「韓国はもう先進国だ。日本と比べるのはやめよう」という話

「韓国はもう先進国だ。いちいち日本と比較するのはやめよう」とするコラムがありましたので紹介します。
なんとなくですけれど、この手のコラムは韓国に自信がなくなったときに出てくる傾向が高いように思います。今回の場合ですと、米韓・日米首脳会談の成果を勝手に比較して勝手に自信をなくした...そんな流れで出てきたような。

それはともかく。一つの事例ではありますが、韓国人が考える「先進国」の在り方が透けて見える内容となっています。
簡単に言うと、「高級外車が溢れる国」「購買力の高い国」「贅沢な国」これが「先進国」という認識になります。
この記事の本題はおそらくそこではないと思うのですが、比較する必要はない、と言いながらこうした上辺の面を日韓で比較して「韓国は日本に追いついた」という論拠としています。
何をもって追いついたと主張するのかはそれぞれですけれど、この「先進国」の基準がどうしても気持ち悪い ...なんだかズレを感じるのです。

 



東亜日報の記事からです。

先進国大韓民国として日本を眺めよう[東亜広場/パク・サンジュン」


(前略)

日本の敗戦後も、日本は常に韓国より豊かな国だった。私が日本に初めて行ったのはバブルが消えて10年近く経った時だったにもかかわらず、韓国ではソウル江南でしか見られなかった高級外車が日本では地方の小さな町にも珍しくなかった。東京銀座に行った時には高級外車が並んでいて不思議だった記憶もある。渋谷通りにブランド品売り場が並んでいて驚き、デパートの製菓コーナーの品物が過度に高級に包装されていて浪費ではないかという気もした。

それから20年経った今は、ソウルが東京より豪華に見える。韓国でもどこへ行っても高級外車が並んでいる。ベンツが韓国であまりにも売れて、日本のベンツ役員がストレスを受けているという話も聞いた。いつの間にか韓国は日本ほど豊かな国になった。

韓国は日本より人口が少ないため経済力は小さいが、1人当たりの所得は日本とほぼ同じ水準だ。購買力を基準にすると、韓国が少し高く名目にすると日本が少し高い。欧州のドイツとオランダが同じ先進国であえて誰が豊かに暮らしているかを問わないように、韓国と日本ももはやそのような関係になった。

しかし、そのような関係の変化が韓国人にも日本人にもまだ不慣れだ。日本人は、もう韓国も先進国だということを知っている。しかし、それにも関わらずある一角に置いては依然として日本より劣る面があると考えているようだ。韓国人はもう日本に追いついたと思いながらも、それでもまだ韓国が日本より下の位置にいると感じているようだ。だから日本が衰退しているというニュース、今は韓国の方がマシだ、というニュースに執着するのではないか。

韓国はすでに日本と対等な水準の先進国だ。あえて日本の弱点を暴いて、今、我々が追いついたことを一々確認する必要はない。日本の短所と弱点だけでなく、長所と強みも韓国には良い参考になる。日本は海外で絶えず所得が発生し、失われた30年が過ぎても働き口がしっかりしている。それで日本をありのまま見て知ることが韓国にも有益えだ。今は楽に先進国大韓民国としてありのままの日本を眺めてみよう。



東亜日報「선진국 대한민국으로 일본을 바라보자[동아광장/박상준](先進国大韓民国として日本を眺めよう[東亜広場/パク・サンジュン」)」より一部抜粋

前半は大きく削っています。ざっくりと「両国の経済ニュースは偏向していてネガティブニュースしか伝えないよ」みたいなことが書かれています。

記事を書いたパク・サンジュンさんは早稲田大教授だそうです。
物質主義が必ずしも悪いとは言いませんけれど、それだけが「先進国」の指標のような記事の視点が私には疑問です。

私が感じる「先進国」には、生き方の多様化が進んだ国というのが条件の一つにあると思います。記事内の言葉を借りるなら「よく暮らす(豊かに暮らす)」方法、すなわち「幸せ」の形の多様化です。

高価なモノに囲まれて暮らす、贅沢に暮らす...これも一つの幸せの形かもしれませんが、そうしたものに価値を見出さない生活スタイルに幸せや充足を見出すのが当たり前となったのが「先進国」なのではないかと。

それを「高級外車」がどうこう「ブランド売り場」がどうこうで判定しているのが気持ち悪さ ...ズレの理由だと思います。
早稲田大教授というからには日本在住なのでしょうけれど、物質的価値至上フィルタを通して日韓を見ている限り、このズレは埋まらないだろうなぁと。