「親しき中にも礼儀あり」な日本と、「虚心坦懐」な韓国の話

日本人と韓国人の「友達付き合い」の違いや「友達作り」のプロセスの違いに触れたコラムがありましたので紹介します。
一言で違いを説明すると、友達付き合いに関して日本は「親しき中にも礼儀あり」、韓国は「虚心坦懐」となります。友達作りのプロセスに関しては、「社会的背景を気にしない」日本と、「社会的背景を重視する」韓国となります。どちらにも良し悪しはあります。

 



韓国日報の記事からです。

私的領域にノータッチが「不文律」...親しくなっても躊躇ない言動には拒否感


(前略)

日本人の友達と付き合いたいが、思うようにならないという韓国人留学生の悩みを聞いた。日本で職場に通う韓国人の中で、長い付き合いの日本人同僚と友人の関係が進展せず残念だというケースも見た。韓国で良い友達とは何だろう?互いに対する固い信頼を土台に、虚心坦懐に交流する親密な関係を意味する。時には相手の欠点まで寛大に包み込む寛大さ理解心こそ強い友情の象徴だ。苦しい時に助けを求めても良いし、酒に酔って喚く醜い姿を見せても良い。

そういう点で見ると、日本人が追求する友人関係は韓国人には気に入らないかもしれない。良い友人を定義する方式は韓国と同じだ。ところが「本当の」友情とは何か、という解釈では観点がかなり異なるためだ。日本では例え自分が困難に直面したとしても、友人には迷惑を掛けないようにする配慮こそ友人に対する真心の籠った友情を意味する。欠点や乱れた姿まで見せて抱き合う友人関係は、日本人には破格的で負担になるだけでなく、時にはひどく無礼に感じられることもある。実際、日本人の知人から韓国人との交流で戸惑いを感じたという話を聞いた。例えば、日本ではいくら親しくとも外見や体型など、私的な部分については言及を控えるのが常識である。韓国人の友人が悪意無く投げかける「最近太ったんじゃない?ダイエットをしなさい」という言葉が日本人には相手を人格的に無視する無礼な言動と映る。

(中略 ※文化的背景の異なる外国人の友人を作るのは難しい、という話の後)

特に韓日間は互いに対する根強い偏見がある。韓国では「日本人は表と裏が違う」という偏見が真実のように受け入れられ、日本では「韓国人は無礼で自己中心的」という偏見が密かに働いている。

(中略)

では、韓日間の「友達作り」のプロトコルはどう違うのだろうか?韓国では他人に初めて会ったときに、年齢や結婚の有無、出身地域など私的な情報を一応聞いてから始める。

(中略)

しかし、日本では一般的にこのような私的な質問は関係がかなり近づいた後に投げかけるのが常識だ。言い換えれば、友達を作るのに年齢、学歴、地縁、結婚有無など社会的背景が相対的に重要ではないということだ。もちろん、同じ学校を卒業したとか同じ地域出身だとかいう事実が互いに会話の糸口を探すのに役立つのは事実だ。そのため、友人関係に発展する可能性がより高いのは事実だ。だが、韓国のように年齢や出身地域が同じだからといって「私たちは友達だ、タメ口で話そう!」と突然関係を急発展させる状況は絶対に起こらない。

(中略)

一方、日本社会全般に定着した個人主義が水平的な友人関係の条件でもある。例えば、食事の席や飲み会で基本的に「割り勘」の原則が守られる。目上の人が目下の人に食事を奢らなければならないという認識が無い。また、今回はAが奢ったならば次はBが奢ろう、というように食事代を順番に負担する形式も一般的ではない。

(中略)

私が気兼ねなく本音を打ち明ける日本人の友人の一人は10歳年上、もう一人は同い年だ。年の功のある年上の友人の思慮深い助言で人生の危機を乗り越えたこともあり、アルバイトの給料が入金される直前で懐事情が良くなかった年下の友人に食事を奢ったこともある。しかし、年上の友人に私がアドバイスすることもあれば、たまに年下の友人から酒を一杯奢られたりもする。基本的に水平的な関係で親密に交流している。年齢が社会関係の序列を規定する韓国社会では経験しにくい、私には実に貴重な人間関係だ。

(後略)



韓国日報「사적인 영역 노터치가 '불문율'… 친해져도 거침없는 언행엔 거부감(私的領域にノータッチが「不文律」...親しくなっても躊躇ない言動には拒否感)」より一部抜粋

一言で「日本」と言っても、人間関係の構築が関東(縦社会)と関西(横社会)で違うという見方もあります。そのため、一概には言えないかもしれませんが、まあ一般化した場合は誤差でしょう。

ところで「友人間」で「目上」や「目下」という話が出て来るのが非常に違和感を覚えます。日本で「目上」や「目下」と言えば会社での立場ですが、その場合、上司が多めに負担してくれるのが日本でもよくある光景では?と思います。(少なくとも私の周囲はそうでした)

日本では「外見や体型など私的な部分については言及を控える」というのは側面的な話に過ぎません。
文中で紹介されているような「最近太ったんじゃない?ダイエットしなさい」は韓国人にしたら「アドバイスし・て・あ・げ・た」という意識なのかもしれません。友達のことを思えばこその直言だと。
しかし、これは日本人の感覚的に「余計なお世話」以外の何物でもありませんね。なぜそうなるのかは、日本においてこの手の話題が許容されるには手続きがあるからです。

それが自分から「ダイエット上手くいかないんだよね~」と話を振った場合です。外見や私的な内容について「相手から相手についての話」を、あるいは「自分から自分についての話」を振った場合のみ、センシティブな領域の話題が可能という手続きになっています。
誰にだって踏み込まれたくない領域があるのは当然のことで、それは他人から見たら何てことない部分かもしれません。「地雷」とは上手く言ったもので、いくら親しい友人間でもどんな話題が「地雷」に当たるか分かりません。余計な諍いを招かない知恵じゃないでしょうか。

韓国人は良くも悪くもこの辺の距離感が近すぎると思うんですよね。