「日本が『研究』するとき、韓国は『憤怒』する」という話

慶南道民日報という慶尚南道地域で発行されている日刊紙に、聯合ニュースの慶南本部長の肩書きを持つチョン・ハクさんという人が寄稿文を寄せています。
なんで自社の聯合に載せないのか分かりませんけれど、内容が「日本が(韓国を)『研究』しているとき、韓国は『憤怒』していた」というもので、「韓国は感情的に日本を見ようとするけれど、もう先進国なのだからもっと冷静に、偏見なく日本を研究しなくてはいけない。それでこそ『克日』できる」というものです。

韓国が感情的に日本を見ているという指摘は最もだと思ったのですけれど、結論が「克日」に着地してしまったのでは元も子も無いと言うか、残念というか...。

 

 

慶南道民日報の記事からです。

日本が「研究」するとき、韓国は「憤怒」する


「1979年10月28日、全斗煥合同捜査本部長が朴正煕死亡事件中間捜査結果を発表した。この日の夕方、駐韓日本大使館は外務省に『少将階級の全斗煥が戒厳司令官の鄭昇和隊長より力が強い』と報告した」ニュースタパが最近報じた「日本外務省の『全斗煥ファイル』初公開」という記事の一部だ。読んでみると、日本の驚くべき情報力にぞっとする。10.26事態*1から2日後、日本はすでに全斗煥が「実力者」であることに注目し、12.12*2のひと月前からクーデターの兆候を察知していたという。当時の日本は米国よりさらに深く韓国の状況を覗き込んでおり、現場に行ってきたような気がするほど生々しく記録されているという内容も出ている。

(中略)

約20年前、イスラム圏の専門会のイ・ヒス教授を地域に招待した時に聞いた話がある。当時、韓国はイスラム専門家を突然探す非常事態だったが、日本は随分前から中東はもちろん、アフリカまで地域専門家を育成していたというのだ。彼が言う専門家とは、該当地域に精通していることはもちろん、「インナー・サークル」に入って核心情報にもアクセス出来る人をいう。

日本は韓半島専門家をいつから養成してきたのだろうか。ふと、壬辰倭乱が思い浮かぶ。韓国には日本の専門家がどれほどいて、政府や大企業の政策決定にはどれだけまともに反映されているだろうか。

現在、日韓関係は最悪の局面だ。日本の右翼が独島に端を発した野心を隠さないのを見ると幕末に登場した「征韓論」が依然として生きていることを感じる。日本で征韓論を集大成化した人物として、吉田松陰があげられる。日本で最長寿首相を務め、自民党最大の派閥の首長として健在の安倍晋三が師匠のように崇めている人物だ。韓国初代統監を務めた伊藤博文も松蔭の弟子であり、安倍の故郷の先輩だ。松蔭は征韓論とともに周辺国の征伐と竹島(独島の日本式名称)開拓論を露骨に展開し、その論理が今も系譜を追って続いているのだ。

(中略)

韓国側の対応はどうか。日帝強占から開放されて70年異常経ったが、反日親日論争は依然としてあり、「土着倭寇」フレームも随時登場する。理性的で冷静な地域研究は稼働しているのだろうか。感情的反日風土に問題を提起し、吉田松陰探求に乗り出したある青年は書籍<吉田松陰、時代に反逆する>でこう述べている。「韓国で日本関連の歴史の話をすると、反日感情に触発された怒りのために議論が乱れる場合がほとんどだ...憤怒は逆説的に憤怒の対象よりも自身をより痛めつける」

外見的には先進国の隊列に上がったという韓国が、今は偏見なく世界の隅々はもちろん、日本の「地域」についてもしっかりと探求し「克日」に出るときだ。



慶南道民日報「일본이 '연구'할 때 한국은 '분노'한다(日本が「研究」するとき、韓国は「憤怒」する)」より一部抜粋

私のような個人の韓国ウォッチャーまで含めると、日本人は今でも膨大な数の人間が韓国を「研究」していますね。

 

しかし見事にタイトル回収です。この人も結局、感情的にしか日本を見ていません。
実際の出来事や当時の国際情勢、韓国の行動を考慮せず、「地縁(松陰と安倍さんの故郷)」「人縁(松蔭と伊藤博文)」だけで思想が継承されていることになっていますし、「克日」とか言っている時点で「偏見なく」は無理でしょう。日本を意識しまくりですやん。見下したくてウズウズしてますやん。

*1:1979年10月26日の朴正煕暗殺事件のこと。

*2:1979年12月12日の軍内部の反乱クーデターのこと。