死亡診断の基準は過去の悲劇の教訓から。でも故意なら避けられない話

死亡宣告された男性が実は生きており、埋葬直前に葬儀の参列者が手足が動いていると気が付いて事なきを得た、という事件がインドであったそうです。


この方は6月21日に交通事故で意識不明の重体となり、搬送先の病院で人工呼吸器を装着された状態でした。
病院は家族に多額の医療費を請求(全額は不明)し、兄にあたる人が最初に70万ルピー(約111万円)を支払うも、その後の支払いが難しいと病院に伝えたところ、7月1日になって突然、死亡宣告がなされたそうです。

家族は病院側が「故意に死亡診断をしたのではないか」と疑念を抱いています。


幸い、埋葬予定地から緊急搬送された医療施設で検査を受けたところ、重体ではあるものの安定しており、脳死状態ではないそうです。
まだ意識は回復しておらず、手足を動かしているのは反射によるものだとか。


死亡診断は基準が決まっている

医師が死亡を判断するときには基準が決まっています。
よくニュースで「心肺停止状態」と報道されるのは、医師による確認が行われていないからです。
死亡診断はれっきとした医療行為であるため、「呼吸と心音が止まっている状態」だからといって、勝手に死亡宣告できないのです。

判断基準は

  1. 心肺停止
  2. 瞳孔拡大

大きくはこの2つです。脳死はまた別の判断があります。


今回のケースが過誤なのか故意なのか現時点で断定されていませんが、流石に呼吸があって血圧が計れる(心音が聞こえる)状態で生きているのを見過ごす、なんてことが医療従事者としてあり得るのでしょうか…?


過去には大きな悲劇も

今ほど医療レベルが高くなかった前近代・中世ヨーロッパの頃の棺には、蓋の裏に爪で引っ掻いた痕が残っているものがあります。
これらは実は生きていたのに死んだと勘違いされ埋葬されてしまったケースです。
こうした爪痕(と伝染病)から吸血鬼伝説などが生まれました。

他にも、葬儀の場で意識が戻って起きあがったりすると「悪霊が取り憑いた」と思われ家族に殺されてしまうケースもあったそうです。
そもための剣が遺体の枕元に置いてあったとか。


死亡診断の判断基準が出来た背景には、今回のように故意が疑われるケースは別としても、「実は生きていたのに死んだ」と思われたがための悲劇が、過去にあったからです。


日本の葬儀の慣例はフェイル・セーフとして機能するかも

日本の場合は火葬ですから、見過ごしたらシャレにならないわけですが、一度でも身内の葬儀(一般的な仏式の葬儀)に参列したことがあるなら、生きているのを見過ごすことはまずないだろうと感じると思います。

臨終から火葬まで基本的に3日コースで、通夜・納棺・出棺と何度も触れたり顔を見たりという機会があります。
特に触れてみれば分かります。完全に冷えてカチコチに固まっています。体温の気配も血の気配もありません。
肌の色は化粧で誤魔化してキレイにしてくださいますが、やはり生きているときを知っている身内からすると、明らかに違います。

最近は葬儀を簡素化するのが主流ですが、この手間が「実は生きていた」を見落とさないフェイル・セーフとして機能しているのかもしれません。