ソウル市、性犯罪事件で一審有罪判決の作家の作品を慰安婦追慕公園から撤去、市民団体は反発の話

ソウル市にある慰安婦追慕公園「記憶の場」に設置されていた作品2点が撤去されました。
撤去されたのはイム・オクサンという作家の作品なのですが、実はこの人、強制わいせつ罪で訴えられておりまして、先月には一審で有罪判決(懲役刑)が出ました。
慰安婦を散々「性〇隷」と呼び、性〇搾取の被害者と位置付けているわけですから、その関連施設に性加害者の作品が展示されているというのはマズイ事態です。

日本でも著名人の不祥事が報道されるたびに「アーティスト本人と作品性の評価は分けられるべき」という意見が出ることがあります。ある意味ではそうかもしれませんけれど、ある意味ではアーティストと作品性は一致するはずです。
今回は作品性と事件性が完全に矛盾しています。撤去の判断は当然と思えるのですけれど、なぜか市民団体が反発しています。

 



プレシアンの記事からです。

ソウル市、慰安婦「記憶の場」作品の奇襲撤去に反発「手軽に『女性』を消し去る」


ソウル市が日本軍「慰安婦」追慕公園「記憶の場」に設置されたイム・オクサン作家の作品2点を5日午前撤去し、市民団体が反発した。

(中略)

当初、前日の4日に進行される予定だった撤去作業は、記憶の場造成推進委員会、正義記憶連帯などの市民団体が当日に撤去中断デモを行い遅れたが、市は団体が現場を空けた5日午前に奇襲的に撤去を強行した。

作品撤去をめぐるソウル市と市民団体間の対立は先月、イム氏が職員の強制わいせつ容疑で一審懲役刑を宣告されたことから始まった。

イム氏の懲役刑宣告以後、市は私立施設内に設置されたイム氏の関与作品5点を全て撤去すると明らかにし、このうち2点が記憶の場に設置された2作品だった。

ソウル市は「戦争性犯罪被害で一生苦痛を受けてきた慰安婦被害者を称える空間に、性犯罪で有罪判決を受けた作家の作品を設置することは慰安婦を侮辱すること」という立場だが、団体は別途の協議なしに記憶の場内の作品を傷つけることは「手軽に『女性』を抹消すること」として反発した。

記憶の場推進委と正義連、韓国女性団体連合など市民団体は4日午前、記憶の場現場で記者会見を開き「イム・オクサン作家は必ず性的犯罪に対する法的責任と被害者に対する心からの謝罪をしなければならない」としながらも「それでも私たちはソウル市がイム・オクサンの作品を撤去するという理由で記憶の場造形物を一方的に撤去することに反対する」と明らかにした。

撤去された2つの作品は「数多くの推進委員と女性作家および募金に参加した1万9754人の市民が日本軍『慰安婦』被害者に対する尊敬と『痛い歴史を必ず記憶する』という誓いが作り出した集団創作物」で「イム・オクサン個人だけの作品ではない」というのが彼らの主張だ。

(中略)

一方、ソウル市側は市民1000人を対象に行ったアンケート調査で、造形物の存置意見(23.8%)より撤去意見(65%)の方が多かったことなどを挙げ、市民的合意がすでに成立していると主張する。市は日本軍「慰安婦」被害記録に対しては公共美術委員会の諮問などを経て新しいコンテンツで満たすという立場だ。



プレシアン「서울시, 위안부 '기억의 터' 작품 기습철거에 반발 "손쉬운 '여성' 지우기"(ソウル市、慰安婦「記憶の場」作品の奇襲撤去に反発「手軽な『女性』を消し去る」)」より一部抜粋

他の作品はともかく、記憶の場の撤去は私は当然だと思うのですがどうですか?逆にこれに反対する人たちは、一体何に反対しているのか、一体どの立ち位置なのか、不思議で仕方ありません。記事を読む限りでは、これは作家個人の作品ではなく、関与した団体や募金に参加した人たちで作り上げた一種の「集団作品」だからとしていますが、ちょっと納得いきかねます。

結局のところ「女性の人権」ではなく「日本を悪者にする」ことに重きを置いているってことなんでしょうね。
前も書きましたけれど、自分たちの目的達成のために都合良く強調したり無視したりする「道具」でしかないんですよ。だから基準がブレる。

あと余談ですが「慰安婦被害者を称える」という表現に毎度違和感を感じまくりです。性〇害にあったことを「称える」って、どういう情緒?