韓国人が見た日本の「リベラル」の話

日本の政治は「右派」と「左派」より「保守」と「リベラル」という分類で語られる、ということを前提に、日本の「リベラル」とは何ぞや?なコラムです。

 



韓国日報の記事からです。

韓日関係の未来、左右でもなく日本の「リベラル」にかかっている


◇左派でも右派でもなく、日本の「リベラル」

政治的な立場を語る際、よく右派あるいは左派という言葉を使う。既存の社会体系を擁護する保守的な思想あるいはそのような政治的分派を右派あるいは右翼と呼び、既存体系の変革を主張する進歩的な思想あるいはそのような政治的分派は左派あるいは左翼と呼ぶ。

(中略)

しかし、現代社会は民主主義の初期だった数百年前とは比べ物にならないほど複雑で多様だ。数多くの思想と分派を左派と右派という単純な図式に分類することは事実上不可能だ。

日本の複雑多岐な政治的地形も左右の陣営論理だけでは理解できない。日本では右派と左派という区別より「保守」と「リベラル」という分類がより自然に語られる。一般的に現内閣を支持すれば保守派、現内閣の交代と改革を支持すればリベラルだと言うが、リベラルがいわゆる左派を意味するわけではない。日本で左派は別にある。例えば、韓国では法的に認められない共産党が日本では公式に政党活動を展開している。1922年に結成された「日本共産党」は日本で最も歴史ある政党で現在この政党に所属する院内国会議員が21人(衆議院10人、参議院11人)もいる。少数政党の中では影響力が少なくない。つまり日本で左派といえば日本共産党を支持したり共産主義社会主義思想を公式に擁護する勢力を意味する。それに対してリベラルは明らかに支持する思想的基盤が存在しない。事実、用語の脈絡も曖昧だ。リベラルという言葉には進歩主義、改革主義という意味もあるが一方では個人の自由と市場原理を重視し、資本主義を擁護する保守的なニュアンスもあるからだ。そういえば日本の歴史を通して政権を手放した期間がほとんどない「スーパー与党」である「自民党」(自由民主党を略して自民党と呼ぶのが一般的)の英語呼称も「Liberal Democratic Party」である。保守と守旧を標榜する政党名に抵抗なく使われるくらいだから保守とリベラルが完全に対立する概念と見ることは難しい。

◇日本の「リベラル」は穏健なリベラル派、あるいは改革的愛国主義

9月の第3週にNHKが発表した政党支持率を見ると与党自民党を支持するという回答が34.1%、一時政権交代の主体だった正当野党「立件民主党」を支持するという回答は4.0%、日本共産党を支持するという回答が2.3%だった。一見、改革勢力がひどく縮小したように見える結果だが、必ずしもそうではない。「特に支持する政党がない」(無党派)という回答が42.8%に達するからだ。無党派がすべてリベラルではないだろうが、右派性向の与党に同調しない勢力がかなり厚いということは事実だ。彼らが自らをリベラルな傾向と定義する確率は高い。

ではリベラル派が与党には批判的でありながら政党野党や左派政党を快く支持しないのはなぜだろうか?さまざまな意見があるが、政党野党や左派政党が国家主義愛国主義を「過度に」批判する態度が反感を呼び起こすという分析が説得力がある。

(中略)

たが、戦争を経験した経験のない多くの日本市民にはただ「反対のための反対」と見られるということだ。すなわち、リベラルは右翼勢力のような排他的な国家主義は拒否するが日本の歴史的、文化的アイデンティティを強調する愛国主義は包容する傾向がある。そのため、国のアイデンティティをひっくるめて否定する左派の態度には拒否感を感じる。

まとめると、日本のリベラルは次のような特徴があるといえる。第一に、既存の体制には改革と変化が必要な進歩的な性向がある。第二に、体制転覆を主張する共産主義社会主義など急進的な左派思想には反感がある。第三に、日本の文化的アイデンティティを強調する愛国主義に同調する。穏健な進歩主義者あるいは改革的な愛国主義者程度と定義してもよさそうだ。左派ではないが進歩的で、右派ではないが、国の発展を望む人々だ。

(後略)



「한일관계 미래, 좌·우도 아닌 일본 ‘리버럴’에 달렸다(韓日関係の未来、左右でもなく日本の「リベラル」にかかっている)」より一部抜粋

記事は最後に、著者自身が日本で付き合いのある知識人はほとんどリベラルを自認しており、環境、人権、暴力、差別など日韓が共通して持っている問題意識に共感できる良心的な人々とし、日韓の難しい問題も共に解決できる気がする、としています。(ちなみに歴史問題は「排他的な考えの人もいる」としていますが、自分と違う考えを持つ人を「排他的」と規定することもまた「排他的」行為であるという自覚は多分無いです)
まさかとは思いますが、リベラル以外は環境、人権、暴力、差別に対する問題意識は持っていないと思っているのでしょうか?そんなわけないと私は思いますけど。
仮に、こうした「問題意識の差」が保守とリベラルとにあると考えているのであれば、リベラルは「利他的な善人」、保守は「排他的な悪人」として見ていることになりますが...。


左派が社会主義勢力や共産勢力と結びつけられるというのはその通りだと思うのですけど、リベラルに思想的基盤が無いというのはどうでしょう?日本でよく言われる「自己責任論」は完全にリベラル的思想だと思うのです。(だからこそ最近、慰安婦問題や徴用工に対する日本人の意識の変化が出たのかもしれませんね。それこそ「自己責任でしょ」と)


与党を支持しない無党派層が自身を「リベラル」と定義する可能性が高いというのも本当にそうでしょうか?大半の人は保守とかリベラルとか、あまり深く考えてない…というか断言できないと思います。
また「無党派層」=「与党に批判的」というのも違うように思います。政策に投票するのであって、政党に投票するわけではないというだけでしょう。

それに、著者自身が「単純な図式に分類することは事実上不可能」とか、自民党の英語呼称に「リベラル」が入っているとか書いていたのに矛盾しませんか?
なんというか、著者自身が「リベラル=現与党に無条件に反対する人」と見ているように思えます。


思うに、今の世の中たとえ保守(右派)であってもそのベースにはリベラル的思考があるんですよ。基本的人権憲法で保障されていますからね。
だから日本の場合、保守とリベラルでは無いんですよね。リベラル的な思想を内包した保守と、保守に仕事を取られて立場がなくなった「何か」です。一番「核」の自由を保守に取られちゃったので「既存のモノを壊す」しか能の無くなった「何か」です。だから文句言うしかできなくなっちゃったんですね、きっと。

立民とか左派政党が「過度に」愛国主義を批判するのが反感を買っている、というのは納得できます。私の場合は反感というか危機感です。彼らに任せると本気で私の生存権が脅かされかねないと思っています。