1947年発表の曲を1946年5月に聞いたと主張する慰安婦の話

(自称)元慰安婦のイ・ヨンスさんの証言の矛盾がまた一つ見つかったそうです。

「帰国船(귀국선)」という大衆歌があります。
1946年に作られ、1947年に初版が発表されるも不発で、1949年に他の歌手が歌ったバージョンが大衆歌として定着したのだそうです。タイトルの通り「国外(日本や台湾など)」にいた朝鮮人が「帰国」する様子を歌った歌です。
2015年に放送されたドキュメンタリー番組でイさんは「帰国船に乗って聞いた歌が『帰国船』だった」と話しています。同様の発言を証人宣誓した裁判でも証言として行っていたそうです。
イさんは1946年5月に船で帰国しています。この歌を船上で聞くことは不可能です。

 



ペンアンドマイクの記事からです。

[単独]1946年に「帰国船」を聞いたというイ・ヨンス...市民団体「偽証罪」の告発に乗り出す


(前略)

ソン・ロウォン作詞、イ・ジェホ作曲の3040歌謡「帰国船」は日帝時代、海外各地に出ていた同胞たちが1945年の解放後、祖国に帰る姿を歌った歌だ。「韓国民族文化百科事典」によると、この歌の歌詞は作詞者が釜山の埠頭で帰国船の様子を直接見て作ったものだという。

この歌が作曲されたのは1946年。開放直後の歌の録音が難しく、「戦線夜曲」を歌ったシン・セヨン氏の声で1947年に初めて録音されたが、シン氏のアルバムは失敗に終わった。その後、1949年にオリエントレコード社が歌手イ・イングォン氏を呼んで録音し直し、「帰国船」はその時になってようやく大衆的な興行に成功したという。

1992年以来、「日本軍慰安婦」の被害事実を主張してきたイ・ヨンスさんも台湾から帰国船に乗り、この歌を聞いたという。
2015年9月24日にKBSが放送したドキュメンタリー番組「ドキュメンタリー1」の「光復70年、時代のサウンドトラック」第1弾に出演したイさんは「ある日、船が来たので船(帰国船)に乗った」とし、船に乗って聞いた歌が「帰国船」だったと話した。それとともにイさんは「今も一人でこの歌を歌うと号泣している」と付け加えた。

問題はイさんの帰国時期だ。日本政府を相手取った「日本軍慰安婦」被害損害賠償訴訟(ソウル中央地裁2016可合580239)の6回目の裁判が行われた2020年11月11日、裁判所に出廷したイさんに証人宣誓をさせた後、原告尋問を行った。

その日、イさんは「(戦争が終わった後、収容所にいた間に)船が何隻か来たが、あまりにも人が多く(収容所に)来て私と一緒にいた4人が一緒に(船に)乗れずバラバラになった」とし、1946年5月に船に乗り釜山港を経て帰国したと証言した。このときもイさんは船の中で「帰国船」を聞いたと付け加えた。

(中略)

このような事実を見つけたキム・ビョンホン慰安婦法廃止国民行動代表はイさんを偽証罪刑事告発する方針だと明らかにした。
キム代表は「イ・ヨンスさんはこれまで法的責任を負わない方法で『日本軍慰安婦』被害事実を主張してきたが、今回の件は違う」とし「証人宣誓した証言内容のうち歴史的事実と明らかに合致しない点が発見されたためイさんの虚偽証言に対してその責任を問う」と主張した。



ペンアンドマイク「[단독] 1946년 '귀국선' 들었다는 이용수…시민단체, '위증죄' 고발 나선다([単独]1946年に「帰国船」を聞いたというイ・ヨンス...市民団体「偽証罪」の告発に乗り出す)」より一部抜粋

イさんが嘘つきだと言いたいわけではありません。
証言は証拠足り得ないというのは何度か触れています。人の記憶だけでは当てにならないというだけのことです。

そしてイさんの中では既に「帰国船で『帰国船』を聞いた」が真実になっているのでしょうから、この人の証言だけは何一つ証明できない、それだけのことです。