日本としてのアイデンティティを持つことは、そんなに悪いことなのか?な話

麻生さんの
「2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝、126代の長きにわたって一つの王朝が続いているなんていう国はここしかありません」
との発言が物議をかもしているようですが…そんな変でしょうか?

その前の発言を見ると、

あのラグビー見たって15人のうち7人がニュージーランド、韓国とか、どこかいろいろな国がある。結果的にワンチームで日本がまとまってるでしょ。ぐおーんとやって勝ったわけ。
(中略)
インターナショナルになっていることは間違いない。そして、それが力を生んでいるんだから。我々はそこが大事なんだから。純血守って何も進展もしないんじゃなくて、インターナショナルになりながら、きちんと日本は日本を大事にし、日本の文化を大事にし、日本語をしゃべる。そしてお互いにがんばろう、ワンチーム。日本はすげーというのでやって、それで世界のベスト8に残った。いいことですよ。

といったようなことを言っています。
文脈から言うと、日本のグローバル化・多様化は歓迎すべきこと、と受け取れます。その上で「日本とはなんぞや?というアイデンティティ」の話として先の発言が飛び出したようです。

何をもって「民族」とするかは難しいところなんですよね。遺伝的同質性なのか、文化なのか、国家なのか。


遺伝的同質性で見た場合「くっきりはっきりココから日本人」と判断することは出来ません。
なぜなら日本人(モンゴロイド)の遺伝子の中にも白人と共通の遺伝子を持つ人は少なくないからです。

では、日本は白人系民族の国家と言えるのか、といえば、そんなことありませんよね。
外見的な特徴から判断すれば、日本は明らかにアジア系民族の国家といえます。(これに異論がある人はまずいないでしょう)


文化的な面から見れば、今の日本人が「日本文化」と感じているものの多くは、江戸時代に今の形になったものがほとんどです。

では日本文化は江戸時代から始まったのかと言えば、そうではありませよね。
江戸時代に発展するための土台がずっとあったわけで、それを含めて日本文化です。

文化は時代時代で色々な要素を取り込みつつ変化するものだからです。
今も変化し続けています。
でもどこかに「これが変わったら別物になってしまう」という部分があるわけです。

大陸由来の文化が下敷きになったからといって、日本の事を中国だと思う人はいないでしょう。
それは「日本文化らしさ」が守られつつ変化したからです。
何をもって「日本文化らしさ」となるのかは断言できません。が、「日本文化らしさ」を感じさせる何かがあることは確かです。それが変質しない範囲内で変化し続けていくものが文化です。


日本民族を仮に「日本という国を構成する民族」と見た場合、それも時代によって変化します。

現代日本ではアイヌ琉球の2つは、少なくとも独自文化と独立王朝であったことを鑑みて別民族だった(・・・)と定義できるでしょう。
ですが、今や日本という国を構成する日本民族の一部です。
アイヌの文化や琉球の文化も、日本文化を構成する要素の一部となります。

一部だからといって、消えたわけではありません。
私自身、たまに出自を聞かれることがあります。母方が沖縄の家系だと伝えると、大抵納得されます。(なんででしょうね…やはり顔が「濃ゆい」のでしょうか?)


そうした視点で見れば、「日本」という国号を使用するようになって以降、「日本民族」が他民族に支配された歴史はありません。
現王朝が途絶えたこともありません。
日本民族」という単一民族(・・・・)が、その構成要素を変化させながらずっと続いてきた、というのは事実です。


個性として独自性を尊重していくのは良いと思うのですけど、「アイヌアイヌ琉球琉球。日本の一部にしてはいけない」と考えるのは逆に差別的だと感じることがあります。

アイヌにしろ琉球にしろ、淘汰されずに残っていることこそが八百万の神々の御座す「日本的」な部分じゃないでしょうか。


麻生さんの言い様は確かに誤解を招きやすいと思います。
でも言っていることの趣旨は正しい、と感じる部分があります。

日本には日本の文化があります。
文化は変容するものですが、変わってはいけない部分があります。それが変わってしまったら「日本文化」では無くなってしまう部分です。

グローバル化が広がる中で、日本は多様性を受け入れることで強くなります。
でも「変わってはいけない部分」は大事にしなければいけない、それこそが日本のアイデンティティだ、という話じゃないんですかね。
それを捨ててしまったら、それはもはや「日本」じゃなくなるんですから。