「反日種族主義が権威主義政治を生み出している」という話

反日種族主義」のイ・ヨンフンさんが特別寄稿として12,000字を超える超長文を書いています。
原文は呆れるほど長いです。もうちょっとテーマを絞って書いてくれたら読みやすくて有り難いんですけどねぇ...。

色々削りましたが、それでも長いです。
またイ・ヨンフンさんが「反日種族主義」と定義しているものの核にイ・スンマン大統領が独立運動で掲げた大義や思想に反する行為(=大韓民国の独立成立の有り様を否定する行為)としている部分があります。「反日種族主義」の定義を理解する上で大事なポイントになります。


ペン・アンド・マイクの記事からです。

【特別寄稿】韓国人たちの高い「反日種族主義」が権威主義政治を誕生させる


(前略)

イ・スンマン大統領は独立運動において、今日の世界そしてこれからの未来の世界は公儀の時代、それ以前の伝統の時代とは異なり、公儀、公正な義が支配する時代だと診断しました。人間が自由独立的個人として自立し、それらの民主主義が成熟し、自由通商が経済を発展させ、そのようなものが公儀なら、そのような公儀に基づいて建てられた最初の国、米国の主導のもと、今後世界はそのように発展していくだろうし、韓国の独立もこの公儀の世界、その主流の流れに賛同することで可能であり、またそのように当然成し遂げられなければならない。

したがって独立の道は我々が日本をチョッパリだとウェノムだの、亡国の恨だの野心を糾弾して悲嘆するだけの独立運動では全く成り立つものではなく、また数十人、数百人が性急に武装活動をしたり、1人や2人の血気あふれるテロ行為では決して実現できず、1人の韓国人が精神的に世界市民として成熟する道であり、世界の教養人に生まれ変わる道である。

そうすれば世界の自由社会から韓国の独立に対する当為性が理解され、支持されるとき、いつか独立の機会を迎えることが出来るというのが、韓国のイ・スンマン大統領の基本的な独立精神です。

1930年代以降、戦争時代に入り彼は激しい口調で帝国主義の侵略野心を批判し、絶えずそれに対する警戒を強め、同時に大韓の独立こそアジアの平和ないし世界民主主義の発展に重要なことになるという事実を絶えず説得することで、ついに米国が戦後の韓半島に介入するようにする道を開いた。これこそイ・スンマン大統領の独立運動の業績といえます。

このような独立運動の精神で大韓民国が建てられたとすれば、この精神に基づいて我々が日本との関係を再確立するのは1965年のことです。イ・スンマン大統領は基本的に自由と民主主義と自由通商に立脚し、世界の発展を信頼した国際主義者であったにも関わらず、当面の現実政治にとらわれ、新生独立国の国格と独立の意志を再確認・醸成し、このように国民を統合し、ひいてはこの地に残された約20億ドルの財産に対する日本の再侵略の可能性と野心を封じ込めるため、強い反日政策を取りました。

しかし、それが建国初期にやむを得なかった歴史的制約だとすれば、その制約を突破して日本との関係を正常化させ、韓国を公の世界の主流に組み入れるという歴史的転換がなされたのは1965年の韓日国交正常化だ、としています。

14年も続いた長い交渉の末、まず歴史を清算しました。1910年度の併合条約は既に無効であり、両国が双方の立場を固守したまま見事な妥協を果たし、同時に日本は韓国に残しておいた財産を放棄し、また韓国が日本国や日本政府に対して保有する各種請求権は3億ドルの無償援助と2億ドルの公共借款で永久に清算すると約束しました。

この約束後に両国間の国交が正常化することで、韓国・日本・米国を結ぶ太平洋を舞台とした政治経済同盟が成立し、日本の技術と資本、米国の資本と市場、そして韓国の有能な労働力が結びついた高度成長メカニズムが成立し、その後30年間、世界資本主義史上類を見ない高度成長時代を切り開きました。韓国建国初期のとても見ごたえのある歴史だったと思います。

(中略)

国民の多数は国交正常化に賛成しましたが、野党や在野の政治家、知識人の反発にあい、韓日国交正常化に反対する巨大な民衆デモが起きました。

野党は大衆経済を全面に押し出したんです。1967年の大統領選挙では、野党は対中経済論を公式的な自党の経済政策として掲げました。これは外国との関係を避けられない範囲内で最小限に抑え、国内市場、中小工業、農業を中心とした成長戦略です。韓日国交正常化に反対する批判勢力の代案の提示は、その根底に反日種族主義があると思います。

種族主義は、私が幾度と無く提起してきましたが、隣人に対する不変の敵対感情を特徴としています。事実に反する非科学的な歴史的認識に基づいて、一切の理性的討論と調整を拒否する不変の敵対感情です。合理的な討論と批判を通じて結論を導くだけの知的能力を欠いた集団知性の低劣な水準のいたす所と言えるでしょう。

