「武士社会」日本と「文人社会」中韓の行動様式の違いの話

日本の「武士文化」と中韓の「文人文化」の行動様式の違いを比較するコラムがありましたので紹介します。
文人文化を中韓としていますが、残念ながらほとんど中国の話ばかりで韓国は出てきません。中国と韓国を完全に同じ「儒教文化圏」にまとめて、それと日本の「武士文化」を比較する格好です。

 



ペンアンドマイクの記事からです。

[キム・ムンハクコラム]韓中日文人と武士の行動様式の比較


約100年前の韓日中近代史の奇跡を鳥瞰すると三国の近代化成功の線路が鮮明に浮上する。中国と韓国は常に自負心を感じさせるほど「文」の社会であり、日本は逆に「武」の社会だっという点が一目瞭然に分かる。伝統的な儒教者像の核で構成された「文人」による文治社会と、伝統的尚武精神の核で構成された日本の武治社会は極めて対照的な社会および文化パターンであり、その価値観、行動様式はやはり対照的に異質的様相を露呈した。

ところが、筆者が不思議に思ったことは、これまで韓日中のこの対照的な文、武の世界に対して中国と韓国は依然として「文」が一枚上で優秀である反面、日本の尚武的な「武士」文化は「野蛮的」で「暴力的」という劣ったものとして卑下する傾向が強い。

したがって、近代中国と韓国が野蛮な武士に一時敗北したのに過ぎないと傲慢になり、文の文化がなぜ武の文化に敗北したのか、その原因究明の自己省察はほとんど抜けている。

(中略)

では、日本の尚武的な武士の行動様式、価値観は何だろうか。歴史に表れたその様相を整理すれば、それは「実務性」と「革命性」に帰結する。私たちがいつも侮る未開で野蛮で暴力的な言い様だけでは一蹴できない近代的原理が日本の武士文化の中に内在している。

これに比べて極めて対照的なのが中国と韓国の儒教精神を土台にした読書人、知識人、すなわち文人文化の「公論性」と「文弱性」に帰結する行動様式、価値観であり、常に座って容易に成し遂げようとする非生産的な発想だ。日本の武士が常に刀を握って生活の現場で行動的であるのに対し、中韓儒教信者ソンビは常に筆を握って卓上に座って論争を楽しみながら生の現場で行動、実践を避けてきた。考えるだけで行動は欠けた致命的な欠点、すなわち行動力と革命力の欠如だった。

(中略)

かつて制度のシステムによって文化力を誇示してきた文人支配人の中国では、清末に文人官僚が2万人、武官7000人であり、地方官員の総数は200万人にもならなかったが、この少数の文人エリート社会が4億余りの人口を支配していた。当時、日本は3300万人の人口に武士階級189万人の膨大な体系で日本全体を支配していたことが分かる。

中国の文人官僚階級は相対的に小さい数字だったが独立自主を必要とせず、売販貿易によって国家の俸禄でも潤沢な生活が可能だった。しかし日本は輸出だけで全武士階級の生活を維持することは難しかった。

したがって武士たちは経済、産業改革に多大な熱意を示し、西洋の模倣と共に「モノづくり」製造業に力を注ぐ。もともと実務精神が強い彼らは富国強兵の土台として殖産興業に渾身を尽くす。

(中略)

文人階層のエリートたちが主導した近代中国の維新は、実務精神と改革性の両方で日本に付いていけないほど脆弱だった。日本の近代工業の「モノづくり」製造業的な実務型に比べ、中国の経済モデルは過剰労働力、人材、技術不足の下で「船を作るより船を買った方がよく、船を買うより借りてくれた方が良い」という安易な産業原理を考案した。そうして自分の民族の基幹産業が形成できず、経済産業の近代化は「絵に描いた餅」に終わった。

事実を問い詰めると、百年が過ぎた今日もこのような企業原理が主流を占め改革開放40年になるまで膨大な民族基幹産業が蓄積、形成されず世界の企業のためにアルバイトする「世界の工場」という限界を抱えている。

(中略)

日本の武士たちは新しい西洋観念と技術にその実務性と革命性を発揮し慣れ親しみ、科学と思想に基づいた近代化モデルを会得する。彼らが最初に首を切ったのは自分たちの首だった。革命の目標も明確だった。中国と朝鮮は、いずれも文人階級の決定的な欠陥のため近代革命を産業面や思想面、社会面でも実現させることが出来なかった。

近代韓日中の成功は、実は文人と武士の行動様式の違いから始まったと言っても過言ではない。この二つの文化に対して再び真剣に比較分析・省察する意味は非常に大きい。



ペンアンドマイク「[김문학 칼럼] 한중일 문인과 무사의 행동양식 비교([キム・ムンハクコラム]韓中日文人と武士の行動様式の比較)」より一部抜粋

机上での議論が全て無駄だとは言い切れません。無計画にとにかく「動く」が良いことだとは思いませんので。

ただ、筆者の言うように「文治社会」の中韓が頭で考えるだけで行動に直結しなかった頭でっかち、「武治社会」の日本が現場主義で行動力があったという前提で考えるとすると、中韓は「文治社会」のせいというより「儒教社会」のせいではないでしょうか。

儒教の原点...オリジナルの在り方に拘る、つまり「昔」に拘るスタイルのせいです。
そもそも儒教の祖である孔子自身が周の封建社会を理想としていました。特に孔子が「聖人」として崇敬した周公旦は、孔子から見ても500年ほど「昔」の人物です。
要するに、儒教はその根本に常に「過去」を理想化して「過去へ過去へ」と回帰していこうとする考え方があるのではないでしょうか。
韓国がやたら「起源」に拘るのもその表れだと思います。
そして過去(の在り方)に拘る姿勢が新しい価値観の受容性の低下を招いた一因だったのではないか、そんな気がしています。