亀卜とトホカミエミタメの話

11月の大嘗祭(だいじょうさい)で使われるお米を育てる地方を決める「斉田点定(さいでんてんてい)の儀」という宮中行事が13日に行われるそうです。

薄く削り、細工をした亀の甲羅を焼き、ヒビ割れの入り方によって吉報位を占う亀卜(きぼく)によって、長野と静岡より東から「悠紀(ゆき)」、残りの西側から「主基(すき)」の計2つの地方を選んで、そこに田んぼ(斉田)を設けます。


史料によると、亀卜は主に卜部(うらべ)と呼ばれる下級神官が従事した占いで、この卜部は対馬から10人、壱岐・伊豆から各5人が選ばれる規定になっていました。(時代により人数変動あり)
現在では対馬にのみ残る習俗で、国の無形民俗文化財に指定されています。


トホオカミエミタメ(吐普加美依身多女/遠神笑美給/遠神恵賜)

Google先生で「トホカミエミタメ」という言葉を調べると色んな説が出てきます。
神道に関するものからちょっとオカルトちっくなものまで様々。

京都の車折神社の裏にある八百万神社では「とほかみ えみため はらいたまい きよめたまえ」と唱えながら御本殿を回る参拝方法があります。

またサブカルネタで言うと「Ghost in the shell」の作中挿入歌「謡」の歌詞としても出てくるので、知らずに耳にしている人は多いかもしれません。


Kenji Kawai - M10 謡Ⅲ-Reincarnation


意味は、実ははっきりしていないそうです。
「遠くに居られる神様、微笑んでください」とか「恵み賜え」というような意味ではないかと言われています。


この言葉と亀卜との関係ですが、亀の甲羅の細工部分に「ト・ホ・カミ・エミ・タメ」という名前が付いているそうです。

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画像は宮内庁が公開したものです。
儀式の際には、裏に墨入れがされます。(昔は彫り込みを入れていたらしいです)

「新撰亀相記*1」によると、この墨書きの方位に名前が付いています。

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そして、ハハカ(波波迦)という桜の一種に火を付け、「トホカミエミタメ」と唱えながら下→上→上→下、中央→左、中央→右と焼きを入れていくのだそうです。


意味は判然としませんが、「古事記」以前からある古い言葉だそうで、神道とは縁深く神社本庁で「神道での唱えことば」としても紹介されています。
強い言霊の宿る言葉なのだそうです。


余談:言霊、真言などに対しての個人的な考え方

日本には言葉には霊力が宿り、口にすると力が発揮される「言霊(ことだま)」という考え方があります。

非科学的、と切って捨てることは簡単ですし、実際、一時期私も軽視していました。


ですが、日本人の日常生活にはこうした神道的あるいは仏教的な考えを基本とした非科学的な習慣というのが染み付いています。
全てを「非科学的」と切り捨ててしまうと返って疲れてしまうんですね。

そもそも私自身の名前が「言霊」で形成されています。
これを否定することは、自身の根幹を否定することに繋がりかねません。


で、あるとき考えました。
「科学的/非科学的(神秘学的)」という二元論で考えるから疲れるんだと。
どこかにグレーゾーンを設けるべきだと。


言霊に関しては、例えば関西圏では「バカ」という言葉が嫌われます。
「あほ」は許容されます。(絶対じゃないけど)
その差は、恐らく音の響きです。

「あほ」は柔らかい音なのに対して「バカ」はどこか硬く、角張った感じを受けます。
「あほ」が軟式ボールをぶつけられたのに対し、「バカ」は本の角をぶつけられたような気分になるのではないかと思うのです。

この差を「言霊」と考えると、言葉の持つ「力」というものが分かるように思えました。


真言、手印、お経といったものについては「先人たちが最適な集中状態に移行するために編み出した手順法」と考えています。

少し前にルーティーンというのが流行りましたね、あれと同じ考え方です。
ルーティーンは自分なりの手順を習慣化することで、いつでも反射的に集中状態に移行できるよう訓練するものでしたが、お経などは自分なりの手順ではなく、共通の様式で、あるいは集団で共通の集中状態を作り出すことが目的のもの、と考えたわけです。

こう考えるようになってから、信仰やスピリチュアルというものに対して、許容範囲が広がったように思います。


*1:平安時代の卜占書