先日、最高裁判決で無罪判決(正確には高裁の賠償判決破棄差し戻し)を受けた「帝国の慰安婦」著者のパク・ユハさんの寄稿文が載っていました。
なぜ慰安婦問題が「不法(違法)」とされなければならないのか、なぜ支援団体(元・挺対協)が「賠償」に拘るのかについて突っ込んで書かれていたので紹介します。
朝鮮日報の記事からです。
無罪となったパク・ユハ教授「右も左も『帝国の慰安婦』を誤読した」
(前略)
長期間にわたり慰安婦おばあさんたちに会って関係書籍の大部分を読んできた私が見るに、おばあさんたちの人生を完全に見ようとする人はほとんど居なかった。大切にされているようで、実状はおばあさんたちは疎外されていたし、慰安婦問題が解決できない原因はそこにあると私は思った。2013年に「帝国の慰安婦」を出版してから再びおばあさんたちに会った。彼女たちは依然として疎外されていた。
(中略)
両極端を批判した私の本について、その両極端は自分たちの既存の主張に合わせて誤読した。右派の一部は私が自分たちと同じように「慰安婦は売〇婦」と同意したと歓迎し、左派の一部も慰安婦を売〇婦だと非難したと言って私を攻撃した。ついに私が慰安婦のおばあさんたちに会うことを露骨に歓迎しなかった「分かち合いの家」は、私がおばあさんたちの名誉を傷つけたとして刑事・民事・仮処分訴訟を提起した。
(中略)
慰安婦問題はしばしば韓日問題としか思えないが、実は冷戦体制とも深く結びついている。慰安婦問題が始まった1990年代初めは北韓が日本と国交正常化交渉を行っていた時期であり、北韓が慰安婦問題を植民地支配に対する「不法賠償」を受けられる良い機会と考えた。1992年に当時、挺対協幹部だったユン・ミヒャン元代表が北韓が朝日国交正常化交渉で「戦争犯罪賠償」を受けようとしているとし、「南北双方が」「賠償を受けるのに十分な主体力量」という用語を使った背景でもある。慰安婦問題運動に深く関与した法律形も、北韓の対日交渉力を意識した。慰安婦問題で補償では無く「賠償」を受けるためには「不法」でなければならず、まさにそのためにあくまで「国家による強制連行」でなければならない構造が、そのように始まり定着した。
しかし北韓は2002年の平壌宣言でその主張を撤回し、経済的補償を受ける方式に転じた。しかし以後もユン・ミヒャン代表など周辺関係者たちは「不法賠償・強制連行」主張を継続した。
(中略)
東アジアの安定と平和のために、私は朝日国交正常化を期待する方だが、その過程で国家の自尊心を生かす手段として慰安婦おばあさんたちは全く望んでいなかった「性〇隷フレーム」に閉じ込められることになった。そして再び国家に動員され、長い道のりを歩まねばならず今は多くの方々が世を去った。私が「帝国の慰安婦」を書いたのは、その方々が戦争の犠牲者ではなく、植民地支配の犠牲者だという事実を明らかにしたかったためだった。
(後略)
朝鮮日報「무죄 난 박유하 교수 “좌도 우도 ‘제국의 위안부’를 誤讀했다”(無罪となったパク・ユハ教授「右も左も『帝国の慰安婦』を誤読した」)」より一部抜粋
書籍発行後も足しげく(自称)慰安婦たちと交流していたようですが、実際のところ「帝国の慰安婦」について彼女たちがどう感じていたのかについては触れられていません。そこが残念。
パク・ユハさんは「強制連行は無かったかもしれないが、それでも日本は謝るべき」という主張の人です。それは最後に書かれている「(慰安婦は)戦争の犠牲者ではなく、植民地支配の犠牲者だという事実」が理由です。「韓国を植民地支配したのは日本なのだから『日本の犠牲者』という立場は変わらない」ということなんでしょう。
彼女が著書で主張している内容(強制連行否定説)は韓国の「定説」に逆らうものです。また、寄稿文の中で触れているように「慰安婦を不法」とするために「国家による強制連行」説を主張することとなった背景を「冷戦体制」の大きな枠組みの中で捉える視野の広さも韓国側の言論としては珍しいと感じます。
そういった部分は非常に稀有な存在だと思うのですが、それでも最終的に「日本による植民支配の犠牲者」に着地してしまうところが、「日本の行いは併合では無く植民地支配であり不法行為」を基盤に成立した韓国という国の限界というか...単純に私には受け入れがたい主張が根本にあるのだな、と感じる部分で残念です。