「日本メディアが注意喚起や再発防止を訴えているとき、韓国メディアは刺激的なSNS映像や当事者の感情的な声ばかり届けていた」という話

梨泰院の事故を受けて、事故発生後のメディアの報道姿勢...韓国メディアが事故発生後の現場の様子を知らせるSNSのショッキングな映像や犠牲者人数をリアルタイムにカウントしたり、遺族の嘆き悲しむ映像ばかりを報道していたのに対し、日本メディアは事故の発生原因や再発防止(日本国内の防止策徹底)に焦点を当てた報道が中心だった...など、メディアの報道姿勢や行政の対応などを中心に日本と韓国を比較したコラムがありましたので紹介します。

今後、梨泰院事故の件はユン政権の政治的責任論に拡大していく可能性がありますが、大きな動きがない限りは取り上げません。というのも、韓国メディアの報道は基本的に「行政の不手際論」と「被害者の声」、このどちらかに集約される記事ばかりのためです。

 



オーマイニュースの記事からです。

「梨泰院圧死事件」日本の反応...本当に複雑です


(前略)

東京渋谷はハロウィンの聖地として有名だ。ハロンウィンデーは10月31日だが、10月に入るとハロウィンの雰囲気が漂う。渋谷だけではない。歌舞伎町、六本木、さらに上野まで東京の繁華街の商店はハロウィン期間をかき入れ時としているため意図的にハロウィンをPRすることもある。当然、ハロウィンが近づくと該当自治体は緊張せざるを得ない。

その中でもいつの間にか「渋ハロ」という名称で有名な、期間中に100万人があつまるという渋谷区の対応は注目に値する。渋谷のハロウィンが良くない方向で有名になったきっかけは2018年にあった「トラック転覆事件」が決定的だった。酒に酔った一部の群衆が暴徒に変わり、路上に停車していた1tトラックを転覆させ、他の酔っぱらいたちと集団でケンカをした。そんな中、女性に対するセクハラ、盗撮なども行われ20~30人が警察に逮捕される事件が発生した。当時の映像を見ればそれこそ地獄絵図に他ならない。

このことが大々的に報道され渋谷区はハロウィン期間と年末年始には路上飲酒を禁止する条例案を新たに制定し警察と京王バス株式会社などと協議して行動統制に乗り出すことにした。それまで100人余りが投入されていた警察人材が2019年からは300人規模に増え、ポリスラインが新たに作られた。

今やハロウィンの名物となった「DJポリス」の威力も見逃せない。「DJポリス」は2013年のブラジルワールドカップアジア最終予選当時、渋谷スクランブル交差点に登場したもので、日本サッカーチームの勝利を祝うサポーターが路上で暴走するのを防ぐため治安維持の名目で導入された。

集会引率用に改造されたトラックに拡声器を持った若い警官が上がり秩序維持を促していた途中、「私もやはり日本サッカーチームの本選進出がとても嬉しい」などの感情を表現したことがサポーターたちの喝さいを受け全国的に有名になった。渋谷警察署は「DJポリス」を2015年、2016年のハロウィンにも積極的に活用し確実な成果を収めた。
一方、「DJポリス」が投入されなかった2018年にはトラック転覆事故が発生した。この時「DJポリス」がいたとすれば暴徒化を防ぐことが出来たかもしれないという見解が出たりもした。

(中略)

各通信会社の基地局との連携も目立つ。基地局から通信データの提供を受け、過去の同一時間帯に人々が集まる場所を中心にポリスラインと「DJポリス」を投入して分散させたり、最初から入れないように誘導することだ。ちなみに日本が行っている混雑率の概念を利用した行動統制は既に様々な分野で使われている。

元々この概念は公共交通機関の混雑度、特に地下鉄の混雑率を分析するためのものだ。しかしハロウィンのように街頭行動統制にも適用される。渋谷に適用する場合、1平方メートル(縦横各1メート)4人を基準に設定し、それ以上がすでに埋まっていると判断されればポリスラインを設定して当該混雑地域に入ろうとする人々を別の方向へ誘導することになる。

(中略)

既に世界的にお祭り化されたハロウィンに人々が自由に参加することを防げないのなら、人々が多く集まるために普段より発生する可能性が高い不祥事に備えるのが地方自治体などの行政機関の義務だ。そのようなことのために税金を払うのだ。ところが韓国の梨泰院圧死惨事の場合、地方自治体が果たして何をしたのか疑問に思わざるを得ない。

