韓国が中国に反発しない理由...「道徳(理)至上万能主義のため」という話

韓国人は日本を嫌うし反発しますが、中国に対しては「嫌い」と言いつつ政治的に強く反発するようなことはありませんよね?
「事大主義」などの理屈で説明されるこの反応ですが、「道徳論」と「小中華思想」で説明している説がありましたのでご紹介します。政治的分裂や政権が前政権を「粛清」する理由についてもコレで解釈されます。
曰く、韓国人は「完全無欠の道徳性」を追求する、と。「道徳」とは朱子学的に「理」であり「善」となります。対する「物質」を「気」と考え、これを「悪」とします。
「道徳:物質」「理:気」「善:悪」...の二分法にしたときに、ここに「小中華思想」が加わると「中国:蛮夷(中国以外)」となります。これによって「中国=善」「蛮夷(中国以外)=悪」の方程式が出来上がる、という話です。

記事の後半は「迷信に支配された韓国」について書かれています(というか、記事のメインはこちらです)。

 



ペンアンドマイクの記事からです。

[キム・ヨンサムコラム]易術・風水が支配する国、誰が誰に石を投げるのか?


#.道徳国家大韓民国

小倉紀蔵京都大教授は8年間韓国に留学し、韓国社会の内面を深く観察し「韓国は一つの哲学」、「韓国人の行動原理」という著作を発刊した。この本で著者は韓国人の気質を「果てしない道徳性の追求」と診断した。韓国で行われている政界の権力闘争は道徳争奪戦、すなわち誰がより道徳的かを確認する戦いだということだ。

小倉教授は命を懸けて繰り広げる道徳性争いの根源が朱子性理学だと明らかにした。朱子性理学は金尙憲の斥和論、宋時烈の小中華論を経て、道徳(理)と物質(気)を二分法的に区分した後、道徳を何物にも代えることのできない絶対的価値と崇める華西学派(李恒魯-柳仁錫-崔益鉉)と伝承され、韓国の精神世界を支配しているということだ。

華西学派は徹底した道徳論(主理論)、中国中心、儒教文化の観点から中華の伝統価値を守り、そのような社会構造を破壊しようとする西洋的なあらゆる手段を排斥した。このような論理構造は次のような等式で図式化される。

◆道徳=善=中国
◆物質(気)=悪=清(蛮夷)・西洋・日本

小倉教授が眺めた韓国は、完全無欠な道徳だけが待遇される社会だ。道徳至上万能主義者たちは在野に隠居したふりをしながらすべての触手は中央権力に向かって伸ばされている。彼らは暇さえあれば権力と金と女に向かって、手段を選ばず本能をむき出しにする野獣たちだ。しかし表向きは権力と富と色欲を隠し、草野に紛れて形而上学的学問に沈潜したふりをする。反骨ソンビ精神が彼らが代表的に掲げる偽装仮面だ。

道徳至上万能の名分論がすべての価値を圧倒する朱子学民族主義論は義兵活動家、日帝下での抗日武装闘争家、解放後の在野民主化人士、NL(民族民主)・PD(民衆民主)系586運動圏に継承され韓国人の精神世界を支配している。

このような社会では自分の人生がどれほど道徳的に高潔なのかを絶えず立証・表現してこそ存在価値を認められる。彼らの権力闘争は道徳を前面に出して権力を勝ち取った勢力がどれほど道徳的でないかを暴露する泥仕合だ。相手の道徳と偽善をまとめて非難すればするほど「立派な政治家」として礼遇される。

(中略 ※歴史映画のワンシーンで重要な「出征」を占い任せにして負けるエピソードを「巫女神託に頼った王朝の運命」として紹介。)

韓民族の指導者として知られる檀君は、巫女または祭祀場を意味するモンゴル語のテングリ(tengri)と一脈相通じる。ハヌル*1様の息子ファヌンが熊(熊女)と婚姻して生んだ子が檀君王倹だという。檀君王倹は丹骨(祭司長)+王倹(王、為政者)、すなわち祭政一致の祭司長兼政治家を意味する。

以後、人類が科学と神託に目覚め、神託よりは科学技術で武装した軍隊に依存するのがはるかに現実的に有益だという事実が立証される。以後、神託を受ける祭司長と軍隊指揮権者の分化過程を踏むのは必然的な手順だった。神託に依存して祭司長に使える一族は野蛮の状態から抜け出せず、科学技術と軍隊に依存する一族は文明の洗礼を受けて快進撃することになる。

(中略)

#.迷信天国、大韓民国

(中略 ※「今年は大運の年」という占い師の言葉を信じ、エリート街道を歩んでいるキャリアを振って選挙に出馬した知人が公認を得られなかった事や、権力者が風水師を頼る事例に触れて)

金泳三政府時代、旧朝鮮総督府の建物を壊さなければならないと扇動した者たちは風水家・易術家・巫女だった。白頭大幹から流れてくる民族精気が三角山に沿って流れ落ちる血脈を断ち、国運を窒息させるために日帝が風水侵略の次元で総督府庁舎を建てた。迷信信奉者たちの世迷言を根拠に金泳三大統領は数千億の予算を投じて健全な建物を壊して龍山に国立中央博物館を新しく建てた。

また、国家レベルで日帝が風水侵略目的で名山大刹に打ち込んだというて鉄杭除去事業を行った。これを除去してこそ民族精気が蘇ると扇動した者たちも風水家・易術家・巫女だった。国粋的な狂風に押され金泳三政府が勇敢に軍部隊の地雷探知機まで動員し18個の鉄杭を除去した。ところが実は、日帝が刺したものは一つもなかった。

(中略)

どうしてこの国の知性の先端を走るパワーエリート集団が、易術者・人相家・風水師・巫女の言に依存する迷信天国になってしまったのだろうか?小倉紀蔵教授の診断のように道徳性闘争の先頭に立ってきた韓国人が、今はテーマを変えて祭政一致の時代に回帰しているのではないだろうか?

その国の政治家の水準はその国の国民の水準と同じだというのが人類史のことわざだ。自分たちはさらに熱心に迷信に振り回され、惑わされ、大統領と大統領夫人の易術風水依存を指差している。それなら尋ねる。 果たしてあなたたちは大統領に石を投げるほど迷信から自由な存在なのか?



ペンアンドマイク「[김용삼 칼럼] 역술·풍수가 지배하는 나라, 누가 누구에게 돌을 던지랴?([キム・ヨンサムコラム]易術・風水が支配する国、誰が誰に石を投げるのか?)」より一部抜粋

「物質=悪」のサイドに「清朝」が入っていますが、もともと明と仲良かった朝鮮(李氏朝鮮)が清に降伏することに反対したのが「斥和論(講和に反対する論)」です。そして清は女真族の王朝なので「蛮夷」となります。

「丹骨(祭司長)」は場所によって言い方が少し変わるようです。東北シベリア地方のシャーマニズムの系統に連なるらしいのですが、中部より北では「万神(マンシン)」、全羅道で「丹骨(タンゴル)」、チェジュでは「神房(シンバン)」と呼ぶそうです。
ただ、ほとんどが女性の巫女らしいんですよね。チェジュでは男性も多いらしいのですが...。「丹骨(タンゴル)」が「檀君(タングン)」の元ネタだというのなら卑弥呼のように「女性」だったのかも?檀君神話が初めて出て来るのは13世紀に書かれた「三国遺事」です。この頃にはすでに男性中心社会でしたから、改変された可能性も...。



*1:天道教における宇宙の中心、または天。