「過程を重視する日本、結果を重視する韓国」の話

日本文化には「結果より過程を重視する」傾向が、韓国は「過程より結果(決断?)を重視する」傾向があるため、これらがお互いの外交姿勢に影響を与え、それが日韓関係の改善を難しくしている...そんな指摘のコラムあったので紹介します。

 



韓国日報の記事からです。

「結果より過程」を重視する日本文化


(前略)

日本は「野球強国」だ。 子供から大人までアマチュア野球を楽しむ人口が多く、プロ野球の人気も相当である。しかも今回のWBC新型コロナウイルス感染症事態の影響で5年ぶりに開催される大会であるだけに、大きな関心を集めた。

(中略)

さて、WBC勝戦が行われたちょうどその時間にテレビチャンネルを回していたら日本の公共放送では全く違う野球試合が流れていた。同じ時間帯に開かれた春季高校野球選抜大会本選1回目の甲子園試合が生中継されていたのだ。WBC勝戦の余波か画面に映った競技場には観客が少なかったが、国民的関心事として浮上した重要な試合が繰り広げられる瞬間にも公営電波を割いて高校野球を中継するという事実がかなり異色的に感じられた。

韓国では高校野球の人気が衰えて久しい。一時かなり人気を博していた時代もあったが、1982年にプロ野球リーグが発足してから野球ファンの関心から遠ざかった。これに対し日本では高校野球が今でも愛されている。特に甲子園という別名でもよく知られている高校野球全国大会はテレビで生中継される全国的な関心事だ。兵庫県甲子園球場は、1世紀前に高校野球大会のために建設された専用である。春には高校野球選抜大会の本選競技(「春の甲子園」)が、夏には高校野球選手権大会の本選競技(「夏の甲子園」)がここで開催される。やはり高校野球の絶頂といえば、毎年8月に猛暑の中で開催される甲子園夏大会だが、49チームが進出する本選舞台に立つため、全国から3500余りの高校野球チームが実力を競う。

(中略)

WBC勝戦と重なる時間に行われた高校野球試合は「夏の甲子園」よりは地位が一段落ちる「春の甲子園」だった。しかし、その球場の土を踏むために汗を流してきた若い選手たちにとっては何よりも大切な瞬間だったに違いない。WBC勝戦に全関心が集まる時も、この若い選手たちの試合を中継電波に載せてくれた公営放送も本当にすごい。「結果よりは過程」を重視する日本文化の情緒的断面を表わしたように意味深長に感じられた。韓国にも命脈を引き継ぐ全国高校野球大会があるとはいう。しかしテレビ中継どころか、このような大会が開かれるという事実を知っている人も多くない。何より同大会に出場可能な野球チームがある高校は全国で100校にも満たないということだ。日本で甲子園予選に出場する3500余りの高校野球チームとは比べ物にならない数字だ。

(中略)

韓国社会には「過程より結果」を重視する文化的情緒がある。良い結果のために努力することは必ずしも否定的ではないが、すべてのことに結果を優先する性急さのために物事を間違える場合もある。これに比べて日本社会には「結果より過程」を重視する文化的情緒がある。慎重すぎて変化のタイミングを逃す場合もあるが、小さいことから一つずつ解いていく問題解決には実力を発揮する。

実際、このような情緒的な違いが韓日間の外交問題においてしばしば「空振り」の素地になる。個人的に最近韓国政府が出した日帝強制徴用賠償問題の「解決」に対して失望した。韓日関係の改善が必要だという大義には同意するが、そのために過去史と人権に関する問題を無理やり覆い隠そうとすることには同意する気がないからだ。しかもこの「解決」が出た経緯に対するまともな説明も説得もなかった。複雑で痛い事案を荒々しく無慈悲に推し進めることを「痛恨の決断」として包装するのもみっともない。

何より「過程より結果」を重視する韓国式解決策が「結果より過程」を重視する日本式「ビルドアップ」外交では良い成果を出すことは難しそうだ。韓国政府は日本政府の要求に誠意を持って応えただけに、彼らも快く立場を変えてくれることを期待したようだ。しかし、これまで日本政府は韓国関連外交事案について長い間資料を蓄積し、国内世論とも調整を重ねてきた。「結果より過程」を重視する文化的情緒では、数十年間蓄積してきた過程を一度に覆す劇的な意思決定はめったに起こらない。むしろ韓国政府の「決断」が彼らには突拍子もなく無謀なパフォーマンスに映る可能性が高い。さらに彼らが時間をかけて着実に準備してきた「攻撃カード」を取り出す時がいよいよ来たと判断する余地も大きい。結果的に、これまで韓日間で激しく対立してきた外交的事案を、日本政府の思い通りに揺るがす契機ができてしまった。 対日外交の結末が心配だ。



韓国日報「‘결과보다 과정’을 중시하는 일본 문화(「結果より過程」を重視する日本文化)」より一部抜粋

日本の場合には実例を挙げて「結果より過程を重視する」を説明していますが、韓国には実例がありません。そのため、本当に「結果を重視」しているのかは私には疑わしいと思えてしまいます。

というのも、このコラムは今年の4月に書かれたものです。3月に徴用訴訟解決案として第三者弁済が正式に決まって日韓関係改善に向かって動き出したかのように言われていた頃です。
その流れで言うと韓国の重視する「結果」とは、「大局的視点で徴用訴訟解決法として第三者弁済を推進したこと」であるのでしょうが、その後どうなりましたか?
一部対象者は受け取りを拒否。拒否分を裁判所に供託しようとしたところ、裁判所も申請を拒否、異議申し立ても却下しましたよね。
つまり「結果」なんぞ、まだ出てない問題だったわけです。それで「結果を重視する」と言われても...「うーん?」となります。冒頭で「結果(決断?)」としたのはそのためです。


「結果」というものは次のフェーズに移れば全て「過程」になります。
記事はWBCを例に挙げているので「WBC優勝」と目に見えやすい「結果」が一時的に出ますけれど、次のWBCに向かって動き始めればそれすら「過程」になります。日本の野球文化の潮流という視点に立てば、そこでも「過程」になります。

物事はブツ切りに起こっているのではなく、その前後に因果があるのが普通ですから流れで見る方が自然だと思います。そういう意味では「過程」を重視するのもまた自然なことでしょう。
さらに言うと、例え「結果を重視」するとしても「過程」の伴わない結果は重視すべきではないのかもしれません。再現性がありませんから。そういうものは特異点としてそのまま受け入れる方が良いのでは。