世界遺産であるトルコのアヤソフィアが、エルドアン大統領による「モスク」宣言を受けて今月の24日からイスラム教徒の礼拝に正式に使用されることになるそうです。
個人的に非常に残念な話です。
今まで通り観光客を含めた「異教徒」にも門を開く、としていますが、博物館として運営していたSNSのアカウントは既に削除されているとのことです。
もともとアヤソフィアは東ローマ帝国時代の5世紀頃に建てられたキリスト教の聖堂が基になっていると言われています。(正確には、360年に建設された教会を再建した)
15世紀にコンスタンティノープル(現・イスタンブール)がオスマン帝国に占領されると、アヤソフィアはモスクに改修されました。
破壊ではなく、モスクへ転用となったのは、恐らくその建築技術の高さと美しさが認められたからだと思います。
今でこそ「中央にドーム型の建築構造」はオスマン帝国のモスクの象徴のように思われますが、元はキリスト教の聖堂であったアヤソフィアからの影響だとされています。
モスクへ改修されたアヤソフィアには4本の尖塔が建てられ、内部のキリスト教の装飾はモザイク画や漆喰で覆い隠されました。
20世紀に入り、宗教的に中立な博物館として利用されるようになったアヤソフィアの修復作業の過程で、このとき覆い隠されたキリスト教絵画の一部が発見されています。
そのため、↓の画像のようにキリスト教とイスラム教の象徴が同時に見られる唯一無二の場所となりました。
今回、トルコの最高裁判所は「アヤソフィアのモスクとしての利用を停止し、博物館と定義した1934年の閣議決定は法に則っていない」と結論を出しました。
これを受けてエルドアン大統領はアヤソフィアをモスクに「戻した」わけですが、この決定はユネスコとの事前協議なしに発表されたものです。
1934年というと、トルコはアタチュルク政権下です。 彼はライクリッキ(政教分離)を原則にトルコ共和国を築いた人です。アヤソフィアを宗教的に「中立」と位置付けたのも、その影響が大きかったのかもしれません。
一方で、エルドアン大統領はイスラム教による国家運営を目指すイスラム主義の政治家とされています。
アヤソフィアはいつの時代も、その地の支配者の有り様を映す鏡なのですね。