憎し」を組み込んでしまったので。

韓国の保守の基本路線として

  • 日本より中国や北朝鮮の方がずっと韓国にとって脅威で被害をもたらす
  • 安保・経済において日本との緊密な協力関係は重要だ

↑を前提に「だから反日行動から抜け出し日本と協力しなければならない」という理屈に進みますが、先にも触れたように「大韓民国」という国家の根っこに「日本憎し」の反日DNAが組み込まれている以上、一切響かないんですよねぇ。

韓国が日本を過小評価するクセも影響していると思います。これ、日本が韓国を侮っているという言説もよく耳にしますが、韓国(朝鮮)が日本を「下」に見るクセの方が歴史が長く根が深い習慣だと私は思うんですよね。
それと韓国社会に通説として広まっている日韓併合期の認識。これらが覆らない限り無理でしょう。