安重根は日本が好きだった?という話

安重根はなぜ日本が好きだったのか、な話です。
正直、安重根が本当に日本が好きだったのかは分かりませんが、彼の思想の根っこと言うか、人生において切っても切れない存在であったことは確かでしょう。

 



ペンアンドマイクの記事からです。

[キム・ムンハクコラム]安重根はなぜ日本が好きだったのか


安重根が執筆した自叙伝「安應七歷史」やそれに関する伝記、そして日本人の証言を総合すれば安重根の成長の背景には必然的に「日本」という要素が多く含まれていたことが分かる。

約100年前、朝鮮の近代化や植民地支配に深く結びついた日本の影響を否定することはできない。安重根は最初から無条件に日本を排斥し、憎悪したわけでは無かった。安重根の家族も日本を忌避した反日一家ではないことは安重根研究の第一人者であるチェ・ソミョン国際韓国研究院院長の言葉からも立証される。

(中略)

1884年頃、京城に滞在した時、パク・ヨンヒョ氏が深く国の形成が危険でめまいがすることを知パイして政府を革新し、国民を改名させようと遵守した青年70人を選定して外国(すなわち日本)に留学させることにしたが、父親もそこに選抜された。ところが悲しいことに、政府の奸臣たちがパク・ヨンヒョ氏を謀略して反逆罪に追い込んで逮捕しようとすると、その時パク氏は日本に亡命し、その同志たちと学生たちは殺戮され、あるいは逮捕され遠いところに亡命したりもした。
私の父は避難して故郷に帰郷し、祖父と話し合うが『国事が日増しに間違えようとするので富貴公明は望むことではありません』と話した。『一日も早く故郷に帰って山で暮らしながら、雲の下で畑を耕し、月夜に魚でも釣りながら悠々自適に日々を送るのがより良いのです』と話した。そして、家財を全て売って財産を整理して馬車を準備し、親族を連れておよそ70~80人が新川郡清渓洞の山中に引っ越した。そこは地形が峻嶮だが田畑があり、景色が美しく、それこそ別有天地と言えるところだった」

これは安重根が67歳のときの家族史に対する思い出だった。父親の安泰勳は反日派ではなかった。むしろ親日的な政治家の巨頭であるパク・ヨンヒョの影響下にあった人物であることが分かる。日本が好きで、日本留学まで行く所に至ったが、直前に(安重根の話によると)奸臣たちによってパク・ヨンヒョが陥れられたため山中に隠居することになる。安泰勳は反日運動をした行跡は見られない。

父親の影響と見られるが、安重根日露戦争当時の日本勝利に対して心から湧き出た快哉を叫ぶ。現在、韓国の教科書では日露戦争を「日本の大陸進出と朝鮮半島の支配権確保を目的とした侵略戦争」と非難しているが、安重根は正反対に万歳を叫んだ。

成人した安重根は日本が率先して東洋の近代強国になったことに心から期待感を抱いていた。実は安重根だけでなく、当時の朝鮮の腐敗した朝廷の近代国民国家建設に失敗した無能さに失望したエリートたちは、日本の近代化への期待感が大きかった。したがって日本式近代化の道を選択した者が多かった。

(中略)

「東洋平和論」で安重根は次のように述べている。「日露戦争は黄白両人種の競争といい、前日までの日本に対する敵意はすぐに消え、むしろ一種の愛種党(黄色人種を愛する勢力)となり、これもまた認知想定であるため理に適っている。爽快だ。数百年来、悪事を日常的に行ってきた白人種の先鋒が太鼓をたたくと大敗してしまった。日露戦争の勝利は千古に珍しい事業として万国が記念すべき業績だ。そのため韓清両国は忌憚なく自分が勝利したような嬉しい気持ちだった」

これから安重根は愛国啓蒙運動の実力養成運動に身を投じることになる。26歳の安重根は自叙伝で、当時日本との「力学関係で、現在義兵を経て伊藤の政策に反対すれば犬死に終わる」と主張し、その後、安昌浩と意気投合し学校を運営しながら人材を養成した。西洋に対してより日本に対して好感を持つようになった。



ペンアンドマイク「[김문학 칼럼] 안중근은 왜 일본을 좋아했나([キム・ムンハクコラム]安重根はなぜ日本が好きだったのか)」より一部抜粋

その安重根がなぜ伊藤博文〇殺という暴挙に出たのか、その辺りまで掘り下げて欲しかったところです。

記事に対してコメントでグチグチ言っている人がいるんですけど、記事で引用されている「東洋平和論」は、著者の「論理」に合う都合の良い部分だけを恣意的に抜き出しており、日露戦争での日本の勝利に快哉を叫んだ後、日本を非難する文が続いているそうです。(原著を読んでないので本当かは知りませんが)
よってコメントによると、当時の東洋人(清・朝鮮)は「悪行を日常的に行う白人、つまりロシア人の敗北を望み、東洋平和と大韓独立を強固にする日本天皇の布告文を信じた」が、しかしその後、日本は「最も近く、親しく、か弱い人種である韓国を抑圧し、条約を結び、蛮行を犯したロシアよりさらに有害になった」のだそうです。

つまり...勝手に期待して、その期待が裏切られたってことですかね。確かに、そう捉えた方が「安重根は日本が好き」と考えるよりスッキリする気がします。
安重根にとって日本は少なからぬ影響を受けた存在で、日露戦争でロシアに勝利したことである種「理想化(ヒーロー化)」していたのではないかと思います。その日本が朝鮮に対して「良く」してくれなかったことで幻滅したんでしょう。
海外で育った人が初めて自国に帰ったときに感じる疎外感やカルチャーギャップに近いかもしれません。自分はずっと心理的故郷だと感じていたのに、相手はそうじゃなかった、みたいな。


ちなみに、このコメントを書いた人は「客観的な見地を維持してほしい」と書いているのですが、そもそもコラムってのは主観的な文章です。