「独島問題はアメリカのせい」...韓国メディアのサディスティックな「勝者の権利、敗者の扱い」視点の話

少し前の9月8日はサンフランシスコ講和(平和)条約が結ばれた日です。それにちなんで韓国メディアが竹島に絡めてゴチャゴチャ書いていました。

条約の草案にはもともと日本が放棄する領土の中に竹島が含まれていたのに、実際締結された最終案からは外されていた、というものです。しかしいつものことながら、外された経緯や理由についてはほとんど触れられていません。そこは本題じゃないようです。

この記事が言いたいことは、

1.日本が不法侵奪した領土を取り上げるのは当然
2.日本の領有権主張の根拠はサンフランシスコ講和条約
3.大体アメリカのせい

です。が、記事に付いたコメントには「マスゴミ」など、否定的なものが多いようなので「アメリカのせい」に関しては韓国人にもウケは良く無さそうです。

無駄に長い上に中身はホント空っぽなので読む価値はありません。けれど記事の内容そのものではなく、その背景に韓国人の考える「勝者の権利」「敗者の扱い」みたいな、そんな価値観が見え隠れしている気がしたので紹介します。

ノーカットニュースの記事からです。

日本の独島挑発、背後には米国があった[韓国の歴史を変えた今日]


70年前の今日(1951年9月8日)は第二次世界大戦敗戦国日本の戦後処理問題に決着を付けるためのサンフランシスコ講和条約が締結された日だ。歴史書で1、2度見たことのあるサンフランシスコ平和条約。しかし、これにより独島の領有権問題が浮上した事実はそれほど広く知られていない。条約締結70周年を迎え、日本の独島野心に応えた米国の役割について調べてみる。


サンフランシスコ平和条約は1951年9月8日、米国中心の連合国が敗戦国日本の地位を明確にするために締結された。


(中略)


条約の1章は戦争終了と日本の主権回復。2章は韓国独立の認定と韓国領土の放棄だ。

原文はこうだ。

「日本は韓国の独立を認め、済州島、巨文島、鬱陵島を含む韓半島とその付属島嶼に対するすべての権利、資格、領有権を放棄する」

日本はこの条項に放棄対象として「独島」が明記されていないため、独島は日本の領土という立場だ。


(中略)


CBSノーカットニュースが確保した米国立文書保管庁(NARA)の米国政府機密解除文書を見ると、1949年10月の条約草案(下の写真)には日本の領有権「放棄」対象に独島が明示されている。

これは1943年のカイロ宣言と同じ脈略だ。カイロ宣言は「日本が不法侵奪した領土返還の正当性」を盛り込んだ米国、英国、中国の間の合意だ。条約草案は韓半島およびその島嶼を日本が放棄すると明示した。

韓半島自体が日本が不法侵奪しただけに日本が所有権を放棄しなければならないように、ともに編入された済州島、巨文島、鬱陵島、独島などの島々も日本が放棄するのは極めて当然のことだった。


しかし、この草案が出てから2ヶ月後の12月15日に作成された修正案には独島が日本の領有権「放棄」対象ではなく「維持」対象に変わっている。

わずか2ヶ月後に独島が韓国から日本の領土に化けたわけだ。

草案には「敗戦国」日本が権利を放棄する地名が記述されている一方、修正案には日本の権利が明示され、まるで日本が勝利国であるかのようにさえ感じられる。

一体、その2ヶ月の間に何があったのだろうか?


その糸口は米国務省に寄せられた秘密電文にある。11月4日、ダグラス・マッカーサー司令官の政治顧問であるウィリアム・シーボルトが報告した文書だ。


(中略)


日系女性と結婚したシーボルトは特に独島がかなり前から日本の領土だったとまで主張している。


(中略)


しかし翌年作成された米政府の条約修正案には日本の独島「放棄」という文言がまた入っている。

シーボルトの活躍にも関わらず、米政府がカイロ宣言の主旨を軽視できなかったある種の事情があったというす指定を可能にさせる内容だ。


結局、条約締結3ヶ月前の1951年6月14日に条約の最終改正案が出る。

韓国領土の部分だけを見ると、49年10月13日の草案とほぼ類似している。

しかし日本が諦めなければならない韓国領土として済州島、巨文島、鬱陵島が並んでいるだけで独島は抜けている。

結局、この韓国領土部分は同年9月8日、サンフランシスコ条約の最終案として固まる。

日本はこの部分を根拠にして「条約草案には独島が日本の法器対称領土と明示されたが、最終案で抜けているのは日本の独島領有権を認めたため」と我田引水の主張を繰り広げている。


(中略)


独島研究の権威である梨花女子大のチョン・ビョンジュン教授はCBSノーカットニュースとのインタビューで「独島問題は米国の影響力から派生した問題」と断言した。

彼は「韓国も力がなく、日本も力がないので米国に頼って解決しようとしたのだ」とし「米国の決定によって地域の政治秩序が作られた時代だっただけに、独島問題も米国の(意思決定)範囲内に入っていた」と述べた。


(後略)


ノーカットニュース「일본 독도 도발, 뒤에는 미국 있었다[한국 역사를 바꾼 오늘](日本の独島挑発、背後には米国があった[韓国の歴史を変えた今日])」より一部抜粋

二転三転した内容をそのままダラダラ書いているので読み難いです。

簡単にまとめると...

  •  サンフランシスコ講和条約草案には日本の竹島放棄が明示されていた。
  •  シーボルトの意見書を参考に修正案で竹島は日本の領土とされた。
  •  しかし1951年作成の再修正案では日本は竹島を「放棄」となった。
  •  にもかかわらず、1951年6月の最終案で竹島は日本が「放棄」する領土一覧から抜けていた。

「米国はカイロ宣言を無視できない事情があったという推定を可能にさせる」というよく分からない妄想を巡らせています。何が言いたいのかよく分かりませんね。

書かれているように、カイロ宣言は「日本が不法侵奪した領土の返還」となっています。

もうちょっと細かく言うと、カイロ宣言には「日本の降伏と満州、台湾、澎湖諸島の中国への返還」は書かれていますが、朝鮮の「返還」とは書かれていません。朝鮮は「独立」です。カイロ宣言の前提条件としても朝鮮は侵略されたとは見なされていません。

朝鮮併合は1910年です。日中戦争が始まったのは1937年です。戦争で侵略された、とするのは時系列的に無理があります。

しかも記事が持ち出しているのは草案です。実際の条約に盛り込まれていないなら意味はありません。そもそも日本が竹島の領有権を主張している根拠の根幹はサンフランシスコ条約ではありませんしね。

記事にはあーだこーだ書いてありますが、前提に無理がありすぎます。その無理をなんとか通すために最終的に「米国が悪い」に落ち着くわけです。絵に書いたような「恩仇」です。

また、韓国人の考えるサディスティックな「勝敗」論が垣間見えます。

それが「敗戦国」をやたら強調するところと、「修正案には日本の権利が明示され、まるで日本が勝利国であるかのようにさえ感じられる」の部分です。

「敗者には最低限の権利すら認められない」ということで、韓国人が勝ち負けに固執するのにはこうした認識があるからではないでしょうか?彼らにとって「敗者」や「弱者」は徹底的に踏み付けられる者(踏み付けても構わない者)なんでしょう。

いつも「戦犯国」という枕詞をつけて「日本」を貶めることは当然のこと、と考える通常運転の韓国の根本もこれと同じだと感じます。