【バンダーさん】「日本内の嫌韓の拡散原因」「米国の『ニミッツ』提督と日本の『東郷』提督の出会い」の話

趙甲濟ドットコムよりバンダービルドさんのコラムから「日本内の嫌韓の拡散原因(最近10年の主な例)」「米国の『ニミッツ』提督と日本の『東郷』提督の出会い」です。



日本内の嫌韓の拡散原因(最近10年の主な例)


憲法裁判所、「慰安婦問題に韓国政府が積極的に乗り出さないことは違憲」判定(2011)
日本大使館前の慰安婦像の隣に「平和の碑」設置(2011)
¶イ・ミョンバク大統領の独島訪問(2012)
¶イ・ミョンバク大統領、天皇関連「韓国に来たければ独立運動家に謝罪」言及(2012)
南スーダン派遣の自衛隊が韓国軍向けに実弾1万発を提供、居直りの形で日本を球団(2013)
¶フランスのアングレーム国際漫画祭で「慰安婦企画展」を推進(2014)
日本大使館のロッテホテルでの行事に爆破脅迫(2014)
¶日本の記者(加藤達也)の出国禁止・起訴(2014)
¶在米韓国人、安倍首相の米議会演説阻止に総力戦(2015)
与野党国会議員、安倍首相の米議会演説内容を気に入らないとして「安倍総理糾弾」決議(2015)
¶日本の明治産業遺産のユネスコ登録を妨害(2015)
靖国神社に対する手製爆弾テロ(2015)
¶釜山日本総領事館の前に慰安婦像設置(2016)
¶釜山、韓国人窃盗の対馬の仏像返還不可判決(2017)
¶ニューヨークの電光板に「軍艦も徴用」など反日広告(2017)
¶「日本は同盟ではない」とムン・ジェイン大統領が米・日首脳の門前で公式言及(2017)
トランプ大統領府での晩餐に慰安婦出身の登場、および独島エビ演出(2017)
旭日旗を問題視し、韓国主管の国際観艦式への日本参加を封鎖(2018)
慰安婦問題の合意によって設置された財団の解散(2018)
¶日本の哨戒機に向けて武器発射用レーダー照射(2018)
最高裁、日本企業に対する徴用賠償判決(2018)
不買運動(2019〜)

日本大使館前の違法性反日デモ、国内および海外を舞台に展開される慰安婦像設置、旭日旗狩り、独島関連の各種パフォーマンス(芸能人、国会議員の訪問など)は、すでに日常化段階であり、韓国マスコミの反日歪曲・捏造報道は固着化状態。

趙甲濟ドットコム「日本 內 혐한(嫌韓) 확산 원인(최근 10년 주요 例)(日本内の嫌韓の拡散原因(最近10年の主な例))」より


一番の問題は「日本はこういう↑ことをされても当然だ。それだけの事をウリにしたのだから。文句を言うなんて生意気だ。反省が足らない」的な認識が根底にあることじゃないかと思うのです。

米国の「ニミッツ」提督と日本の「東郷」提督の出会い

終戦後、ニミッツは東郷提督がロシアとの対馬沖海戦当時、乗船していた戦艦三笠が放置されていたのを知り、保存を訴える文を文藝春秋に寄稿した。

チェスター・ウィリアム・ニミッツ(Cheste William Nimitz, 1885〜1966)提督は、第二次世界大戦で大活躍した米国の海軍指揮官である。終戦当時、米太平洋艦隊司令官だった。ニミッツ提督はミッドウェーやマリアナ海戦などで卓越した戦果を挙げた。1945年9月2日、ニミッツ提督は、日本の東京湾に停泊した戦艦ミズーリの船上から、日本側が提出した降伏文書に署名した。ところでニミッツ提督が日本に足を踏み入れたのはこの時が初めてではない。

ニミッツ提督は1905年の士官候補生時代、戦艦オハイオに乗り日本を訪問した。当時、日本はロシアとの戦争で勝利したときで、ある日これを記念する盛大な祝賀会が開かれた。偶然ニミッツは同僚と一緒にこのパーティーに出席することになり、宴会場に遅れて到着したため、中には入れず出口側のテーブルに座ることになった。祝賀会にはロシアのバルチック艦隊を撃破して国民の英雄となった「東郷平八郎(1848〜1934)」提督も出席したが、東郷提督は宴会場を出る際にニミッツ一行のテーブルの横を通ることになった。ニミッツ一行はこのとき、ワインなどの酒類を飲んだ状態だったが、大胆にも東郷提督に近づき、自分のテーブルに座ってくれるよう頼んだ。意外にも東郷提督は彼らの要請を快く受け入れて同席した。ニミッツと同僚たちは東郷提督としばらく歓談した。英国で学んだ東郷提督の流暢な英語と、彼の話す話に感銘を受けたニミッツは東郷提督を心から尊敬する気持ちを持つようになった。

ニミッツ提督と東郷提督の出会いはこの時が最初で最後だった。ニミッツが再び東郷提督に会いに行ったのは1934年6月5日の東郷提督の葬儀である。当時、ニミッツは米海軍オーガスタ号の艦長だった。ニミッツは東郷提督が駆使した戦術を研究し、自分が「東郷提督の弟子」だと明らかにするほどになった。その後、ニミッツは着実に昇進し、海軍軍人に与えられる最高階級の元帥(星五つ)の座についた。

終戦後、ニミッツは東郷提督がロシアとの対馬沖海戦当時、乗船していた三笠が放置されていることを発見した。三笠は1926年に記念船として開放されたが、その後、一部は解体・改造され、戦後は米軍のためのダンスホール施設が内部に設置された。ニミッツ文藝春秋に三笠の保存を訴える紀行文を書き、原稿料2万円(当時の金額*1)全額を三笠の保存基金に寄付した。このような努力により1961年、三笠は横須賀から記念艦に復元された。そしてそれから5年後、ニミッツは世を去った。

このようなニミッツの努力に感謝し、日米間の持続的友好増進を祈願する趣旨で1976年、日本内の関連団体の募金を通じて設けられたニミッツ記念碑が米国国立太平洋戦争博物館テキサス州)側に寄付された。また、東郷が生前使っていた官舎の様子(庭園など)を模して作った「平和庭園」も造成された。日本で作られた材料をそのまま持ってきて現地で組み立てる形で作った。「平和庭園」内に置かれた石碑にはこのように刻まれている。

「この庭園は、ニミッツ元帥が東郷元帥に示した尊敬を記念し、両提督が心から願う日米友好と世界平和を祈り、日本国民が米国国民に捧げるものです」

ニミッツ元帥が日本国民に伝えたメッセージ>

「戦争で受けた被害は両国民にとって甚大でした。ですが、時間の経過と共に癒やされ、今では両国が手を取り合っています。心から嬉しいことです。私は両国間のこのような関係が今後も永遠であることを切に願っています」

趙甲濟ドットコム「美國 '니미츠' 제독과 日本 '도고(東鄕)' 제독의 만남(米国の「ニミッツ」提督と日本の「東郷」提督の出会い)」より


ニミッツさんの名前は確か空母に付いていたはずです。もしニミッツさんが韓国人で、同じように「東郷を尊敬している」と公言していたらあり得ないことです。親日派売国奴と呼ばれ社会的に抹殺されて終わっていたでしょう。

*1:昭和33年。当時の公立小学校教師の初任給は8000円程度。物価指数は現在の約1/6。