半年ほど前の記事になります。
記事自体は短いのですぐに訳したのですが、この記事は本文よりもコメントが面白いのでご紹介したかったのです。
が、そのコメントに書かれている内容の事実確認にちょっと手間取って放置していました。
本文の内容は韓国で実しやかに言われている日本関連の噂についてです。
パターンとしては、以前何かの折に触れた「ゲッベルスが『100回言えば嘘も本当になる』と言ったというのは嘘」と同じもので、出処不明の都市伝説レベルの物ばかり。小説家が著作の中で書いたことを歴史的事実(他の出典は無い)として扱っている陳腐なものもあります。
今回はバンダーさんの文そのものより、コメント欄の「不毛なやり取り」をお楽しみ下さい。
趙甲濟ドットコムよりバンダービルドさんのコラムから「韓国人が楽しむ『国民の嘘』TOP3」です。
韓国人が楽しむ「国民の嘘」TOP3
1. 【「我が日本帝国は敗れたが、朝鮮は勝利したのではない。我が日本は朝鮮人に銃と大砲よりも恐ろしい植民教育を植え付けた。朝鮮人は互いに仲違いをしながら奴隷的な生活を送るだろう。私はまた戻ってくる」と、最後の朝鮮総督「阿部信行」が言った】
→「阿部信行」はこんなことを言ったことはない。
2.【私は英国海軍提督・ネルソンに比べることは良いが、李舜臣に比べることは耐えられないことだ」と、ロシア・バルチック艦隊を撃破した日本海軍提督「東郷平八郎」が言った】
→「東郷平八郎」はこんなことを言ったことはない。
3.【「歴史を忘れた民族に未来はない」と「シン・チェホ」が言った】
→「シン・チェホ」はこんなことを言ったことはない。
→有力候補
【「朝鮮水軍に出会ったら無条件で避けろ」と「豊臣秀吉」が言った。
→根拠(立証資料)無さげ。また別の「国民の嘘」濃厚。
趙甲濟ドットコム「韓國人들이 수시로 즐기는 '국민 거짓말' TOP 3(韓国人が楽しむ「国民の嘘」TOP3)」より
以下、この記事へのコメント。日付の古いものから順にしています。
右翼 2021-06-15 午前7:36
"Togo returned from the victorious Battle of Tsushima(1905) in which he had defeated the Russian Baltic Fleet, at that time the world's most powerful naval force. He had been instated as Admiral of the Japanese Navy, and at a celebratory gathering, a member of the company exclaimed, 'Your great victory is so remarkable the equal of Admiral Nelson, who defeated Napoleon in the Battle of Trafalgar; you are indeed a god of war.' To this Admiral Togo replied 'I appreciate your compliment. But, ... if there ever were an Admiral worthy of the name of 'good of war', that one is Yi Sun-sin. Next to him, I am little more than a petty officer."
-Kotaro Andohi(1964), History and Theory of Relations of Japan, Korea, and China
日本語訳)
東郷は、当時世界で最も強力な海軍だったロシアのバルチック艦隊を打ち負かした対馬の勝利(1905)から戻った。彼は日本海軍の提督に任命され、そして祝賀会でその場の一人が「あなたの偉大な勝利は歴史上、類を見ません。トラファルガーの戦いでナポレオンを破ったネルソン提督と同等と見なすことができます。あなたは確かに軍神です」と声高に述べ、これに対して東郷は「お褒めの言葉をいただき幸いです。しかし...軍神の名に相応しい提督がいたとすれば、それはイ・スンシンです。彼の下では私は下士官に過ぎません」
-コウタロウ・アンドヒ*1(1964)「日・朝・中三国人民連帯の歴史と理論」
バンダービルド 2021-06-15 午前8:32
英語だけで書かれていれば無条件で真実だから信じなければならないということですか?こんなことは一種の事大主義ではないですか?
