「反日種族主義」を批判する人たちの論旨のすり替えの一例の話

反日種族主義」の共同著者の一人が、日刊朝鮮に寄稿文を載せていました。
本が出版されてから、メディアやフォーラムなどで行われた批判攻撃の大まかな流れと、その内容に対してです。

すごく長いのですが、その中に韓国人(やメディア)がよくやる「論旨のすり替え」について言及している部分がありましたので一部抜粋しました。

この手の話題に限らずこうした「すり替え」が本当に多いです。


日刊朝鮮の記事からです。

罵倒と暴行はあったが、議論はなかった


(前略)

彼らは「反日種族主義」の著者を正しく批判していなかった。彼らは「反日種族主義」の内容を、とんでもないことにすり替えてはそれを間違って批判するだけだった。

一例として、イ・ヨンフン教授が慰安婦強制動員の証拠を無視した、について批判をしてみよう。8月12日、SBSの記者は夕方<8時のニュース>で「被害者の証言と文言は無視したまま『強制動員ではない』」と題して報じた。強制動員の証拠としながら「23人の慰安婦の全員が強制や詐欺によって慰安婦になった」とは、1945年に昆明の日本軍捕虜尋問記録、そしてオランダの女性を強制的に動員した日本軍の捕虜尋問記録をあげた。

しかしこの「強制と詐欺」の主体は日本軍ではない。極貧家庭の娘が前借金を受け取った親や親戚、知人によって募集業者に渡されたり、家庭が壊れた後、行き場のない婦女子が仕事をあたえるという募集業者の誘いに乗ったのが慰安婦になる代表的な経緯であった。慰安婦を作り出した「強制と詐欺」の主体は募集業者と親、親戚、知人であった。また、オランダ女性の場合には日本軍が占領地インドネシアで「暴動を起こしたオランダ人に対する処罰」としながら、その娘5人を慰安婦として強制的に連れて行ったのだ。これは朝鮮人女性が慰安婦になった経緯とは全く異なった。

日本軍の慰安婦強制連行を否定しても朝鮮の女性が自発的に慰安婦になったというわけではない。しかし、イ・ヨンフン教授が朝鮮の女性が自発的に慰安婦になったと主張したかのようにすり替えては、「見ろ、強制性がないんだろう」とするのが、この反日種族主義者たちの批判方式である。

(中略)

反日種族主義者たちは、日帝労務動員を含むより大きな朝鮮人の日本移住の流れを努めて無視する。1939年〜1945年の間、日本の労務動員で72万人の朝鮮人が日本に行き、解放当時までに32万人が残った。そして兵士、軍属として日本に行った朝鮮人が11万人いた。これらを除いても、1939年〜1945年の間に増えた在日朝鮮人は77万人である。日本での出生者を除く、その大半は自由渡航者だ。途中で朝鮮に帰還したものまで考慮すると、日本当局の労務動員よりも多くの朝鮮人の自由渡日があったのだ。反日種族主義者たちは、この巨大な労働移動の流れを見ずに朝鮮人が強制的に連行されて奴隷のように酷使されたとオウムのように唱えるだけだ。

反日種族主義」に対するこのような批判には何の意味もない。慰安婦問題や徴用賠償問題、独島問題などについて、著者が新たに明らかにした事実をもとに議論をより進展させなければならない。しかし、慰安婦運動家や徴用賠償運動家たちは長年の主張を繰り返しつつ話すだけだ。この項目をちゃんと勉強したことのない無知の記者とPD*1が加勢して誹謗を続けた。数十年研究した結果として「反日種族主義」本が出てきたが、その後に行われたのは騒乱乱場であった。

(後略)

日刊朝鮮매도와 폭행은 있었지만, 토론은 없었다(罵倒と暴行はあったが、議論はなかった)」より一部抜粋


念の為付け加えておくと、オランダ人慰安婦については処罰がなされています。(処罰されていればいいのか、というはまた別問題かもしれませんが、ここでは置いておきます)

この件が発覚したのは、東京から収容所を視察に訪れた日本人将校に助けを求めた人たちがいたからです。
後に東京裁判でも取り上げられ、関わった将校たちはB・C級戦犯として裁かれています。

朝鮮女性の場合は東京裁判で取り上げられなかったばかりでなく、誰も助けを求めず、家族は捜索願も出さず、強制連行の目撃者も居らず…朝鮮人同胞の兵士が慰安所を利用していたというのが実態です。


*1:プロデューサー