(中略)

マスコミの責任も避けて通れない。まず注意喚起(予防)をおざなりにした。今回のコラムをかきながらNHKテレビ朝日など日本のマスコミを検索してみるとハロウィンデーの注意を喚起する記事の見出しが500件以上検索された。事後分析も同様だ。

10月30日、一日中日本のニュース番組は梨泰院の事故を取り上げた。事故が発生したハミルトンホテル横の路地の傾斜と狭い道幅を具体的に説明し、「行動/移動統制」が全くなされていないことを指摘した。韓国メディアが死亡者数をリアルタイムでカウントし、刺激的なSNSの写真、現場経験者の感情的インタビューを掲載しているとき、日本メディアが事故の原因を分析し再発防止を要請し、ひいては志望者を追悼する姿を見る私の心情がどれほど皮肉だったか分からない。

さらに該当自治体の行政機関と国民の安全に責任を負う職にある長官の言動は耳を疑わせる。今回の事故を不可抗力による天変地異のようなものと考えるような態度は自分が責任を負うことも、その理由もないということではないか。多数が犠牲となったのに誰も責任を負わないのなら行政機関は一体なぜ存在するのか。

主催者いないたえに不可抗力との言い分も話にならない。龍山区庁の会議資料などによると10万人程度が集まると既に予想している。この言葉は予想はしたものの備えは疎かにしたという意味だ。

(中略)

一体なぜこのようなことが発生したのか、その原因と責任所在を徹底的に究明することこそ、今現在最も胸を痛める遺族の恨みを晴らす道ではないだろうか?



オーマイニュース「'이태원 압사 참사' 일본 반응... 정말 착잡합니다(「梨泰院圧死事件」日本の反応...本当に複雑です)」より一部抜粋

「DJポリス」は一種の象徴であると思います。要は、管理する「主体」があるか/ないかの話です。
一部SNSで出回っている情報で、事故発生現場とされている場所で2時間ほど前にある女性が坂を「下りる方優先、上る人待ってください」と大声を張り上げながら手振りで群衆をコントロールした映像があります。指示を受けて下る側の人たちは口々に「下る」と言いながら進んで無事通過できた、と。
本当に事故現場なのか、当日の映像なのかは不明ですが少なくとも管理・統率する主体が居れば群衆はコントロールできるという証左でしょう。

オーマイニュースには市民記者も多いのですが、このコラムを書いている人も東京でバーを経営しているそうなので恐らく市民記者の一人です。
この人が韓国メディアと日本メディアの事故後の報道姿勢の何に「皮肉」を感じたのかは分かりません。単に原因究明や再発防止をないがしろにする韓国メディアに「情けない」と感じただけかもしれません。
しかし、他に同じように日本のハロウィン対策(DJポリスのみですが)を紹介したMBCの記事があるのですけれど、そちらに付いたコメントに次のようなものがあります。

ムン・ジェイン政府時代のK防疫と秩序維持はすべての先進国の羨望をかった。日本はつま先もついてこれないくらいだったのに」
「なぜ日本を持ち上げるのか。これは親日ではないか?」
「再び日本の後に従ってお世話になるなんて...」

別記事ではありますけれど、こうしたコメントを読んだ後だったのでついつい、日本を超えた(はずの)韓国の現実を見せつけられた、みたいな気分を勝手に味わっているのかと意地悪な見方をしてしまいます。


原因究明も責任所在も大事ですが、それを「遺族の恨みを晴らす」ためにやる、というのが個人的には理解できません。当事者が望むのは当然だと思います。けれど第三者が「恨み」を原動力にすると責任追及で満足して、その後の「再発防止」までいかないと思うんですがねぇ...。


また、この記事は一番の「主体」を抜きにして書かれているように思えます。つまり「その場」にいた人たちです。
奇禍にあった人たちは確かに犠牲者です。その人たちの行動をどうこう言うつもりはありません。けれど、その他の人たちは別です。事故発生後に警察から速やかな帰宅を促されても応じようとしなかった大多数の人たち、この人波が救急搬送や救助の妨げになったことは疑いの余地がありません。

事故を知らなかったは通用しません。赤色灯を点けた緊急車両が集まってきていたのですから何らかの異常は感じたはずです。スマホで確認すれば直ちに事故発生は知れたでしょう。
こうした人たちを一緒くたに「無辜の一市民」とし、権力やメディアにのみ「責任論」を振りかざすのには違和感を覚えます。