【バンダーさん】「『中国の3不』と『日本の3不』で四面楚歌に陥った韓国」の話

趙甲濟ドットコムよりバンダービルドさんのコラムから「『中国の3不』と『日本の3不』で四面楚歌に陥った韓国」です。

中国の3不は「サード追加配備しない」「米国のミサイル防衛網に参加しない」「日米韓軍事同盟ありえない」の3つです。日本の3不は韓国に対し「助けず、教えず、関わらず」です。中国の3不は中国の不可の要求に韓国が積極的に協力するもの、日本の3不は韓国がどうしようと日本がそっぽを向くもの、と方向性としては大分違います。


「中国の3不」と「日本の3不」で四面楚歌に陥った韓国

中国が伝統的に韓国に接する方式(強く出れば効果的)を日本がベチマーク(?)

韓国に配備されたサード(THAAD、高高度ミサイル防衛システム)は中国にとって「目の敵」だ。サード迎撃ミサイルは射程200キロで、中国が韓国に向かって先制ミサイル攻撃さえしなければ中国に害は無い。問題はレーダーだ。探知距離は800キロのため、中国の一部が単騎される。それで中国は2017年、星州郡への配備を前に韓国に向かって「小国が大国に対抗するというのか?配備すれば断行水準の苦痛を覚悟しなければならない」と脅しをかけた。中国内で100ヶ所以上のロッテ店舗が営業停止し、中国内の韓流が消え、団体観光も全面禁止された。

ところが探知距離800キロなら事実上、中国にとって新たな脅威ではない。既に日本の青森県と京都で探知距離5倍(4000キロ)のレーダーが中国主要地域の大部分を探知している状態だからだ。さらに中国は黒竜江省の探知距離5000キロのレーダーと内モンゴルの探知距離3000キロのレーダーを通じて韓半島はもちろん、日本列島まで探知していた。一言で言えば、韓国に対する中国のこのような高圧的態度は「中国は小国を覗いて構わないが、小国は大国を覗いてはいけない」という中華的視覚の発露としか考えられない。

問題はこのような中国の傍若無人な態度に満足できず、文在寅政権は中国に対し「高い峰(中国)、小さい国(韓国)」と云々し、むしろ屈辱的な「3不」に合意したという点だ。中国の習近平政権と韓国の文在寅政権間の3不合意は、①サード追加配備不可、②米国MD(ミサイル防衛網)参加不可、③韓米日軍事同盟不可、という3つとなっている。憂慮されるのは文在寅政権が3不合意を形式的に約束(レトリック、rhetoric)水準ではなく、実際に非常に誠実に履行中ということだ。

2017年9月、国連総会での韓米日首脳の昼食会(午餐)で文在寅大統領は米国トランプ大統領と日本安倍総理の面前で「日本は我々の同盟ではない」と宣言した(=韓米日軍事同盟不可)。また対中包囲網の構築のためのアジア版NATO(クアッド、Quad)にも文在寅政権は何の関心も無い。2017年12月に中国を訪問した文在寅大統領は北京大での演説で「高い峰(中国)、小さい国(韓国)」について随時言及し、このように強調した。

「中国の夢が中国だけの夢ではなく、アジアの全人類と共に見る夢になることを願う。韓国もその夢と共にするだろう」

対中国包囲網構築の一環として米国主導の対中国ミサイル防衛網(MD)が推進されれば、その時のクアッドメンバーの参加はほぼ必須となる。このため、このように「中国の夢」に心を奪われた文在寅政権は今後のクアッドプラス(Quad Plus、メンバー拡大)にも応じる可能性はほとんどなく、韓国が保守政権に交代しない限り、米国側がいくら無理強いしても米国主導のミサイル防衛網(MD)には最後まで参加を拒否する可能性が濃厚である(=米国MD参加不可)。

加えて、サードの追加配備は現在として可能性は低く見える。莫大な運営費に加え、現在も続く反対勢力の執拗な妨害および立てこもりなどの混乱状態を考慮すると、駐韓米軍は必要に応じて、追加配備するより移動式車両発射台の長所を最大限活かし広範囲な展開を通じて運営の効率性を高める方向に進む可能性が高い。もし今後、米国がやむを得ずサードの追加配備を推進しても中国の顔色を伺う韓国はいかなる手を使ってでも絶対反対に出ることは明らかだ(=サード追加配備不可)。

一言で、文在寅政権は中国と約束した3不を今この瞬間、とても誠実に遵守している。飛躍すると「中国の走狗」の役割に忠実である。もし韓国がこうした対中崇拝姿勢を露骨に続ける場合、米国の忍耐も近く限界に達するだろう。