東郷提督が行ったという李舜臣への尊敬に関する言及は、根拠のない「噂」にすぎません。
「東郷平八郎、彼が李舜臣を尊敬したという『気分の良い話』、日本陸軍に対して地位向上しようとする初期の日本海軍の意図と民族の英雄の地位を向上しようとする韓国人の希望が作った根拠のない神話。
良い気になるが間違った話
第一に、その軍神である東郷平八郎が李舜臣を称賛したという話が持ち上がる。日露戦争勝利祝賀会で「私を海の神である李舜臣提督に例えるのは神に対する冒涜」と言ったということだ。しかし、これは平八郎語録とと祝賀会の公式記録、報道機関には全く言及されていないエピソードだ。(キム・ジュシク、2011)
1964年、日本で出版された「日・朝・中三国人民連帯の歴史と理論」という本に初めて言及されたこのエピソードは、その後「1906年に米海軍士官学校の生徒に言った言葉」(李舜臣歴史研究会、「李舜臣と壬辰倭乱」、2005)、「親日派企業人イ・ヨンゲが平八郎と個人的に会った時の言葉」(藤井信雄、「李舜臣覚書」、1982)などに内容や状況がごちゃごちゃになって再生産された。どこにも出典がない」
朝鮮日報 2019.10.29 パク・ジョンインの土地の歴史、日本海軍はなぜ李舜臣軍を軍神として尊敬したのか
ttps://n.news.naver.com/article/023/0003482994
右翼 2021-06-15 午前9:33
ビルダー様のコメントは辻褄が合わない矛盾した話ですね。
私が載せた文章......韓国人と米国人が言った言葉はすべてウソだと主張しておいて、下の文章は韓国人たちが言った言葉なのに、これは本当に正しい話だなんて.......。
英文引用文の出処であるKotaro Andohiは発音から見て日本人であることは明らかですが、これに対する言及は全くなくて......
右翼 2021-06-15 午前10:00
日本人達が粘り強く主張する嘘Top3
1.日王裕仁は太平洋戦争の戦犯ではない
2.任那日本府説
3.独島、尖閣諸島は日本の領土だ
バンダービルダー 2021-06-15 午前10:08
東郷提督が李舜臣を褒め称えたという出典さえ提示すれば済む話なのに、なぜこのように関係のない話をするのか、理解できません。
出処(立証資料)を提示して下さい。しかし、いくら探しても無いはずです。
なぜなら、東郷提督がそんなことを言ったことがないからです。また、東郷提督が出陣する前に李舜臣を祀った祠堂のような場所を参拝した、という話もすべて「噂」というものです。
東郷提督の李舜臣関連の褒め言葉は日本に住む在日韓国人たちが作り出した虚構という説があります。
右翼 2021-06-15 午前10:59
私が日本語が分からなくて英語の出典を提示したら信じられないと主張するので、もうこの件について論争はしません。疲れました。
今までビルダー様との論争は秀吉の朝鮮水軍に会ったら避けろ、との命令が「本当かどうか」だったが、この話を広げていきなり東郷提督の話を持ち出し、国民の嘘Top3云々言い出したのはビルダー様でした。
バンダービルド 2021-06-15 午前11:13
私のせいで疲れているんですか?
私はあなたのお陰で息苦しくなります。言葉が通じないからです。
客観的な引用元を提示してほしいという私の要請に対して、続けて引用元は提示せずに「噂」レベルの韓国人、あるいは一部の日本人が話した内容を翻訳したレベルの英語資料だけを提示しているのですから、もどかしさを感じざるを得ません。
「国民の嘘Top3」は気に入りませんか?
私も韓国人ですが、なぜ韓国人は事実を話すと拒否感が噴出するのかよく分かりません。
onoda74 2021-0617 午前7:59
「東郷提督が出陣する前に李舜臣を祀った祠堂のような場所を参拝したというような話もすべて「噂」です」と言いますが、司馬遼太郎の「韓のくに紀行*2」を見るとこんな言葉があるんですよね。
<東郷艦隊の水雷司令、川田功少佐が残した文によると、艦隊が出動する際、李舜臣将軍の霊に祈った>と書かれている。
「当然、世界一の海将である朝鮮の李舜臣を連想するしかなかった。彼の人格、彼の戦術、智謀と勇気、彼の中でそれも称賛の的でないことはない」>
東郷が祈った、という内容ではないけれど完全に噂ではなかったようですね。
色々調べましたがバンダーさんの言う通り、東郷平八郎が李舜臣を賛美した、または参詣したという記録は見つけられませんでした。
というか、仮に言ったとしても「イ・スンシン」ではなく「り・しゅんしん」と発音したと思うんですけどね。
コメントで右翼さんは「Kotaro Andohi」と書いていますけれど「Hikotaro Ando」の間違いです。これは右翼さんのミスではなく、引用元のサイトがそもそも間違っています。(その時点でこのサイトの記述の信憑性・正確性は疑問)
安藤彦太郎の「日・朝・中三国人民連帯の歴史と理論」は、書籍は読んでいません。しかし、年代的に安藤本人が東郷から直接聞いた話でないことは確かです。
日露戦争の戦勝会は明治38年(1905年)です。安藤彦太郎の出生年は大正6年(1917年)。つまり生まれていません。ですから必ず伝聞です。その出典が確認されない限りソースとはなり得ません。
安藤は早稲田大学の名誉教授の肩書を持っているので書籍には引用元が明記されている可能性はなきにしもあらずですが...その可能性は低い気がします。なぜなら「東郷がそう言った」説の出典には安藤の書籍が引用元として記載されているものにしか行き当たらなかったからです。
安藤の書籍を引用した人たちは、恐らくそこより前には遡れなかったのでしょう。だからこそ、安藤の書籍の引用だけで終わったのではないでしょうか?