1965年当時の韓国のいわゆる批判的知識人たちは、世界史の主流として公儀の世界が開かれ始め、この公儀の世界に大韓民国が参加する道として、大韓民国が独立しこれからその道に進み、大韓民国が反映を成し遂げ、この民族を再び統一するという歴史に対するビジョンや人間性に対する理解のような、かつてイ・スンマン大統領が民族の進む道として提示したビジョンに対する理解がありませんでした。

彼らは英米が主導した近代世界に対する理解が欠けている人々でした。彼らの精神世界は、民族・民衆・階級、このような集団主義アイデンティティと、それに基づいた強烈な反日敵対感情に満ちていました。

(中略 ※パク・チョンヒ、ノ・テウの業績を擁護したり評価したり※)

キム・ヨンサム大統領は長い間両国の沈黙協約により独島紛争を双方が提起しない、という秘密協約を破りました。1995年に独島に接岸施設を着工し、カーテンの後ろに隠されていた独島紛争を国民のアジェンダとして現実化しました。それとともに反日種族主義の感情が高まる中、ついにイ・スンマン、パク・チョンヒ大統領を公然と否定し始めました。そうやって韓国の歴史が、その時から本格的に歪曲され始めたのです。同時に1992年以降、慰安婦問題、太平洋戦争犠牲者補償のような歴史問題がは激し提起され始めました。

キム・デジュン大統領時代を経てノ・ムヒョン大統領は独島の接岸施設を拡充し、民間旅行を奨励しました。

(中略)

反日種族主義はイ・ミョンバク、パク・クネ政権のときも同じでした。その延長線上にあり、現政権初期の3年間、反日種族主義は絶頂に達しました。ムン・ジェイン大統領はパク・クネ大統領が苦労して達成した慰安婦問題に関する両国の協定「これで永遠にこの問題を解決する」と双方の間で結んだ協定を破壊しました。

(中略)

2018年には長い間、日本などで訴訟を起こし敗訴を繰り返したヨ・ウンテクら4人、これらは日帝統治下で日本製鉄に就職した人です。日本製鉄が労働者を募集する際に応募し、5対1の競争率をくぐり抜け合格して日本に行き、訓練を受けて労務を果たし、チョンジンにある日本製鉄工場に転勤して労働労務をし開放を迎えた人たちです。

これらの人々が提起した訴訟に対し、最高裁判所が強制連行された、虐待された、そして非常に貧弱な賃金で扱われたという歴史的認識を前提に慰労補償を受ける権利は1965年の両国間の協定にもかかわらず、時効には関係なく有効という法理に基づき、新日鐵住金は1億ウォンずつの慰謝料を支払うよう命じる判決を下しています。

(中略)

イ・スンマン大統領の大きな姿は国際的自由主義者です。とても純粋で、急進的な自由主義者でした。自由主義者は基本的に自由通商を信頼し、自由通商に立脚した国際的強力を重視するイ・スンマン大統領の基本的な主義です。彼が国会議長に就任したときの演説の最後を見ても自由通商の話が出てきます。その自由通商を実現した人がパク・チョンヒ大統領です。

(後略)

ペン・アンド・マイク「[특별기고] 한국인들의 드높은 '반일 종족주의'가 권위주의 정치 탄생시켜(【特別寄稿】韓国人たちの高い「反日種族主義」が権威主義政治を誕生させる)」より


後ろの方は慰安婦問題や徴用問題に関して韓国の知識層や政治家、メディアの有り様(無責任・水準低下)に対する問題意識について書かれています。しかし全体的には悲観はしておらず、先日の「まともな司法判断」が出始めたことを「反日集団催眠からの目覚め中」と希望的に捉えてます。
うーん...そうだと良いんですけどね。程度の差こそあれ韓国は戦後一貫して「反日」ですから。そんな上手くいくでしょうか...?

私は特にイ・ヨンフンさんを支持しているわけではありません。彼はちょっとイ・スンマンを理想化し過ぎているように感じられ、そこは相容れないな、と思います。
イ・スンマンが国内政策のために反日を煽ったことは事実です(イ・ヨンフンさんは時勢的に「仕方がない」と見ているようです)し、竹島問題の火種を撒いたのは間違いなく彼です。
記事中でまさに指摘されている「彼らの精神世界は、民族・民衆・階級、このような集団主義アイデンティティと、それに基づいた強烈な反日敵対感情に満ちていました」というのは、イ・スンマン自身が行ったことの結果です。
それが制御不能に陥り彼は祖国を追われました。「韓国大統領」がやっていることは末路まで含めて、今も昔も全く変わっていません。イ・スンマンだけが特別だったわけじゃありません。

ただ、「1965年の日韓基本条約を両国関係の基礎とすべき」との考えには全面的に同意します。実際問題ここを無視してしまうと以降結ばれた両国間の条約や協定は全て瓦解します。
それと「事実を事実として評価する姿勢」を重視する姿勢には敬意を払いたいと思います。