韓中が主従関係に近い超密着関係なら、韓日は事実上、怨讐関係として超悪化の一途を進んでいる。最近の10年を見ても両国の間には悪材料が散らばった。

慰安婦問題に韓国政府が積極的に乗り出さないことは違憲」と韓国憲法裁判所判定(2011)、日本大使館前に慰安婦像設置(2011)、李明博大統領の独島訪問(2012)、「韓国に来たければ天皇独立運動家に謝罪しろ」と李大統領発言(2012)、南スーダン派遣自衛隊の韓国軍向け実弾1万発提供に関して居直りの形で日本を糾弾(2013)、日本の集団的自衛権行使の決定に拒否反応(2014)、フランスのアングレーム国際漫画祭慰安婦企画展」推進(2014)、日本大使館のロッテホテル行事に爆破脅迫(2014)、日本記者(加藤達也)出国禁止や起訴(2014)、在米韓国人による安倍総理の米議会演説阻止総力戦(2015)、与野党国会議員が安倍総理の米議会演説内容を問題視し「安倍総理糾弾」決議(2015)、日本明治産業革命遺産ユネスコ登録妨害(2015)、靖国神社に対する手製爆弾テロ(2015)、釜山日本領事館前に慰安婦像設置(2016)、裁判所が韓国人の窃盗による対馬の仏像の返却不可判決(2017)、米国ニューヨークの電光掲示板に「軍艦も徴用」など反日広告(2017)、文大統領米日首脳の面前で「日本は同盟ではない」と公式に言及(2017)、旭日旗を問題視して韓国主催の国際観艦式に日本の参加を源泉封鎖(2018)、慰安婦問題の合意によって設置された財団の解散(2018)、日本の哨戒機に向かって兵器の発射用レーダー照射(2018)、日本企業に対する最高裁の徴用賠償判決(2018)、日本製品不買運動(2019〜)

日本大使館前の違法性反日集会、国内及び海外を舞台に展開される慰安婦像設置、旭日旗狩り、独島関連の各種パフォーマンス(実弾射撃訓練、国会議員訪問など)は365日日常化の段階であり、韓国マスコミの反日歪曲・捏造報道は固着化状態だ。こうした韓国の非理性的態度に呆れた日本は忍耐の限界に達し、韓国に対して以前とは質的に異なる態度を見せ始めている。

日本筑波大名誉教授「古田博司」氏は、対韓国3原則で①助けない、②教えない、③関わらないの3つを提唱した。常識的な反日に対抗する3不であるわけだ。2019年に始まった日本の韓国向け輸出規制措置(半導体素材規制・ホワイト国除外)は韓国産業界全般に衝撃を与えた。半導体素材(3品目)規制による生産支障の危機感も大きかったが「日本がその気になればいくらでも韓国を揺さぶりかねない」という心理的衝撃ははるかに大きかった。韓国メディアは日本の措置により、むしろ日本の企業が被害を受け韓国は国産化を推進するきっかけになったと報じている。しかし、国際分業の効率性に逆行し、国産化の推進に伴う副作用(費用所要、収率低下、原価上昇など)はほとんど報じていない。

韓国企業は日本の2次、3次の韓国向け輸出規制に備えているため、日本への依存度が高い素材や部品を国産化するのに力を注いでいる。台湾のTSMCファウンドリー(半導体委託生産)市場シェアは右肩上がりなのに対し、サムスン電子の場合2021年に入って市場シェアが前年比下落した(18%→17%)。収率も50%前後の水準を抜け出せない状態だ。収率が50%なら生産品100点のうち50点は不良品ということになる。黒字は難しいだろう。サムスン電子ファウンドリーシェアの下落と低い収率が2019年7月から始まった日本の主要素材輸出規制と相関関係があるのかどうかを確認するのは難しい。しかし確かなことは先を急いでいる企業が以前には悩む必要もなかった「先端素材の調達」に気を揉まなければならず、万が一に備え様々な素材や部品の国産化作業を並行する必要があり、裁判所の慰安婦または徴用工判決まで気を使わなければならない状況であれば、どうして競争力が上がるだろうか?このような面で日本の韓国向け輸出規制は韓国の産業界全般にわたって有形無形の被害を与えたと考えられる。

韓半島で再び戦争が発生し、北韓が韓国を攻撃しても日本は韓国を支援しない可能性がある」

2013年に韓国で開かれた非公式の韓日外交・安保関連会議で日本側が行った発言だ。米日間の安保条約に基づき米国は日本を防御する義務があり、日本は米軍に日本内の基地を提供し米軍が運営することを認めている。

ただしこれはあくまでも日本防御が目的である。もし在日米軍が日本国外での軍事行動のために日本内の基地から航空機などを発進させる場合は、米日政府間の事前協議が必要である。したがってこのような発言は韓半島の有事に韓国を支援するために兵力を動員する場合には米日間の軍事協議が必要であり、その際に日本が「NO」と言った場合は理論上、在日米軍の韓国支援に支障が生じる恐れがあるという趣旨から出たものである。これについて安倍総理は2014年7月に「在日米軍韓半島に出動するためには日本の了解が必要」と公式に明らかにした。

趙甲濟ドットコム「'中國의 3不'과 '日本의 3不'로 사면초가(四面楚歌)에 빠진 韓國(「中国の3不」と「日本の3不」で四面楚歌に陥った韓国)」より


古田博司さんの本は読みやすいのでお世話になりました。私が「韓国と無理に分かり合う必要は無い、というか分かり合えるはずがない。歴史認識は共通化できるものではない」と考えるようになったのは古田さんの著作を読んだ影響が多分にあります。