もし安藤の書籍に出典が明記されていたのなら、より正確で多くの情報を求めてそちらに当たる人が居るのが普通です。それをしなかった...というより、出来なかったのでは?と思うのです。(安藤の該当書籍は古書で6000円ほどで手に入ります。けれど、わざわざ買って確かめようとまでは思いません)
バンダーさん曰く、安藤の本以前にはこんな話はなかったようですし、安藤という人は文化革命を礼賛していたようです。中国=親、朝鮮=兄、日本=弟という中華事大思想を是としていたみたいですし、そうした基準で見ると東郷(弟)が李舜臣(兄)を尊敬して立てることは「正しいこと」だったのでしょう。
次に司馬遼太郎の「韓のくに紀行」についてですが、一応、調べられた範囲で以下に書いておきますけれど、面倒くさい人はこれだけ覚えておいて下さい。
「現状、大衆小説以外でソースをきちんと明記した『(東郷、その他人物が)李舜臣に祈った』というものは存在しない」
まず、コメントで書かれている「街道をゆく」の第2巻「韓のくに紀行」は1971年5月15日〜5月18日の旅程について同年の7月16日〜翌年2月4日まで週刊朝日に連載されたものです。
で、次に「坂の上の雲」第1187回は1972年3月27日付の産経新聞の夕刊に掲載されました。
つまり「韓のくに紀行」より「坂の上の雲」第1187回は後です。このことを意識しておいて下さい。
司馬遼太郎はかつて東郷艦隊に所属していた軍人「水野広徳」(少佐)が書いた本を読んだことがあったそうです。これはどうも小説ではなかったようです。
で、その中に「李舜臣提督の霊に祈った」という記述を見たように記憶していたのですが、それは司馬の記憶違いでした。司馬が見た文章は「川田功」が書いた小説「砲弾を潜りて」 の内容でした。
祈ったのは主人公・文吉(ただの水兵)であって東郷ではありません。シチュエーションも戦勝祈願ではなく、ケガの「痛みに堪える」ためだったようです。そしてなにより小説(ここ大事)です。架空の人物が架空の状況で行ったことです。
このあたりの司馬の「記憶違い」については「坂の上の雲」第1187回に書かれています。
当初、司馬は「川田功」が「水野広徳」のペンネームだと思ったようですが別人だったみたいです。そして「川田功」なる人物が東郷艦隊に編成されていた事実も確認できなかったそうです。
よって「東郷が李舜臣に祈った」云々の記述は、この「川田功の小説」に感化された司馬が作った創作エピソードと考えるべきです。しかも記憶違いをしていました。
これは司馬遼太郎が李舜臣を高く評価していた(「世界第一の海将」)から起こったことでしょう。司馬自身の李舜臣への評価を、小説の登場人物の行動を通して表現したのだろうと思います。
「韓のくに紀行」の時は勘違いしたまま 「東郷艦隊の水雷司令、川田功少佐が残した文」と、あたかも記録文書があるかのように、ただの小説の内容を、自身の記憶違いと混同したまま取り上げた可能性が極めて高いと思われます。
その後、記憶違いに気付いて「修正」したのが「坂の上の雲」の記述です。
そもそも大前提として司馬遼太郎は「小説家」です。いかに精緻な歴史観を持っていたとしても大衆小説を歴史的事実の根拠には出来ません。
もし事実であるのなら、彼が書いた小説(文章)のソースが示されるのが当然でしょう。それが出てこなのはなぜか...?そんなもの、無いからです。